やりわすれたこと
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
竜を追い払うことを生業としている竜払い者である、二十四歳、男。
名はヨル。
それが、おれである。
ここのところ切ってない髪に、外套をはおり、背中には剣を背負っている。せおっているの竜払い用の剣で、人を斬るための剣ではない。
いまは、大陸の東へ向かって旅をしていた。東へ向かう理由は、そこに東へ続く道がるから、それだけある。
誰かが敷いた道を、もくもくと歩く旅だった。時折、立ち寄った町などで、竜を追い払う依頼を受け、報酬を得て生きていた。この世界には、どこにでも竜がいるので、竜払いの役目はどこにでもある。
そんな、おれには、いま悩みがある。
最近、ここのあたりの土地で剣術が流行っているらしい。
その影響で剣を持っていると、剣を持っている者から勝負を挑まれることがある。とにかく、いろんな人に勝って、剣で名をあげたい者たちが、この土地で大量発生しているらしい。
で、おれは竜払い用の剣を背負っている。
そして、今日も剣の試合を申し込まれた。
「ついに、この日がきてしまいました」
相手は少女である。
しかも、ふんわりと知っている人間だった。
「お久しぶりです」彼女は一礼し、続けた。「わたしです、ハナセです。あのときの、おさげです」
おれはそのとき、道端に鎮座していた猫の目先に、先がふわふわになった草をちらつかせていた、灰色の猫である。猫は完全、無視である。
ハナセ。
あのときの、おさげ。
彼女は十五、六歳くらいで、黒髪のおさげをさげている。そして、開き過ぎた猫の目、みたいな目をしていた。
「ついに、あなたに剣の勝負を挑むときが来ました」
「おれの負けです」
「そう、剣の勝負を、あなたと」
負けを認めたのに、きいていない。最近、こういう人が増えたな。
ハナセは言う。
「剣の勝負で、このわたしたちの旅に決着をつけましょう」
と、持っていた槍の先をおれへ向けてくる。
「嫌です」
今度は端的に、かつ、敬語で答え返す。
「そんな、十代の頼みを聞いてくれないんですか!」
「そんな、十代の悩みを聞いてくれないんですか、みたいに言うんじゃねえ」
「わたしと剣の勝負をしてください」
「なぜ」
「流行りだからです! 流行に乗り遅れるのは、乗り遅れるのはっ、この心に耐えがたいのです! わたしは! わたしは流行りにのっていない自分が、恐い! 人から、最新の生き方をしてるのね、と思われたいんです! あわよくば、最小限の努力で!」
なかなかの身勝手な理論のご登場である。しかも、躊躇なく、言い放ってくる。
そこでおれは彼女の所持品を指さし伝えた。
「けど、君が持っているのは剣ではなく、槍だ」
「そう、わたしが会得した剣術、その名も―――『槍の剣』」
「やりの、けん」
ああ、どうしよう。反応する側に、高負荷でしかない。
しかたない、質問をして、この話題をかわそう。
「なあ、これまで、おれの他には誰かの勝負を挑んだのか」
「ぐっ」問いかけると、彼女はくぐもった声を放った。「いえ………他の人にはその………声がかけづらく………はずかしくて………」
視線をそらす。
「わかってます、槍の剣とか………そんなのこと………人にいったら最後………へんな人と思われるだけ………だってわかっています………でも、あなたは………あなたなら、わたしのこんな感じも………」
ハナセは苦悩するようにいい、おさげを震わせた。
「いちおうの、対応してくださるので」
ああ、聞かされても喜べる様相は、ない回答である。
すると、彼女はその場にへたりこんだ。
「そう、あなたは、あなただけは………なんだかんだ、わたしの相手してくれる、そんな、そんな中途半端な人の好さの感じが、わたしには、わたしには………都合よかった………あなたにならどう思わても………よかった………へいきだった………わたは心が無傷でいられた………」
うつむき、そう告白しだす。
質の悪い告白内容だった。
かと思うと、今度は急に顔をあげた。その動きで、猫は驚いて逃げた。
「でも、こんな甘えたあなたとの関係は、もう終わりにする!」
そう宣言し、彼女はその場へ槍を置くと、短剣を取り出し、自身のおさげを切り落とした。拘束されていた彼女の黒髪は、ばらけて、陽の光に反射した。
「さようなら、わたしの玩具」
そして、彼女はそう言い残し、道の彼方へと走り去って行く。左手には切ったおさげ、右手には短剣を握りしめ、かるくなった後ろ髪に風をはらませ走ってゆく。
地面に置いた槍は、その場に残し。
被害しか受けていないおれを、ここに残し。
そして、おれは彼女が、やり忘れたことを思い出す前に、この場を緊急離脱である。
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