このまちでは(1/5)
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
夜、この街で三番目に歴史があって、二番目に大きな橋が砕け散った。
何かが川をさかのぼって、橋の中腹に激突し、大破した。幸運にも、そのとき橋の中腹を渡っている人はおらず、人的被害はなかった。飛び散った破片が周辺の建物へふってぶつかり、周辺の建物への物理的被害は発生した。
多数の目撃者によると、巨大な何かは川を潜って橋へ向かい、跳ねて、空を飛び、橋にぶつかったらしい。夜で暗かったため、はっきり見えた者はいない。壊れた橋は両岸に一部が残されたのみで、渡れない状態になった。
橋を破壊した巨大なそれは、ふたたび水面へ戻り、潜って、そのまま川上へ向かっていったという。
大きさにして、だいたい、二階建て家屋ぐらいあったという。大量の川の水を纏いつつ、飛び出してきたため、全貌はわからなかったものの、手足のない、まるで馬のような形態だった。
そして、それが竜の仕業だとは、誰もいわなかった。
むりもない。
この世界には竜がいる。そして、人の方が竜の世界にいる。
頑丈な街の橋を破壊する、こんなことを出来る生命など、この惑星には竜ぐらいしかいない。ましてや、なんらかの巨大な生物の激突のようだと、目撃者たちはいっていた。
それでも竜だったとは、誰もいわなかった。
いや、一瞬の出来事だったし、しかも、何かが起こるとわかっていて、橋を見ていたわけでもないし。けれど、かりに、それらの状況をひいても、橋を壊したのは竜だったと、やはり誰も思わないだろう。
なぜなら、竜は泳げない。竜は水に入れば、ただ沈む。
竜は水を飲むし、水だけで飲んで生きている。浅瀬ぐらいなら、水浴びめいたこともする。けれど、まったく泳げない生命だった。足が届かない深さでは、ただ、沈んでゆくのみだった。だから、竜は空を飛ぶ翼があっても、大海を越えてまで、大陸間を移動するようなことはしなかった。途中で、海に落ちたら、二度と浮き上がれない。
それは誰もが知っていた。この世界に生きるものは、誰もが知っている。
この街の川は幅も広く、かなり深い。足も届くまい、入れば竜は、沈むだけだ。
そして、なにしろ、竜が川を泳ぐわけがない。だから、橋を破壊したのが、竜であるはずがない。
竜は泳げない、水に沈むだけ。それが世界の決めごと、と、決めて、人は今日までこの世界で生きて来た。
だから、橋が目の前で、壊れても、竜だとは思わなかった。
ただ、ひとり、彼女以外は。
夜に橋が吹き飛んで、朝になり、昼になった。
昼には、橋が壊れたことは街中に広がっていた。おれもいつも朝、麵麭を買う麺麭屋のヨナから聞いた。
店に戻り、すぐだった、扉があいた。
銀色の髪を輝かせながら、彼女はおれが店番する本屋へやってきて告げた。
こちらは、ちょうど、猫の餌を皿へのせている場面だった。最近は、猫と一緒の朝食を食べている。
で、そんな状態のおれへ、ルイーズは告げた。
「竜だった」
あいさつもなく、真顔でいきなり言い、さらに続けた。
「誰も信じないが、わたしは見た」
おれは反応に困っていた。餌も皿へのせすぎた。
猫の方は、これは好機とばかりに、あふれた餌の方から食べている。
じつ昨日の夜中、ひさしぶりに感じてはいた。
竜を。
それも、小さくない竜を感じた。
けれど、壊れた橋からは滞在しているこの本屋は距離があったし、そのときは橋が壊れたことも知らなかった。個人的に、この街に来て以来、大きな竜は払ってないし、自身の感覚の衰えへの懸念もあった。勘違いではないかと。
そして、朝になるとルイーズが店の扉を叩いた。やってきて、まず、竜だった、と告げてきた。
おれは彼女の方を見る。
まだ、街には陽も登り切らず、朝早くにもかかわらず、ルイーズの外貌には隙がなかった。相変わらず、彫刻のような不動の表情に、黒衣を纏い、腰には剣を下げている。竜の骨で出来た、竜払い用の剣だった。その刃は、竜の骨で出来ている。
この世界は竜の世界だった。だから、竜は人間の都合に関係なく、好きな場所の出現する。
そして、人は竜が近くにいると、理屈なく心が保てなくなる、恐怖する、不安になる。
けれど、竜を仕留めるためには、膨大な生命力を消費する。竜と遣り合えば、人はかんたんに、命をとられる。けれど、竜は少しでも、傷をあたえれば、空へ飛んで逃げて行く性質がある。だから、竜を倒すより、追い払う方が、現れた竜への対処方として難易度がひくい。
ゆえに、竜を殺すことを専門の者より、竜を払う者の数の方が圧倒的に多い。なにしろ、竜は、竜の骨で出来た武器以外で攻撃すると、ひどく怒る。
竜は怒ると、他の竜を呼び、群れになり、あとは無差別に人の世界を焼く。そうやって、人の世界は、これまで何度となく、竜に滅びされた。
ただ、竜は竜の骨で出来た武器、たとえば竜の骨で出来た剣で攻撃すれば、竜は怒るが、他の竜は呼ばないし、無差別に人の世界への攻撃を開始はしない。そういう生命体だった。
そのため、竜払いは、竜の骨で出来た武器を持っている。形状は、剣とか、槍もいるし、矢の先につけている者もいる。
そして、ルイーズ、彼女。
彼女は、この街の竜払いだった。三百年間、竜の滅ぼされていないこの街の竜払いである。王に遣える竜払いだという。
おれの方は、そう、ようするに、流れ者の竜払いだった。この街生粋の竜払いではない。他の大陸では、ずっと竜払いをやってきたけど、ここでは、正式な竜払いではない、ちがう。王に認められていないし、王に遣えていない。
なにより、この街の王という存在が、いまだによくわかっていない。
王は、姿を見せないけど、この街の人々は、王の存在を信じている。誰も目にしたことはないが、王の存在を疑わない。王は、いつも人々を見守り、優しくつつみ込んでいるのだと、誰かは話していた。
けれど、それはそれとして。
いまは、目の前の彼女のほうだった。
ルイーズを見返す。
「わたし以外のこの街の竜払いは、竜の仕業ではないと断定した上で、捜査を開始している」
竜の仕業じゃない、と、断定した上で、捜査を開始。
話では、なにかが川が泳いで進んできて、それがぶつかって、橋が壊れたということだった。なにかはまだわかっていないし、やはり、竜とは思われていないのも無理はない。なにしろ、竜は泳げない。
それに、この街は、三百年間、竜に滅ぼされていない、三百年都市と呼ばれた街。
三百年間、竜にやられなかった最大の理由は、三百年間、大きな竜を街に入れなかったことに他ならない。
いや、小さな竜は街へ入って来る。ねずみほどの大きさの竜は、しかたない、街には小さな隙間があるし。それに、小さな竜は貨物に潜んでいたりする。けれど、それも、街中で育つ前に事前に確保できる仕組みがある。
この街は、地区で区切られている。そして、その地区のすべてに、小さな森がいくつもある。さらに街へ入りこんだ小さな竜は、自然とその森へ向かってしまうという。この街の小さな森には、小さな竜を引き寄せるためにもあるらしい。
ところが、あの大きな橋を壊せるとなると、かなり大きな竜が体当たりしたことになる
けれど、竜は泳げない。
この世界に生きる者なら、竜が泳げないのは誰もが知っているし、川を泳ぐ竜がいるはずもない。
そのうえ、この街の竜払いたちからすれば、あの大きな橋を壊すほどの大きな竜の侵入など、あってはならならないわけで。
「わたしは見た」
と、ルイーズはふたたび、おれへ告げた。
まっすぐに視線をぶつけてくる。おれは二十四歳になる。彼女は、きっと、おれより一回りは上の年齢そうだった。生き様の厚みの違いはあるとしても、ルイーズには、なにより、静寂にして、鋭い存在感がある。高貴さもある。
彼女から、わたしは見た。
と言われれば、じぶんは見てなくとも、そうですよね、と、返したくなる、屈したくなる眼差しだった。
いっぽうで、銀色の髪は、今日も信じられないほど煌めき、微塵の綻びがない。ある理想を反映してつくられた彫刻のような顔立ちだった。ただ、表情の変化も少ないので、そこも彫刻のようといえる。
まるで王のような、女性だった。
いや、この街には、みえない王がいるというが。
「ヨル」
と、ルイーズはおれの名を呼んだ。
彼女がおれの名を呼んだのは、はじめてだった。
「貴方なら感じたはずだ」
気配が変わった。今日までの、本屋の店番と、本屋の客という関係ではない。大きな変化があった。あるいは、彼女は露骨に、変化を入れた。
「わたしの言葉は誰も信じない。信じないことにされているから」
ルイーズは淡々とそういった。微塵の感情のゆれもなく。ただ、情報を言葉にして口にする、まるで感情を入れずに作業しているようだった。
けれど、その話をして、彼女が何をおれに求めているのかは、検討もついていなかった。
「わたしと共に来てほしい、協力を要請したい」
そういい、おれを見た。
「この街の竜払いは、誰も竜を払ったことがないんだ」
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