ほんかくれてき
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
漠然と本屋の店番をしていた、今日も会計台の前へ置き物のように座っている。
足もとには灰色の猫がいた。首輪はつけている、けれど、この店の飼い猫かどうかは不明だった。自由に店へ出入りする、自由猫である。
この猫へは店の倉庫に買い置きされていた餌を与えた。魚かなにかを乾燥させた粒である。
この本屋で店番を初めて十数日が経つ。これまで客は二回来た。どちらも、同じ人だった。その人は、二度とも、この本屋へ暗殺者のように気配を消してやってきて、本の取り寄せの確認と、おれのすすめる本を疑いことなく大量に買って帰っていった。
上客である。
あれから彼女も来ていない。いや、あの暗殺者のような足取りなら、完全に気配を消し、おれが察知していない間に店に来ているかもしれない。
とりあえず、いまは猫へ餌をやっている。店の床に、いかにも猫の皿のようなものが置いてあり、そこに餌を用意した。
自由猫は、たいてい様子を遠巻きから見て、その後、視線をそむける、あるいは、眠りに入る。
ほどこしには興味はない。欲望は制御できる、といわんばかりの、もっちりとした自信を全身で表現してくる。
で、おれが店の外に出た間に、すべてを喰いつくしている。
そして、毎回、自由猫は、さあ、わがはいが、食べたのかな、どうなのかな、んんー、という挑発的な態度でそこにいた。口元にはりついた餌の欠片を無意識に、ぺろりと、舌でぬぐったりしながら。
そんなふうに、猫への注目が一日の何割かをしめる生き様になりつつある、竜払いのおれである。
にしても、しばらく、剣を使い竜を払っていない。
竜を。
「………」
ふいに、気配を感じた。店の扉がひらく。
見ると、黒い色眼鏡をかけ、黒い帽子をかぶった髪の短い女性が、服の襟を手でたて、顔の輪郭を隠すような挙動で入って来た。
年齢はわからない。きっと、二十代から三十代だった。
「こんにちは」
と、あいさつすると、彼女は顔を直視されるのをさけるようにして会釈した。それから、自由猫をじっと見る。で、自由猫から視線を外すと、店内の本棚を眺めてはじめる。
すると。
「へー」
と、こちらに聞こえる声を放った。
それから、いった。
「隠れ家的なお店ね」
いや、隠れてない。
と、言いかけて、やめた。
「秘密基地的な、お店でもあるわね」
秘密にもしていない。
「それに、寡黙な店主さん」
いや、あいさつはしたぞ、人として。
「気に入ったわ」彼女はそういい、出口へ向かった。「また、お忍びで使うわね」
使うと言われた。けれど、彼女は、なにも購入はしていない。
彼女が店を出るとすぐ、交代するように見知った顔、エマ、彼女が赤いおかっぱ頭を揺らしながら店へ入って来た。
エマは扉を外へ視線を向けたまま「あら、いまの有名な人だ」と、いった。「知ってるよ、わたし」
そうなのか。
ほんとうに、お忍びだったのか。
「有名な指名手配の結婚詐欺師」
そうなのか。
ほんとうの、お忍びだったのか。
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