このまちでは(4/5)
アニエスの家を後にすると、ルイーズは沈黙のまま歩き続けた。
けっこうな移動速度である。ふつうに歩いていたのでは、とても間に合わない。
あきらかに様子が変わった。声をかかずらく、とりあえず、そのまま後を追う。
彼女は歩き続ける、街の中を。歩くというより、ほとんど高速移動だった。やがて、中心の地区へ入り、大通りを進む。その間、いくつか小さな森を横切る。橋をわたって、珈琲場の乱立する通りも横切る。ルイーズは影のように、音もなく、すーっと、街を移動してゆく。
やがて、とある建物の門をくぐる、中へ入ってゆく。立派な建物だった、広い範囲を塀で囲ってある。はじめは美術館かと思った。門のところには、黒衣を着て、腰に剣を吊るした兵士がふたり立っていた。
兵士たちはルイーズの姿を見ると、無言で門を開けた。彼女は歩みを一切とめることなく、中へ入る。流れでおれも中へ入る。門番は、一瞬、妙なもの見るような顔をした。けれど、そのまま中へ通した。
ルイーズが敷地内を歩く。中には黒衣の竜払いが大勢いた。どうやら、この街の竜払いたちの詰所みたいな場所らしい。いや、詰所にしては、立派な建物で、お屋敷のようだった。綺麗な庭園もある。歴史も感じる。
ひらけた場所では竜払い同士が木剣で試合をしている。一対一で戦い、稽古をしているようだった。
彼女が通ると、みんな、かならず一瞥をした。けれど、声はかけない。むしろ、避けている、あるいは、見えていないふりしているようだった。ルイーズは何も気にせず歩き続ける。
屋敷の裏手まで来た。そこには、立派な厩舎があった。彼女はそこへ入ってゆく。
おれも続いた。
中には何十頭という馬が並んでいた。かいばを食べ、しっぽをふり、眠っていたりする。
ルイーズは、そのうちの一頭の前へ立った。
国場だった。見覚えがある。
そう、はじめて、おれが彼女に会った時、彼女はこの馬に騎乗して、あの海へ現れた。
ここへは馬を取りに戻ったのか。そう思っていたものの、彼女はじっと、馬を見つめて動かない。
ふと、彼女が馬の頬へ、自信の頬を添えた。
目をつぶる。
あ、泣いている。
どうしよう、おれ。
そこでおれは。
「あの時の馬」
と、いってみた。いや、無策だった。何かこの状況へ差し込む刺激にと、ただ、言ってみただけだった。
ルイーズは目をあけ、こちらを見た。
ひどく驚いている。はじめて見る顔だった。踊りき過ぎだった。そして、この驚きの揺れで、目に溜まっていた涙が落ちた。
「どうしてそこにいるんだ」
ああ、まさか、おれがずっと着いて来ていたことに気づいていなかったのか。あるいは忘れていたのか、おれを。
そう思い、おれは少し考えてから「あんまりだ」と、感想を寄せた。
「あんまり」ルイーズはこちらの発言を受けっとって、つぶやく。「なのか」
いったい、アニエスと何を話して、何があったのか。気にならないといえば、嘘になる。
それが橋を壊したかもしれない、竜について関係あるなら、すぐでも聞きたい。もしも、竜が街に現れたとしたら払う必要がある。なのに、いつだって油断のなき人であるルイーズ、彼女はいま、完全な油断状態だった。ひどく、不安定になっている。とても、話ができそうにない。
どう接すればいいか、わからない。ふれれば、こわれそう人になっている。
けれど、いま、その猶予はない。
この街に、竜がいるかもしれない。
「ルイーズ」
と、おれははじめて、彼女を名で呼んだ。
それから、申し込んだ。
「おれと決闘しよう」
名案だとも思っていない。とっさにいっただけだった。
おれはルイーズのことを、よくは知らないし、これまでの彼女の生きた時間に、な にがあったかも知らない。ゆえに、彼女の心を立て直し方が見えるはずもない。
けれど、いま、この街に竜がいるとすると、時間はない。
だから、繊細な立て直しはあきらめ、強引を選んだ。
いや、我ながら強引過ぎだった、決闘は。
はじめておれが彼女を見たのは、あの日、あの海だった。
ルイーズは海で決闘をしていた。つよい姿がそこにあった。
だから、あのつよい彼女を、ここに取り戻す。
それで、決闘。
ひどい案だった。
とんでもなく、飛躍した案だった。
ただ、驚嘆すべきは、彼女が放った答えだった。
「わかった」
一言だけ。理由の追及はなかった。
決闘を断る装置が、生命として存在しないかのように。
それで、場を厩舎から詰所の開けた場所へ移す。
他の竜払いたちが剣技の修練している場所だった。先を歩くルイーズが周囲へ「いまから決闘する」と、宣言すると、他の竜払いは顔を見合わせた後、すぐに修練を中止し、黙って場所をあけた。
竜払いたちが、円になって、様子をうかがう。
彼女は円の中心へ立つ。
見守る他の竜払いたちその数が、およそ、三十名ほどか。みな、黒衣だった。腰には、竜骨の剣を下げている。年齢はさまざまだった。この場にいる竜払いで、女性はルイーズだけらしい。
ルイーズは凛として、その中心へ立っていた、いつしか空は曇っている、暗澹たる色になっている。
彼女へ竜払いたちの視線が集中していた。どうやら。おれの放った決闘のひとことで、彼女の心が切り替わったように見える。だとすると、とっさに申し込しこんだ、決闘の効果効能を充分に発揮していた、その役目を果たしたのではないか。
「ここでの剣を抜くは禁止されている」
と、いって、彼女は近くにいた竜払いたちへ近づき、その手にもっていた木剣をかり、一本をおれへ投げる。
最適な速度で飛んで来た木剣を受けとった。
いっぽうで、ルイーズは別の竜払いから木剣をかりて、中央へ戻る。
互いに向き合う。
腰には、鞘におさめた剣を吊るしたままだった。
彼女は木剣を構えることなく、ただ、右手に持っている。
おれも同じだった、木剣は構えず、持っているだけ。
構える気はなかった。
「わたしは」
と、彼女はいった。
よく通る声だった。
銀色の長い髪はゆれず、彼女の纏った黒衣は闇のように濃く、黒い。
「申し込まれた決闘は、絶対に受ける」
ああ、その設定は、聞いていない。
「そちらが勝てば婚姻を受け入れよう」
え、そういう設定もあったのか。
いや、そういえば、心当たりもある、その設定に。
「そして、これは竜払い同士の決闘でもある、負けた方が竜払いを辞す」
しまった、負けられないじゃないか、それでは。
というか、いま街に竜がいるかもしれない、こんなことに時間を使っている場合じゃない。
だいいち、ここにいる竜払いたちも、こんなところで、悠長に野次馬などしないで、竜を探しに行ってほしい。
で、ルイーズは強いし、勝つのは極めて困難だった。おれは対人戦闘が苦手だ。腰に吊したこの剣は、人と戦うための剣ではない、竜を払うための剣だ。
かといって、負ければ竜払いをやめろという。
「わたしからいく」
と、彼女がいった。すると、眺めている竜払いが、かすかにざわめいた。「めずらしい」と、誰かがいった。さらに誰かが「ルイーズからいくのか」といった。
どうやら、彼女から仕掛けるのは、珍しいことらしい。
などと思っていると、もう、ルイーズが零に近い距離まで間合いを詰めていた。空間転送したみたいに、目の前にいる。
彼女の両の眸が近くにみえた。
剣撃がくるだろう、そう思っていると、剣撃はこない。
そのまま体当たりされた。こちらの態勢が崩される。そこへ剣先が飛んでくる、瞬間、絶命を連想する。けれど、その連想を瞬時に消して、頭をさげる。
剣先が頭上を通り過ぎる。その間に、地面を転がって逃れて大きく間合いをとる。
距離をとると、観戦している竜払いのひとりが唖然とした口調で「よけたな」と、いった。
おれはいま、なかなかの一撃をかわしたらしい。
けれど、かわした側としては、感動は無だった。
しかも、地面を転がったので、早くも砂だらけだった。木剣を右手に添えつつ、立ち上がる。
ルイーズは、半身を向けたまま、そこに立っていた。やがて、静かに、正面をこちらへ向ける。
いまのは何とかかわした。けれど、ふたたび、いまの反応速度を再現できる気がしない。
二撃目が来る。
突きだった。
鋭く、はやい。剣先が見えない。
おれの胸を突いた。
一瞬、後ろへさがったため、衝撃がわずかに弱まった。剣先がおれの胸を突くと、彼女の長い銀色の髪が、後ろから前へとなびく。瞬間の中で、それが煌めいているのがわかった。
後退する、間合いを確保する。
そして、時間差で、心臓に莫大な痛みが走った。倒れず、けれど、そのまま、よろよろと、後ろ足で数歩さがる。
地面に膝をつき。
いや、膝をついてはならない。
相手が竜なら、動いたら終わりだった。戦っている最中に、膝をついてなどいけない。竜を前にして、死んでも倒れてはいけない。
立って剣を構える。
ルイーズは、追撃してこなかった。そこにまっすぐに立っている。
竜なら追撃している。
胸部のはげしい痛みが走る。
木剣だったから、後ろへ下がってなんとか衝撃を逃がすことで乗り切れた、痛いけど。もし、真剣だったら、完全に終わっていた、心臓をやぶかれている。
追撃してこないのも、彼女が人間だからだろう。竜なら、来ていた。
かなり痛い、身体の中で心臓が破裂したんじゃないかと思える痛みだった。
すごい痛みだ。
ひさしく感じていなかった痛みだ。
観戦していた、とある竜払いが「降参か」と、いった。
おれはそいつを見ないまま「竜に降参は通じない」と、返していた。
もっとひどい状態から、竜を払ったことがある。そう思ったせいだろうか。
ルイーズが、目を大きくあけていた。奇妙なものを目だった。
きっと、おれはいま笑っていた。
やるか。
と、決めて、おれは木剣を構えた。
ルイーズは、大きくひらた目を、ふたたび、もとの大きさへ戻す。冷静で、無表情だった。こちらの構えで、おれの戦闘能力の程度をすべて理解したらしい。
確実に実力の差を察知した。
彼女に比べれば、おれの対人戦闘能力など、たいしたことがない。ここにいる他の竜払いと同等か、それ以下だろう。
よわい、つまらない人間だと思われたか。
それは現実だ、しかたない。
ああ、心臓が痛い。こんなの、即入院だろうな、かくじつに。
けれど、この状態から大きな竜を払うつもりでやる。よくあることだし。
ここからでも戦えるのが竜払いであれ。
あやまっても許してもらえない相手、竜と遣り合うが竜払いだ。
おれは木剣を両手にもって構えた。
ルイーズへ向かって馳せる。
彼女の間合いへ入る。
彼女が上から下へ木剣を振り下ろす。
圧倒的に、彼女の攻撃の方がはやい。
おれは振り下ろされたその一撃を、右手で殴った。
真剣なら、右手が消えている。
けれど、それは木剣だ。真剣じゃない。
それが現実だ。
彼女は虚を貫かれたような顔をした。
おれはルイーズと間合いを零にして、懐に入り込むと、強引に片足を引っかけ、投げて倒した。
一緒に倒れ、彼女の背が地面につく。
そして、静寂になった。
ルイーズは仰向けに倒れたまま、きょとんとしている。
すかさず、おれは。
「いま!」
と、叫んだ。
「卑怯な手を使ったので、この決闘は無効試合で!」
誰かに指摘されるまえに、そう申請した。
負ければ、竜払いを辞めないといけないし、勝ったら、ややっこしいことなる。
なにより、はやく終わらせて、竜の方へ対処すべきだった。
ゆえに、目論んだ。
無効試合、無効決闘。
詭弁に賭けた。わかっている、質の悪い詭弁だった。
おれが宣言しても、ルイーズはしばらく倒れたままだった。
いつの間にか空はよく晴れていた。その空へ視線を向けている。
観戦していた竜払いたちも、発言に困ったように、互いに顔を見合わせている。いつの間にか、観客の数もかなり増えていた。
静寂はしばらく続いた。静かすぎて、離れた厩舎の方から、馬のいななきもきこえた。その間、ルイーズが見上げた空を、小さな鳥が通過してゆく。
風が吹き、雲が流れた。
「あおい」
ルイーズが仰向けのままそういった。空の色の感想だろうか。
その直後、詰所の外で、爆発音がした。
見ると、川の方からとんでもない水柱があがっていた。
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