351~
このちには
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
ながく歩きつづけ、誰もいない海をみつけてつぶやき、あたらしく息を吸った。
砂浜に波は寄せては返す。海は、どこまでも青く、かたちを一瞬ととどめない。
太陽は高くのぼり、おれの背にあった。雲は、わずかにある。
西の海と独り向かい合う、静かだった。海鳥さえいない。
ほどなくして。外套の下から、水筒を取り出す。目の前には、膨大な海水で、いま、この地にある真水は、おれの手に下小さなこの水筒の中だけしかないな、と、思う。ただ思っただけで、それを心の中の何かへ発展させる気はなかった。
そのまま動きを止めて海を観ていた。生きて、海を観ている、それをだけをやる。
それから砂浜に座れそうな流木を見つけた。潮目が変わっても、ちょうど波に濡れそうにない場所にある。人の意思が見える配置の流木だった。近づき、座ることにする。
流木へ腰を下ろすとき、背負っている剣を外そうかどうか迷った。けっきょく背負ったまま座った。
それから、とりとめもなく考えた。ここに来るまでに、いろんなことを知った、知ってしあった。その中には、この世界の秘密に属するようなこともあった。いまいくつかの世界の秘密がおれの中に入っている。
とはいえ、世界の秘密を知った後も、生き続けなければならない。
そのとき、気配を感じた。はじめた遠く地平線の彼方から。しだいに近づいて来る。馬が馳せる足音がきこえてきた。この海へ迫って来る。見えはじめた黒い馬に、黒衣に、頭部には白い布のようなのをかぶった者が騎乗していた。馬が四肢を砂浜へ踏み入れると、つよく手綱をひかれた。馬はいななきもせず、静かにとまった。
おれは流木に座ったまま、振り返り見ていた。
騎乗していたのは女性だった。艶ある黒馬に、赤い手綱。黒衣を纏い、長い銀髪を背面に流している。光沢のある、その銀色の髪そのものが、装飾品のように見えた。歳はおれよりは、一回りは上そうだった。
彼女は無表情に近く、そのうえで静寂性と同化した奇妙な殺気があった。さらに、それ以上に、見る者に無差別に高貴さおぼえさる。
腰に一本の剣を携えていた。彼女の迷うのは、一見ただの黒衣に見えたが、間近でみると、そのつくりは繊細な細工が施されている。
彼女はおれを見ていった。
「血の無い者が、ここへ立ち入ることは許されない」
凛とした話し方だった、しかも、天から地へ遣わすような声だった。
「決まりがある、その心臓を貫く」
血の無い者。
心臓を貫く。
まさか、ここは立ち入りが禁じられた海岸だったのか、知らなかった。
正直、まいった、とか言えない。
彼女は「けれど」と、いって、馬から降りた、肩へは腰にさげた剣へ添えつつ、もう片方の手で馬をひきいて、砂浜を歩き、距離を詰めてくる。
「この馬を見ていろ、それで今日は許す」
そういわれた。
わけがわからず、とりあえず、おれは立ちあがった。すると、彼女は手綱をおれへ押し付けて、そのまま海の方へ向かって行く。
馬の面倒の経験などなかった。にもかかわらず、流れで手綱を渡され、つい、受け取ってしまった。見ると、馬の顔がおれの顔に近い。黒い馬は、大きな黒い瞳でじっと見てくる。その馬は間近で見ると、とてつもなく頼もしい生命体にみえた。
どうしたものだろうかと思いながら、けっきょく素直に手綱を持って、そこに立っていた。いっぽうで。彼女は片手を剣の鞘にかけたまま、海を左にして砂浜へ立つ。
とにかく、立ち続けた。ながい時間だった。
おれは、やはり素直に馬を見ていた。
やがて、もう地平の彼方から一騎、馬に乗って向かって来る者が現れた。今度は茶褐色の馬だった。砂浜まで来て、馬を降りる、黒い髪の男だった。二十歳くらいだろうか。そちらも腰へ剣を携えている。濃い緑の色の、簡素な服装にみえた、生地は上質そうだった。
なにより、わかりやすく耽美な顔立ちといっていい。男はおれを一瞥した。彼女の馬の面倒を見ていたことがなにか関係するのか、一瞥だけで終わった。砂浜を歩いて行く。彼の乗って来た馬は、誰が面倒を見なくとも、その場にとどまっていた。
やがて男は海を右にして立った、それから剣を抜く。
刃が白かった、鉄で出来た剣ではない。
そして、男が剣を両手で構えて彼女の方へ馳せる。
彼女も鞘から剣を抜いた、片手で持つ。
彼女の剣の刃も白い。
男が刃を振り上げ、迫ると、彼女は剣を持っていない手を伸ばした。男の一撃が上から下へと振りおろされたかと思うと、男の手から剣が消えた。それこそ、ふっ、と消えた。次の瞬間には、彼女の両手に剣を持っていた。片方の手に、男が握っていた剣を持っている。
そして、奪った相手の剣で男の真横に胴を切った。男は服の下に鎖帷子でも仕込んでいたのか、金属を弾く音がした。とはいえ、鋭い一撃だった、その衝撃だけでも、内臓に与えたものは大きそうだった。男はその場にうつぶせに倒れた。
動かなくなる。
対して、彼女はここに現れたときと変わらぬ表情で、奪った剣を、興味のない拾った枝でも捨てるように、力なく放る。砂の上に、白い刃が横たわった。
彼女はすべてのことを、単純な作業のように終えると、剣を鞘へ納めながら、こちらへ歩いて来た。おれが手綱を返すと、受け取って、騎乗する。
そこへ、おれは「あの人は」と、問いかけた。
「口をきいていいとは、許していない」
一瞥もせずに言う。
かまわず「助けてもいいんですか」と、訊ねた。
「ならん、名誉のため、この場所で死なせろ」
「おれはその、ヨルと言います、名前」と、とうとつに名乗ってみた。ほんとうに、名乗ってみた、という感じだけだった。作為はなかった。「この海を観に、ここまで歩いて旅をして来ました」
もしかすると、いきなり斬られるかもしれない、その緊張感はあった。
でも、そのうえで続けた。
「貴方たちが斬り合いに使ったのは、竜を払うための剣ですよね」
竜を払うための剣で、人間同士が斬り合った。おれには見逃すことは不可能だった。
彼女は「血は無いが、お前もそうだな」といった。「しかし、これは正しい決闘だ、わたしは、わたしの婚約者を斬っただけだ」
そう告げて、彼女は一度、おれを見下ろす。
婚約者なのか、あの男が彼女の。
「ヨル、と、かいったな、名前」
「はい」
「その名は忘れよう」
そういって、彼女は馬を走らせる。地平の彼方まで行ってしまった。
彼女の姿が見えなくなると、おれは男のそばへ寄った。彼は倒れたまま動かない。ゆっくり仰向けにすると、まだ息があった。動くのはかなりつらそうだった。どこか身体の内部が壊れているのかもしれない。おれは水筒を取り出し、吸い口を彼の口もとまで寄せた。目の前には膨大な水、海がある、ところが、なにしろ、いま彼へ与えられる水は、おれしか持っていなかった。
彼は空を見上げたまま、小さな声で「ぼくをたすければ、終わるぞ」といった。
「大丈夫さ」
おれはそう答え、水を口へ含ませた。
「秘密と生きる生き方は、みつけてあります」
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