よめないてんないへ
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
この本屋の店主は、その日あったばかりの、おれへ店を任せたまま、どこかへ旅に出た。以来、帰ってこない。そのため、おれは店番を続ける日々である。
いま思えば、あの店主は現実に存在したのだろうか。ほんとうは、あの店主なんて、最初からいなかったのではないか。
と。
うっかりと考えてしまえば、頭の中がそういうふんわりとした方面へ移動してゆく。そんな種類の出来事だった。
しっかりせねば。
そう思いつつ、なんとなく会計台の下の籠へ入った猫を見る、灰色の毛並みの猫である。
この店の飼い猫かどうかも、さだかではない。そのあたりの引継ぎは、なかったし。
えさを与えた後、猫は眠っていた。
もしかして、いまおれが店番しているのは、この猫が見ている、夢では。
と、うっかりと考えてしまえば、あやうい精神が完成しそうになる。
落ち着きたまえ、おれ。
こういうときは、剣の素振りだ。そう、おれは、竜を追い払う、竜払い。
そういえば、いまは二十四歳だったか。ずっと、店番をし過ぎて、自身のことも、うっかり、忘れそうになっていた。そこで自分の名前をいってみる。「おれの名前は、ヨル」と。
声に出して。
店の中は、ひとりしかいないので、独り言は言いたい放題だった。
自由。
なので、もう一度。
「ヨル………?」
おや、独り言に、疑問視が入ったぞ。
こいつは危ない。
そうだ、こういうときは、剣の素振りを。いや、しまった、うっかり、さっき考えたことを、また考えている。それに素振りはもう、今日、三回ほどやった。
朝、朝、朝と、三回。
素振りに精神均衡保守を、依存し過ぎである。
そして、刻は、まだ昼にも達していない。
今日も、客はこない、まったくこない。余計なことを考えてしまう、最大の原因はこれだった。店番をしていても、この店には、お客さんがほぼ来ない。
暇なのである。暇の濃さが、すごい。おれが店番をはじめてから、やってきたお客といえば、そう。
いや、まあ、過去のことは忘れよう。とにかく、なにもない時間が生産されている。
で、ここは本屋だった。そして、時間はある。
となると、自然と、店にある本へ手が伸びる。
「これは検品である」誰へでもなく、いや、猫に宣言しつつ、おれは棚から本を取り出す。
店番しながら、店の本を読んでいった。
時間は膨大にあり、その間、大量に様々な本を読んだ。読みたかった小説、さらに小説以外も。本屋なのでいくらでも読む本はあった。やがて、読みたかった本はあらかた読んでしまった。それからは、自身の意志で選んだ本ではなく、ただ本棚の端から順に手にして、乱読を開始した。
日中、店の中では本を読み。ときどき、猫にえさを与え、屋上で剣の素振りをする。
こうして乱読によって、さまざまな読書体験を得た。
その間も、あいかわず、店へお客はほとんどこなかった。収入はない。けれど、個人的に所持金は充分にあったため、店の売り上げに、自身の生命の依存する必要はなかった。むしろ、それがやっかいでもあり、とくに、店番に、注力することなく、この日々を続けることができてしまった。
そんなある日のこと、とある女性のお客さんが来た。そして、とある本がないかと訊ねられた。店番しながら読んだ本だったので、すぐに店内の本の場所がわかった。彼女はおれの素早い対応に、いたく、感激していた。
すると、翌日、彼女から話を聞いたという別のお客さんがやってきた。そのお客さんからも、この本はあるかというふうに聞かれた。これも読んだ本だったので、すぐに在庫をみつけ、お客さんに渡した。さらに、読みごたえのある、おすすめの本はないかと聞かれたので、読んだ本の中から、一冊を紹介した。お客さんはその本も買って帰った。
その後、それら接客が噂になり、けっか、店に、お客さんがよく来るようになった。しかも、店に居着く猫がなかなかいい、と言って、猫目当てで、やって来る人もいた。
こうして、店はまたたく間に忙しくなった。
そこへ知り合いであるエマ、彼女が赤い髪をゆらしながら店へ来た。そのとき、店内はお客さんが、いっぱいである。
「うっ、お客がいっぱいいやがる」彼女は急な店の繁盛さに驚愕し、すかさず聞いて来た。「なんでお客がふえた」
おれは接客で、余裕を欠きつついった。
「暇で本を読んでいたら、お客さんがふえた」
「なぜだ」
しまった、説明を端折りすぎた。
ゆえに、彼女の疑問は、もっともである。
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