このまちでは(3/5)

 十代後半くらいの女性だった、その使用人の案内で居間まで通される。

 使用人にしては、化粧の造り込みがつよい印象があった。この街の使用人は、こういう感じなのだろうか。

 にしても、昼間にしては、暗い家だった。どの部屋も、廊下も光があまり行き届いていない。

 居間へ通されると、床に絵本が落ちているのをみつけた。踏みそうになったそれを拾う。すると、べつの場所へ馬のぬぐいるみが落ちているのをみつけて、それも拾った。

「ごめんなさい」

 と、いわれた。女性の声である。

 かなり小さな声だった。

 波打つ黒髪を背中へひとつに束ね女性だった。年齢はおれより、一回りは上で、おそらく、ルイーズと同年齢か。上質そうで、深い青色の長袖の服を着ていた。ちょっと街を歩くには、不向きそうな服でもあった。

 身体はおどろくほど細く、顔に赤みの少ない。化粧も薄く、どこか思い煩いの相がある。

 おれが絵本と馬のぬいぐるみをもっていると、彼女は「ごめんなさい」と、またあやまった。そして、続けた。「わたし、そうじがうまく、ならなくて」

 そうはいわれたものの、部屋はしっかりと片付いていた。暖炉はよけいな灰がないし、窓硝子も透明に近い。棚に埃もなかった。

 だいいち、使用人がいる。

 ならば。

「アニエス」

 ルイーズが名を呼んだ。彼女は、おれの少し後ろに立っていた。おれを挟んで、彼女へ声をかけたかたちになる。

「ルイーズ」

アニエスと呼ばれた彼女は、小さな声で名を呼び返す。

 本当に聞き逃しそうなほど、小さな声だった。それから、さらに何かを言いかけて、上下の薄い色の唇をかすかに剥がして開けたけど、すぐに閉じてしまった。

 なんというか、まるで高い塔にとらわれた姫、みたいな印象の人だ。

「ルイーズ」

 アニエスが目を合わさないまま、口をひらく。

「いまは竜払いです」と、ルイーズが抑揚のない声で返す。「竜払いとして、正式な調査協力のお願いに来ました」

 いつもと同じようなルイーズの口調。

 に聞こえる、けれど、いつもとは少し違う気もした。それは、この街に来て、多少、彼女と接したから、なんとなく、わかる些細な違いだった。彼女のしゃべり方に、かすかに動揺がみられた。それを、ルイーズは強固な精神力で、覆い隠し、固めている。

 とはいえ、ふたりの関係や事情は知らない。けれど、ルイーズは自身の感情が無であることを、どうにか押し通そうとしている、そんな気がする。

いや、あくまでも、そんな気がする、という程度で、その、なんとなく。

 いっぽうで、この場においての、おれの存在、その異物感はすさまじい。美麗に描かれた二人の絵画、その絵画の枠の中に確実に画風の違う人物が、ぽん、置かれてしまったような。

 つまり、とても気まずい雰囲気だった。

 考えようによっては、ルイーズは、だからこそ、おれを連れてきたのか、ここに。

けれど、おれの存在など、このつよく気まずい分に気の中和剤になれるとは思えない。

「りゅうのひとっ!」

 とたん、べつの部屋からはじけるような声がした。

 顔を向けると、四、五歳くらいの女児が、目を大きくあけて、こちらを指さしている。

 瞳がきらきらしている。

 いい玩具を発見したときの反応にちがいない。

 彼女は全力で興奮し、持っていた犬の木製玩具を放り捨てて「りゅうのひっ!じゃないですかっ!」と、たどたどしい言い回しを駆使しつつ、走って来た。

 ルイーズの黒衣と、腰に吊るした竜払いの剣を見れば、竜払いだと誰もわかる。

 そして、どうやらこの街の竜払いは、子どもに人気があるらしい。女児は、情熱的な勢いで、走って来て、そして、おれの足元へ滑り込んで来た。

 というか、おれなのか、君が指さした、りゅうのひとって。

 ルイーズではなく。

「りゅ、りゅうの、ひとですよね! あ、あなたさん、あなたさんは、りゅうの!」

 彼女は下から突き上げるような興奮を放ってくる。けっか、場の気まずい雰囲気は、吹き飛んだ。

 よし。このまま、純真な子どもの心を利用しよう。

 おれは片膝をつき、彼女と視線を合わせて、告げた。

「きみよ、おちつくといい。この街の竜払いは、あの人だよ」

 ルイーズの方を視線で示す。

 すると、ルイ―ズは女の子を見ていた。

 アエスの方は、想い悩むような表情をしていた。

 女の子は、おれが持っていた絵本をつつく。

 絵本を見ろということらしい。開いてみると、牧歌的な絵で描かれた絵本だった。内容は、竜払いが、竜を払う話らしい。

 そして、物語の冒頭で、竜払いが竜に吹き飛ばされている絵が描いてある。

おれのいまの服装に似ている。髪型も。

 ああ、これか。と、思っていると、彼女は「でしょ」と、いった。得意げな表情である。

 おれは女児へ向け「ですね」と、肯定を返す。

 とたん、女の子は、けたけたと笑った。なにが面白いのかは不明だけど、面白いなら、まあ、よかった。

「でしょ!」と、また、彼女はいった。「でしょでしょ!」

 おれが「ですね」と、返すと、また彼女は、けたけた笑う。

 ほんとうに、なにがそこまで彼女の心に響いているのかわからない。

けど、まあ、いいか。



 けっきょく、その後、ルイーズとアニエスは、ふたりだけで話をすることになった。

 おれは、がらんとした来客用の食堂の椅子に腰かけ待っていた。

 そして、絵本の読み聞かせである。

 隣に座った女児が、おれへ絵本を読んで聞かせてくる。

「りゅうのひとに、りゅうがやられるところを、ぜひ、おきかせしたいのです!」

 と、彼女はその特殊な願望をおれで実現したいらしい。

「はい! では、つぎ、めくりますからね! つぎはね、すごいからね、こころのじゅんびしてくださいよ!」と、彼女は、はきはきとしゃべり、絵本の頁をめくる。そして、おれへ読み上げる。「やあやあ、このりゅうめぇー」

 そこには、やわらかな臨場感はある。

 なかなか、楽しい。

 けれど、心のすべてで楽しめはしなかった。橋の件がある。

 ルイーズによれば、あのアニエスが、例の破壊された橋の件について、なにか情報を持っているということだった。ふたりの対面した様子から、どう考えても、お互い知り合いだとはわかる。歳も同じくらいだろう。

 けれど、あのとき、友人の再会、と表現して、しっくり来る雰囲気はなかった。

どことなく、なんというか。

 最初は、おれも同席して、アニエスから話を聞こうとした。ところが、彼女の娘である、この女児が、母親が話している間、あの使用人の女性と一緒にいることをひどく嫌がった。そして、女児は竜払いについて、猛然と聞きたがる。

 そこで、役割分担が発生した。ルイーズがアニエスと話している間、おれがこうして、この子守をすることに。この子は、竜払いに興味があり、しかも、絵本の中で、みごと竜にやられている竜払いに似ているおれを、玩具にしたいらしい。

 家にいる使用人より、いまさっき来たばかりの相手に子守を任せる。そこには、ルイーズの連れだからという信頼性があるからだろうか。

 だとすると、やはり、アニエスとルイーズは、それなりの知り合いなのか。

 状況はさておき、とにかく、おれは知的玩具としての役目を果たそう。

 アニエスから情報は、後々ルイーズから連携してもらうことにして。

「ねえ、おじさん」

「なんだい」

「よんでみただけさ」

「そうか」

 こうした手応えのないやり取りでも、彼女は充分に愉快痛快らしい、椅子に座り、浮かせた両足をばたばたさせている。ばたばたさせ過ぎて、右の靴が飛んでしまうと、けたけたわらい、次に、片足で飛ばし、そして、靴を回収しに行く。

 靴を履いて戻り、ふたたび隣の椅子へ座った。

「ねえ、おじさん」

「はい」

「すてきな、おひげですね」

「ひげ生やしてないよ、おれ」

「ひゃーい、だまされたぁ!」と、いって彼女は笑う。「たやすいぞぅ、りゅうのひとぉ!」

 なにを、どういう部分を騙したというのかがわからない。けれど、きっと、彼女なりの、なにかがあるのだろう。彼女の中で成立した愉快。

 ここは、解析、および、深追い無用である。そのまま彼女の精神を放し飼いにしていると、彼女は絵本の読み聞かせを続行させた。絵本の内容は、一度、竜払いが竜にやぶれ後、ふたたび竜へ挑む、という内容のまっすぐな物語だった。そして、彼女は彼女なりの読みか方で、最後まで読み終えると「よめましたよ!」と、いい「おほめの、ことば、おまちしております」そういった。

「まるで滝へ吸い込まれるような、没入感のある読み方でした」そう褒めると、彼女が、きょとんとした。

 そういえば、おれは子どもの褒め方がわからない。

 そこで「わくわくしました」と、いった。

 すると、彼女は数秒ほど考えた後で「まあ、いいだろう」そう返して来た。

 妥協である。おれは「ありがとう」と、いった。

「おじさん」

「なんでしょう」

「なんで、りゅうのひとになったの」

「そこに竜がいたからさ」

「わーお」

 と、やり取りをしていると、ルイーズがやっていた、無表情だった。

 使用人も一緒だった。「おじょうさま」と、呼んで、おれの隣で絵本をひろげていた彼女を呼んだ。

 彼女は「そっか」と、いった。「もう、おわりなのね」

 絵本を手にとり、椅子から降りる。

「いかなきゃ」彼女はそういって、おれをみあげた。「では、ごぶんを」

「君もね」

 そう返すと、けたけた笑った。「まあ、うれしいわ」と、続けて、おれの膝を、ばんばん、叩く。なかなか力がある。

 ルイーズへ目配せして、ともに玄関広場まで向かう。

 そこでふと、気配を感じ、見上げると、階段の踊り場から、アニエスがこちらを見下ろしている。

そのとき、使用人の女性がいった。

「ルイーズさま」

 呼び止めた。

「はーい」

 けれど、反応したのは、おれの隣にいたアニエスの娘だった。

 使用人は「ルイーズさま、お部屋へお戻りください」といった。

 彼女はおれを見上げた。

「また、えほんをごいっしょ、しましょうね!」

 踊りでも誘うようにいって、服の裾を両手で掴んで、膝をまげて会釈した。

 そうか、彼女は、ルイーズと同じ名前なのか。

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