このまちでは(2/5)

 竜払いは、現れた竜を追い払うから、竜払い。

 なのに、竜を払ったことがない。

 その告白は、かなり攻撃力のある告白だった。なら、竜払いではない。けれど、この街では、竜払いと呼ばれている者たち。

 いや、薄々感づいてはいた。けれど、それを誰かに問いかける場面にめぐまれなかった。たとえ聞けていたとしても、誰かをひどい気持ちにされるのではないか、と勝手に想像していた。

ましてや、ルイーズ。

彼女になど、聞けなかった。ずっと、距離感のふしぎな人だったことが大きい。

 そんなことを思いながら街を歩く。彼女と、ともにこの街を歩く体験も不慣れだった。不慣れというべきか、はじめてだったので、やや、現実身にかける。なにしろ、この人と、一緒に、街を歩く日が来ることを想定して生きていなかった。

そんな、脆弱な心構えのところに放り込まれたこの現実は、じっさい、現実身をおびるまで、時間がかかりそうだった。

あるいは、最後まで現実身は得ることが出来ない気さえしている。

 彼女が黙っているのか、こちらが話しかけないで黙っているせいか、けっきょく、ふたりして沈黙のまま粛々と歩き続ける。

 壊れた橋へ向かっていた。その中で、わかったことは、まずルイーズは歩くのが早い。あと、銀色の髪が、絹のように、そろってゆれる。そして、街の人々は、彼女が通ると道をあける。

そして彼女は、前だけ見て進む。

 橋へ到着すると、情報どおり橋は壊れていた。真ん中から、爆破されたように、吹き飛び、両岸には、飛び込み台みたいな状態になっている。

 川の流れはいつの通りだった、穏やかで、水面は陽の光を浴びて、きらめいている。

 そんな壊れた橋を見物しようと、両岸には、かなりの人々が集まっていた。身なりも様々で、富裕層、および、非富裕層にいたるまで集まって来ていた。なかには、画材を据えて、壊れた橋を絵に描いている者もいた。

 周辺には、砕けた橋の欠片が散らばっていた。路面は粉塵が積もっている。橋が壊れた際に、大きな破片が飛んで、近隣の建物へぶつかったらしい。窓や外壁が破壊された建物も散見できた。けれど、怪我人は誰もいないらしい。橋が吹き飛んだのは夜で、人通りも少なかったし、なにより、そのとき、誰も橋を渡っていなかったという。

 ルイーズは、あいかわらず、無表情だった。黒衣の姿で、腰へ吊るした剣の柄の先へ、手を添えている。

 おれもいつもの草臥れた外套に、剣を腰へ吊るしている。ただ、彼女と並ぶと、自身の存在感の、非豪華性が浮き彫りになっている気がしてしかたがない。

 ルイーズが現場へやってくると、見物場所の取り合いで、ごそごそしていた人々たちが、黙って道をあけ、さらに、彼女の周辺では、円となって、近づかないようになった。

 相手がこの街の竜払いだからだろうか。彼女だからだろうか。

詳細は不明だけど、彼女の強い存在感は、まるで王のような生命に見える。

 ルイーズは壊れた橋へ、ゆだんならない眼差しを向けていた。そして、発言をしない。

 店を出るときに、おれへ彼女はいった、この街の竜払いは、誰も竜を払ったことがないんだ。

 その発言以来、なにも言葉を発しない。雰囲気で、ついて来いという気がしたのでついてきた。けれど、ほんとうに、こうしてついて来るべきだったのか、不安になってくる種類の沈黙だった。

「ヨル」

 とたん、名を呼ばれた。

 こちらも、ルイーズ、と呼んで返そうとした。けれど、呼び捨てるのには躊躇した。相手は、まるで王みたいな感じの何かの人である。

 とりあえず、視線を向けて、反応してみせる。

 彼女は「どうだ」と、漠然となげかけてきた。

 おれは両端が飛び込み台のようになった橋を見て、それから空を見た。

 そして、川上へ視線を向ける

「歩きながら話しましょう」そう提案した。「あっち方が、陽の光もあったかそうです」

 そういい、方向をゆびさす。ルイーズは黙って見返してきた。数秒間、なかなかの緊張を与えてきた後、彼女はおれが指し示した方向へ足をすすめた。立っているおれをかわし、先に行く。

おれは後から追った。

 ふたりで川岸を歩く。彼女はずっと腰に剣を吊る剣に片手をかけていた、まったく音がならない。

 とうぜんながら、歩いて話すことを提案したことには意味がある。移動しながらの方が、誰かに話を聞かれる可能性は減る。あそこには、見物人が多すぎた。

 おれは「空から飛んできて、体当してあの橋を壊せる大きさの竜なら、この世界にたくさんいます」と、伝えた。

 ルイーズは「空から竜が来れば他の竜払いだって気づく」そう話した。「目視の問題でしかない。それに夜だとしても、この街の夜は明るい」

「でしょうね」同意し、おれは続けた。「あんな大きな橋を壊せる大きさの竜が空から来たなら、かなり離れても、おれも竜を感じていたと思います」

「この街の空へ、大きな竜は飛んでこない」

 と、彼女は言い切った。

 言い切った理由は語らなかった。その理由は話せないのか、あるいは、この街では常識過ぎて話のもばかげているのか、そこは判断がつきかねた。聞けば教えてくれるのかもしれないが、いまではない気もする。

 そして、彼女はいった。

「わたしは竜を感じた。川の中に」



 竜は泳げない。

 足のつかない水中に入れば、あとは沈むだけだった。永遠に浮き上がってこられない。そういう仕組みの生物だった。

 だから、竜が川に中いた、というのが、いかに奇妙なことを言っているか、それは、きっと彼女も完全に認識した上で発言している。とうぜん、どんな竜払いに話したところで、奇異な眼差しを向けられ、かつ、相手にされない発言だった。

 けれど、彼女は自身の感覚を信じている。

 なるほど、そこで、おれなのか。

おれは、この街の竜払いじゃない。ようするに、部外者扱いだった。とはいえ、他所の土地では竜払いをしていた。なら、竜の疑いがあるこの件の調査に協力させるには、ほどよい存在、といったところか。

 そもそも、おれは彼女に自身が竜払いであるとは告げたことはない。竜払い用の剣を持っているから、それで感づかれたか。あるいは、竜払いは、竜払いがわかる傾向がある。

 そんな推測していると、彼女はいった。

「心あたりがある」

 と、いった。

「北へ向かう」

 見返すと、そう続けていった。さらにもう、銀色の髪をなびかせて歩き出している。

 おれは彼女の後を追う。

 移動する間、今回も会話はなかった。もくもくと歩く。やはりルイーズが歩けば、人々は、自然と道を開けた。彼女が生成した彼女専用の道の端を、おれも進んだ。

この街には、しばらく滞在しているけど、北にある地区へ足を踏み入れるのは、はじめてだった。住居としての建物が多い場所で、少し裕福層な人たちが暮らしていそうな印象の街並で、やはり、ここにも、小さな森がある。

 ルイーズはとうとつに「乗馬の技術はあるのか」と、聞いて来た。

 なんだろうかと思いつつ「いえ」と、答えた。

 そして、沈黙だった。後続の言葉がない。

「あの」そこで聞いてみた。「いまの、問いかけは」

「世間ばなしだ」

 と、だけ回答された。

 なんだろう、もしかして、この沈黙に対して、彼女なりに気を使ったのか。真実は、不明だった。

 彼女は、そばにいるだけで、相手に無差別に緊張を与える存在感がある。さらに、抜き身の剣のような雰囲気もある。触れれば、すっと、指先に、赤い線が出来るような。

 ルイーズの強さは知っている。彼女と初遭遇したときは、とある海辺だった。彼女の決闘にやってきた。相手の若い男を彼女はかんたんに仕留めた。相手は婚約者だといっていた。

 そこで聞いたのも断片的な情報でしかないし、まったくもって、かかわりたくない気持ちが壮烈に発動していた。なので、あの決闘の全貌はまったく追及はしていない。追及する気もない。

 それに、決闘で彼女が仕留めた相手の一命はとりとめた。

 はず。

 と、心の整合性をつけつつ、もくもくと歩き、彼女の後を追う。

「ヨル」

 と、ルイーズに声をかけられた。

「はい」

 と、返事した。

「さっき」

 さっきの、とは。

「わたしから持ち掛けた世間ばなしは、だめだったか、世間ばなしとして」

 彼女が抑揚のない声で問いかけてくる。

 おれは考えて、考え過ぎて「小さな勇気は感じました」と、答えた。

けれど、すぐ、言ったことを後悔した。

 斬られてしまうかな、そうだと困る。

 なんとしても、避けねば。

 けれど、斬られなかった。代わりに「私でも傷つくことはある」と、いった。

「ごめんなさい」

おれは謝罪した。

 というか、なんだ、このやり取りは。

得体の知れないやり取りである。

「いいんだ」彼女は謝罪を受け入れた。そして、立ち止まり、言った。「この家だ」

 足をとめると、銀色の髪が、光で竪琴でもひくように揺れて、煌めいた。

 視線を向けると、塀に囲われた土地に建っていた、少し富裕層向けらしき三階建ての住宅だった。外装は上品で、ところどころ凛々しい馬の彫刻がいくつか施されている。一階の固そう扉は、威厳を放つ色合いで、鉄製だった。塀の向こうに広がる敷地内には、ふるびた児童用遊と、くたびれた長い椅子もある。

 おれは「竜の心あたりが、ここに」と、訊ねた。

 目の前は、歴史がありそうで、古く、本当に開くのか不安になるほど、固そうな扉がある。

「そうだ」

 振り返り、彼女がおれの顔を見る。

 眼があった。やはり、鋭い。

 けれど、少し慣れていた。それで、見返しているとルイーズは数秒ほど沈黙を挟んでいった。

「友人の家だ」

 それから、静かに息継ぎめいた呼吸をして、扉を叩く。

 ほどばくして、固そうな扉は開かれた。

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