すすめたほんとそのあいて
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
いま、本屋の店番をしている。
いっぽうで、業務に関する詳細な引継ぎ作業がなかったため、本屋の店番のあるべき正解がわかっていない。
そう、わからないまま、おれは未来へ進んでいる。
ある日、とつぜん、おれはこの本屋を任された。
おれは竜払いである、人々の生活を脅かす竜を追い払う、そんな生き方をしてきた。
けれど、いまはこの本屋で、店番をしている。店番も数日が経った。
そして、客が、誰もこない。
いや、店番といっても、おれの都合で勝手に店を閉めて出かけたりしているため、不安定な営業と化している。熱心な店番とは、いえない。
けれど、いちおう、店をあけ、可能な限り店の会計台へこうして座していた。会計台の下に、竜払い用の剣を置き、そのからわらには、いつも籠に入った灰色の猫がいる。店の扉の開け閉めする度、自由に出たり入ったりする猫だった。
自由猫である。
もともとこの店で飼っていたのかも不明だった。名前の知らない猫だった。
そこで、おれは猫へ向け「自由猫」と、呼んでみた。すると、耳だけが、ぴく、っと動いた。
客はこない。けれど、猫は来る。
そのとき、店の扉があいた。気配は微塵も感じなかった。
銀色の長い髪をした黒衣の女性だった。腰には剣をさげている、ルイーズだった。年齢は、きっと、おれより一回りは上とみえる。
そういえば、いぜん、この店にも客が来たことはあった。唯一、彼女だけ。
ルイーズは台の向こうに座っているおれへ近づき、目の前に立った。
「わたしが注文していた本は届いたか」淡々とした口調で訊ねる。「大恋愛小説だ、来たか、届いたか」
本屋で、大恋愛小説、と口頭で言う人をはじめて遭遇した気がする。
届いていないので、おれは「いいえ、まだ」と、顔を左右に振った。それから「こんにちは」と、あいさつした。
彼女は律儀に「こんにちは」と返して来た。「届いていないんだな、わたしの頼んだ大恋愛小説は」
淡々とした口調なのに、どこか圧がある。十歳以下の人間なら、失神するかもしれない。
だいたい、彼女の発注した本は、どこからどういうこの本屋で届くのだろうか。発注受注業務の術も、引き継いでいない。
とにかく待っていれいいか、いずれ来るだろう。
その考えだと、少なくとも、現時点で唯一のお客である彼女の本がこの店に届くまでは、この店番は続けるべきか。
「届いていないならしかたがない,」
彼女の発声は、じつのところ、生命としてのかっこよさもある、つねに凛々しい。
「攻めはしない」と、さらに彼女はそういった。それから「本は読むのか」と、問われた。
おれは「読みますよ」と、答えた。
「では、頼んだ大恋愛小説が届くまで、読む本が欲しい。なにか好い本はないか」
何回、大恋愛小説、というつもりだろうか、ただ、言いたいだけなのかな、この人は。
その趣向の詮索はさておき、そう頼まれて、とりあえず、おれは台を離れて立ち上がる、これまでの読書の記憶を頼りに、本棚へ向かった。
彼女が背後からついて来る。すぐそばにいるのに、まるで気配を感じない。
なぜ、本屋の店内で、そんな敵に気配を察知されたいためな高度な呼吸法、および足運びを使うんだろう。
どんな本が好きなのか聞きたい、けれど、もし聞けば、誰がそっちから質問していいと許可したか、などと言われるのではないかと想像してしまい、聞けない。
黙ってお勧めを探す。
そして、その本を見つけた。棚から抜き取り「これはどうですか」と、差し出す。「恋愛小説です、遠く離れ離れなってゆく二人の物語」
紹介したが、ルイーズは無反応だった。
興味のない昆虫を見るみたいな表情をしている。
だめだったのか。そこで、おれは別の本を手にする。
「これは、犬の視点から描いた、人間家族物語です」
ルイーズは、口を閉ざして、立っているだけだった。
なので、次。
紹介する本の方向性をかえて。
「冒険活劇の本です、子どものころ、おれは大好きでした。いまでも時々読みたくなる、で、いきなり、最後の方からとか読み出したり、途中から読んだりします」
彼女は動かない。
いや、まばたきを、一度だけした。意識はある、生きてはいる。
それからも、おれはルイーズへ本を勧め続けた。小説から、小説以外にも、伝記、かわいらしい絵で描かれた小動物図鑑、さかなどろぼうのねこが登場する絵本に至るまで勧め続け、計十二冊。
ルイーズは、そのお勧めを、さながら、処刑を実行する前の人のような様子で聞いていた。
そして、その十二冊すべての本を買って帰った。
もはや、一抱えの大荷物である。
ようするに、上客だった。
腰へ剣を携え、両手の大量の本の入った袋を手にしたルイーズは店を出る際、銀色の髪を輝かせながら、こういった。
「ここ数年の人生で、一番いい日だった」
そうなのか。
なぜ。
心の中で問い返す。どうやら、彼女の幸せを、おれは気づくことができない人間だったらしい。
とりあえず、次は、十三冊勧めてみよう。
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