むぎがある
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
麦畑を眺めつつ、道を歩く。
日中、竜を払い、町にとった宿への帰路である。
夕方になって町へ到着した。ふと見ると、人の少ない通りで、十歳くらいの、髪が麦色の少年が目についた。
彼の目の前には、鎮座した中型犬がいた。その犬も、麦色の毛並みである。艶といい、質感といい、見事に少年と犬は同じ感じの麦色である。
ほう、と思った。むぎいろ、だ。
で、なんとなく、彼と犬に注目していた。
少年は右手に麦色の布で出来た球を握っていた。そして、その球を麦色犬の鼻先でふる。
「ほら、テケ」少年は犬の名を呼びつつ、球をふった。犬の球への好奇心をあおる。「わかるでしょ、この球だよ、ね、テケ」
テケと呼ばれる犬は、鎮座したまましっぽを振る。うれしそうだった。
「さあ、とってこい!」
と、いって彼は、球を放り投げた。
球は町の通りを直線で西へと飛んでいった。球は、その途中、手をつないで、幸せそうに歩く若い男女の横を通り過ぎ、とある家の壁にぶつかった。すると、球は壁に跳ね、鋭角な動きで上空へ向かった。そして、家の二階の高さまで達したとき、丁度、窓があいた。球は窓の戸に打たれたかたちになり、通り挟んだ向かいの家へ向かって飛んだ。その先にもまた、窓だった。窓へ直撃する瞬間、その窓もあいた。球はふたたび、窓の戸に弾かれる。けれど、今度、球は地面へと向かった。そこへ、幌馬車が通りかかる。球は幌へと突き刺ささった、けれど、幌にはひどく弾力があり、一度、幌へ沈んだ球は、反動で、再び浮き上がった。ぐんぐんと上空へ行き、やがて、屋根よりも高くあがり、絶頂期を終え、落下を始める。その下には、さきほど球が横を通り過ぎた若い男女がいた。ふたりは向かい合い、互いに深刻な表情をしている、別れ話中なのか。球はそのふたりのもとへ、落ちてゆく。すると、彼女の方が、唇をかみしめた表情で、その場を勢いよく走り去った。それを男が負い追いかける。球の方はそのまま地面へ落ち、跳ねた瞬間、どこからともなく黒い烏が飛んできて、嘴でくわえた。ところが、球は烏の目測よりも大きかったらしい。烏は苦しげに蛇行飛行しだし、ついには球を口から離した。落ちた先は広場の噴水の中だった。その噴の中に、なぜか、さっき彼いた。彼は噴水の水に両足をひたした状態で、噴き出る噴水をあびつつ、失意の感じで立っていた。そして、彼は、わあああ、と叫び、水面を激しくたたいていた。その衝撃で、球は水分を帯びたまま、噴水の外へ出て地面を転がった。すると、静かに彼にもとへ歩みよって来た彼女がつま先で蹴った。球はころころと転がり、溝へ落ちる。その間に、あの男女は噴水の中で手を取り合った。
麦色犬は、動き出す。球の落ちた溝へ向かい、口を溝へ突っ込む。
球をくわえて、麦色髪の少年のもとへ、戻って来た。
少年は「それでいい」といった。
褒められた麦色犬は、尻尾をちぎれんばかりにふった、ご満悦である。
けれど、少年は知るよしもない、その一球の中に、とある男女の物語があったことを。
いや、知る必要はないが。
あと、男女のきみたち、いくら人生が盛り上がったとはいえ、噴水に入るのは、だめだから。
と、噴水の方を見ながら、心の中で注意した。
で、少年へ視線を戻す。
すると、そこに、少年なんかいなかった。
犬もいない。
まるで、最初からこの世界には、少年も犬もいなかったように、微塵の気配もなく、忽然と消えていた。
そして、地面に、あの麦色の球だけが落ちていた。
はたして、これは、いったいどの切り口から、考えればいいのか。
「忘れよう」
そう決めた
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