あのときのさげ

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 さいきん、道端で、急に道端に座り込んだ見知らぬ女の子で年齢は十三、四歳ほどか。

 もはや。どんな顔だったかも、ぼんやりとしか覚えていないけど、とにかく、その子と特殊な遭遇の仕方をした。

 彼女は道の真ん中に座り込み、脈絡なく、わたしのおさげを、切り落として欲しい、と、おれへ頼んで来た。

 結末、おれは逃避した。わー、と言いながら。川へ落ちるふりをして。

 川の流れで、にげた。

 で、彼女とは、それっきりである。また、それっきりでありたい。

 日々、そう願っている。

 そういえば、名前も聞いた気がするけど、おぼえていない。

 記憶にないものは、しかたがない。記憶維持に使わず、あいている記憶領域には、今後、たのしい思いでも、詰めてゆこう。それでいいじゃないか。

 と、思い旅を続けていた。

 そして、その夜、とある町の宿に部屋をとった。窓、寝台、椅子があるだけの簡素な部屋である。

 部屋で光源の弱い明かりを頼りに、本を読んでいると、こんこんと扉が叩かれた。

「夜分遅く、ごめんなさい」

 女性の声がした。幼い感じがある。

 こんこん、と、また扉が叩かれた。

「こんばんは、あの」

 と、さらに、あいさつをされる。

 誰だろうか。おれは本を置き、扉をあけようとした。

「わたし、あのときの、おさげです」

 おれはすべての動きをとめた。

 こんこん、と、また扉は三度叩かれる。

「おぼえていますか、あのとき、あなたにおさげを切り落としてもらおうとした、おさげです」

 夜も深まった時間帯である。町のすべてはいままさに眠りにつこうとし、窓の外に見える家々の明かり、ひとつ、またひとつ消えていた。

 狭い宿の部屋には、小さな光源の明かりゆらめくのみである。その明かりも、いつ消えてしまうかわからない弱さである。

「あなたがこちらに、泊まっていらっしゃるとお聞きし、ご訪問するには、たいへん失礼な時間帯とは思いましたが、訊ねて来てしましました」

 微妙な気遣いを、脅威に感じる。その始末の悪さたるや。

 おれは動きをとめたまま、息をひそめた。室内の光源の明かりも扉の隙間から漏れないように、そっとさげる。

「迷惑だとは承知しております。しかし、こうして再びお目にかかりたく願うには、深いわけがあるんです」

 ふかい、わけ。

「わたしのおさげを切り落としていただきたいのです」

 やはり、それか。

「どうしても、あなたに切り落としていだきたいのです」

 いや、だからなぜ。

「自分では、切り落とせません」彼女は悲しむような声でいった。「ずっと、伸ばして来た髪です、なさけないのですが、このおさげには情がうつってしまって」

 おさげに、情ってうつるのか。

「友人たちにもお願いしました。でも、みんな、この髪が綺麗だから、とても切れないって」

 ともだち、いたのか、君。

「散髪屋さんにもお願いしました。でも、散髪屋さんも、あなたの髪は綺麗で、もう綺麗すぎて、とても切れない、って断られてしまいました」

 それは散髪屋には、純然たる職務放棄の可能性は否めない。

「いっそ、町を歩いている見知らぬ人に、お金を渡して切ってもらおうともしました。でも、だめでした―――そう、だめ、でした………」

 なんでだめなのか、その理由を語らないところに特殊な闇を感じないでもない。

「もう、わたしには、あなた様しかいないんです!」

 とつぜん、高まったのか、彼女は扉の向こうから激情をもってうったえてくる。

 やめてほしい、夜の宿屋で、大声を出すのは。

「あなたなら、わたしのおさげを切り落とせるはず」

 なにを根拠に断言しているんだろうか、彼女は。

「わたしを助けてください!」

 おれも助けてください。

 けれど、いつまでも扉の前で叫ばれてしまっては、おれが宿を追い出されるかもしれない。そこで、あきらめ、扉に近づく、おれはいった。

「いや、おれも切れない」

「どうしてですか!」

「いや、なんというか」考え、とっさに言った。「君の髪が綺麗すぎて」

 とたん、静寂が訪れた。

 猛毒を口にして、じたばたしたあげく、息を引き取った。という、感じの静けさだった。

 やがて「ぐふ」と、声がした。

 死んだのか。

 そう思った矢先に「えー、やっぱりぃ、あなたもぉ」と、間延びした口調で返された。「そっかー、わたしの髪が綺麗だって思ったですねえ、あなたもそう思ったんですねー、なら、しかたないなぁ、わかりましたぁ、そういうことだったんですねー、はーい、わかりましたー」

 で、元気な様子で扉から遠ざかってゆく。

 もしかして、彼女は髪を綺麗だと言ってほしいばかりに、この追跡を。

 まさか、あの日も、髪が綺麗といってほしいがために。

 あのときは、わからなかったことが、いつかわかることもある。

 たのしくは、ない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る