だいやくたたず
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
街のこの地区には大きな歌劇場がある。鯨をひっくり返したみたいなかたちの建物だった。その外観には壮観さが感じざるをえない。
巨大な看板から察するに、高尚そうな劇が上演中だった。けれど。外から見ただけで、中には入らずにおいた。おれのくたびれた外套姿では、この劇場の世界観を壊す危険性がある。かりに、入ろうとして、その入り口で係員から、あら、お客様は、はは、いやはや、まいったなぁ、はは、などと、ただ苦笑されて、察して引き返していただけますかねえ、という感じの対応をされてしまっては、いたたまれなくなる。それに、入場料の値もはる。
うかつには、立ち入ることできない。
妙な気を起こさずに、外観で満足すべし。
と、自身へ言い聞かせて、劇場を前を後にし、歩き出す。
この歌劇場の周辺には、小さな劇場がいつくもあった。演劇が集まる場所らしい。それに、ここにも、ひとつ小さな森あった。珈琲場はちらほらあった。そして、珈琲場は、どこも、ぎちぎちお客さんが入っている。
おれのように外套姿で剣を腰にさげている者は滅多にみない。街全体で剣の所持を禁じている様子はなかった。けれど、みな、服装が洒落ていて、それは剣の携帯には似合わない恰好にみえる。もしかすると、この街の人々は、着たい服装のために、剣を持たないようにしているのか。
そんなことを考えた、そのきだった。
「そ、そこのあなたぁ!」と、声をかけられた。
鍋のような形の紺色の帽子をかぶった、目に下に、くまなのか、化粧ようの墨なのか、とにかく、闇のような黒さを目の下に入れら、二十歳くらいの青年が現れ、おれの進路を塞いだ。
かと思うと、さらに、その場にしゃがみこんで。両手を広げた。
「おまちください! 話をきいていただけませんかぁ!」
激しくそう要求してくる。
それは、街中でひどく目立ってしまった。遠目から見ると、剣を持ったおれへ、彼が命乞いをしている図に見えてしまいかねない。
じつに、たちがわるい。しかたなく、おれは「立ってくれれば、話を聞きますが」と、伝えた。
すると、彼は「はいっ!」と、飛んで立ち上がる。軽快な動きだった。とりあえず、健康状態に問題はなさそうである。
ただ、やはり、挙動がだめな気がする。そう思いつつ、話をきく。
「あのですね、わっ、わたしども、そこの劇場でですね、お芝居をしておりまして! で、じょ、上演中なんです!」
彼は、両手で劇場を指さす。
視線を向けると、そこには小さな四階建ての建物がある。一階が劇場で、二階以降は住居らしい。
「い、いま、この時間に、じょ、上演中なのですが、役者が、その、だ、だめになりまして! そ、そそ、それで、きゅ、きゅ、急遽、べつの役者を探しているのです!」
「いや、上演中にべつの役者を探すといかまでいったら、断念の領域ですよね」
「だから、あ、あなたぁ!」
発狂したように叫び、彼がおれの両肩に両手を伸ばしてくる。
おれは、後ろに飛んで避けた。回避は成功した。
「だ、代役で! 出ていただけませんか、す、すごく、あなたのそのお姿がぁ、代役に、ててて、適切もぉ、て、適切なのです! あなたしか、いないのです!」
目を充血させ、よたよたと、近づき、うったえてくる。
いま彼には芝居を成立させる必要より、長い休養が必要な気がした。
「どぇ! そ、その役というのがですねぇ!」
そして、こちらが反応する前に、しなしなになった脚本の取り出し、話はじめる。
「屋敷の中で乱闘になる場面で、彼は主人公に剣で斬りかかる! 彼は全身うだつのあがらない感じの男であり! 拾う食いが趣味で、実家が落とし穴の専門業者で! 主人公のことは、いままでずっと意識したこともなかったけど、なんだか、さいきん、意識するようになったあげく、空から隕石が接近しぃ! その隕石の影響で凶暴化ぁ!」
その劇、観ている人がいるのか。
根本的な問いが、おれの中に生成された。実家が落とし穴の専門業者という件も、おいそれと見逃すには、きびしい。
「んで! んで! 彼はけっきょく、最後は屋敷の使用人たちに突き飛ばされ、階段を転げ落ち、落ちたその先で、その場の登場人物からいっせいに侮蔑の言葉を吐かれ、さらに額に煉瓦のっけられ、その煉瓦に主人公から踵落としをされ、そして、彼は言う、ふふ、落とし穴じゃなくって、踵落としか、残念だぜ、ああ、実家に帰りたい、そういって絶命! と思いきやぁああ! 床が開き! 彼は落とし穴へ落ち、落下のさなか、彼は! ああ、いま、帰るよ、とうさん、かあさん、とつぶやきながら、しかし、その落とし穴の高さが浅すぎて、中途半端に後頭部をうっただけで絶命にいたらず、そ、そこへぇえええ! その場の登場人物からいっせいに追加の侮蔑の言葉を吐かれ! そしてええええええ!」
と、彼は、独り芝居のように、熱を込めて語った。充血した目を飛び出そうな勢いで物語の最後まで語る。時間をかけて。
そう時間をかけ過ぎた。
そのため、けっきょく、その間に、上演していた劇は必要な役者不在の不完全なまま時間切れで終わってしまった。
そして、その後、代役捕獲をしくじった彼が、役者たちからから、いっせいに侮蔑の言葉を吐かれている場面を、おれは客のいない劇場の前で観覧した。
観覧料金は無料であり、時間の損である。
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