ぶらりをつかおう

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 上質な羊毛が刈れる羊を飼育している町へ着く。

 二度目の来町である。

 ぶらりと、やってきた。この町へ、ぶらりと、やってくることじたいが目的だったので、到着してもやることはなかった。

 いや、おれがここへ、ぶらり、とやってきたことを、なんとなく町の人々に認識させる必要はあった。なので、このまま、町の中を、ぶらり、と歩いて、おれがぶらりとしている印象を与えよう。

 とはいえ、そう何かがある町でもない。商店もあまりないし、宿屋もないらしい。

 で、町の外は、真っ平らな草原がひたすら広がっている。町の西側には、羊の放牧地用の簡素な柵と、まだまだ、背の低い苗木が植えられていた。どうもいまから、森をつくっているという気配がある。

 などと、ぶらりと歩きながら町のそういった景色を眺めつつ、町の中で食堂を探すことにした。ただ、どの建物も、色合いが抑えられ、どれが住宅で、どれが店舗であるかが、一見だとわかりにくい。このあたりの風土なのか看板の類もひかえめに提示されていた。それでも看板をみつけ、なんの店だろうと近づくと、靴屋だったり、衣類店だったりする。

 靴と服は、食えない。

 いや、あまりに過酷な空腹状態に陥った場合、あるいは。

 そんなことを、もくもく考えながら歩いていると、とある建物の入口の横、さらにその下部に、小さな看板を見つけた。どうやら、食堂らしい。

 よかった、あった。安堵し、あらためて店構えを見る。食堂には見えない草臥れた外観だった。

 けれど、食堂と書いてあるし、なら、食堂だろう。

 ああ、ここではいかなる料理が出てくるのか。そう思っていると、店の扉がひとりでに開いた。中から白い頭巾を被り、白い布で口元を覆い、青い手袋をして、白衣を来た人物が出て来た。

 男だった。白い白衣の至る所が、飛び散っただろう黒いしみがある。

 彼は外に出ると、口に覆っていた布を外した。五十代くらいで、口に白黒まじりの髭を蓄えている。ふう、と大きく息をつき、煙草を取り出して、一服をはじめようとした。

 おや、これから入ろうとした、食堂から、これはそう。

 手術終了直後の医者、みたいな感じの人が出て来たぞ。

 おれは看板を確認した。たしかに、食堂と書いてある。

「おや」

 むろん、至近距離でそれをやっていたので、男はこちらの挙動を察知した。

 眸が合う。

 なんだろう、眸がまったく笑っていない。熱を持たない黒い硝子のような眸をしていた。まるで、もう、これまで無数の生命のきびしい物語を見届けて来た、ような印象を受ける眸である。

「おきゃく、さんかい?」

 そして、しぶい声である。

 声をかけたら、逃げにくい。おれは「はい」と返事をして続けた。「あの、ここは」

「食堂さ」しぶい声で言う。「俺の店だ」

 食堂なのか。

「俺の命をかけた店さ」

 いや、命をかけているのは、患者では。

 ではなく、食堂だ。

 落ち着きたまえ、おれ。見ためは、完全にそこそこ大手術後の医者に見えるけど、料理人さ、この人は。

 もしかすると、このあたりの土地では、その感じの恰好で料理する文化があるかもしれない。そう思い込んで、おれはおれをやり込める。そうさ、あの白衣みたいなは、白衣じゃないし、白衣みたいなのについている黒いしみも、あれだ、霧散した色の濃い調味料とかにちがいない。

「おっと、そうだった」彼は扉をあけると、店の中へ向かって誰かへ指示する。「おい、さっき使った刃物あらっとけよ、あと、煮沸もしとけ。それに床に落ちたのもきれいにふいとけ。いいか、なにもなかったように、そう、なにも、なかったように、きれいにだぞ」

 じつに、微妙に誤解を生産するような言い回しをする。

 それから、彼は煙草をひとくち飲み、やがて、靴の裏でもみ消してこちらを見た。

「お客さん、中へどうぞ」

 片手で扉を抑えて開き、しぶい声で入店をうながす。

 のぞきこんだ店の奥は、まだ、昼間なのに、暗く、闇の壁になっている。

「俺が、料理しよう」

 それは、おれがいまから、あなたに料理されるという意味だろうか。

「いえ、ぶらりとしていただけです」

 で、おれは、ぶらりで逃れたよ。

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