ぎゅうにゅうまつり
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
柵の向こうで牛が放牧されている、みな巨大な牛である。
えさになる草の質がいいのだろう。
道を歩きながら、そんなことを考えていた。
竜を払いため、東へ向かっていた。ここのところ依頼はますます増えていた。竜はこの世界にいくらでもいるが、その竜を払う竜払いが、いまこの土地では足りていない。
おれは西へ向かっていた、西の海を観に行く旅をしている。
で、その旅の途中で、竜払いの依頼を受け続けているうちに、いっこうに西へ向かえなくなっていた。しかも、西へ行きたいのに、東の方からばかりから依頼が来る。しかも、さいきんは依頼が一日一件以上になっていた。竜を二頭以上払う日が増えた。
竜はつよい。ただ、強い。払う際は、どんな種類、大きさでも命をかけることになる。ゆえに、日に二度以上、竜と遣り合うことは、こちらの生命力の消耗もかなり激しい。根本的に人という生命は、竜と戦えるようにはつくられていなかった。にんげんの脆弱な身体で竜と向かい合うこと自体がとんでもなく無理な行為だった。その無理を前提に行われるのが竜払いである。
とはいえ、この土地には、いま竜払いが不足している。
いろいろ、しかたがない。
しかたがない。
そう思い歩きつつ、柵の向こうにいる牛を眺める。みな、健康そうで、毛並みもつやつやである。
すると、柵のそばに看板が建っていた。
『しぼりたての牛乳を直接買いたい方は、母屋まで来て声をかけてください』
と、書いてあった。
牛乳を直接売ってくれるらしい。
なるほど。
牛乳で、栄養をつけてみよう。牛から生命力をわけてもらおう。
そう思い、おれは看板の矢印に従い、柵にそって歩いた。
看板の示した母家へ到着した。けれど、玄関先には誰もいない。そこで「あのー」と、まのびした声をかけた。まもなく、扉の向こうからなにか反応する声がきこえた。
そして、扉ではなく、窓が、ばん、と開いた。
鳥のような仮面をかぶっていた。おそらくは、十代前半の少女だった。しばらく、黙ってこっちを見て、窓を、ばん、と閉めた。
あの外貌。もしも、闇夜で遭遇したら、敵だと思って反射的に攻撃していた可能性もある。きっと、眉間をねらって蹴っていた。確実に一撃で仕留めるために。
ほどなくして、扉の方が開かれた。現れた人物には見覚えがある。たしか、ハンターという名前で、鳥のような仮面をつけて、近隣の町で、一方的の人助けをしている少女だった。
ただし、いまのところ、おれが目撃する限りにおいて、うまく人助けが達成されていない。
思い出すと、それが、少し、かなしい。
それはそうと、おれと彼女とは身長差があるため、どうしても見下ろすかたちとなる。
向こうは仮面越しから、見上げることになる。
どうしよう、牛乳を買おうと思っただけなのに。真昼の仮面の人と向き合う、特殊な経験が開始されてしまった。
やがて彼女は仮面の下からいった。
「牛乳」
と、それだけ。
以降、発言をしない。
おれは「牛乳」と、返した。
すると「牛乳」と、彼女がいった。鈴の音のような声である。それから彼女はいった。「ぎゅうにゅう」
どうやら情報がまったくうまく伝わっていないらしい。その、情報がまったくうまく伝わっていない具合は、人類史でも最高値な気がする。
やがて急に「牛乳とともに生きれば」と、ハンターは言い出した。「いずれは、わたしのようになれる」
よし、意思の疎通は、捨てよう。だいたんに、捨てようぜ、意志の疎通。
そう決めたとき、ふいに、牛の悲痛な鳴き声が聞こえた。視線を向けると、子牛が柵に挟まっていた、ひっかかって動けないらしい。とたん、ハンターは子牛に向かって駆けだす。そして、柵に挟まった子牛の半身を抱えて、引き抜いた。すごい力だった。子牛とはいえ、小柄な彼女より、遥かに重いはずだった。にもかかわず。子牛の半身を持ち上げ、引き抜き、子牛を救った。
そして、こちらへ戻って来た。
おれの前に立つ。
見下ろし、見上げる図が再現された後、ハンターは「わたしは」そういって、しばらく間を奪い、やがて続けた。「人を助けたい。ゆえに、いまはここを手伝っている」
「手伝いっている」
「ここの家のお兄さんが出ていってしまった、みんなと、牛たちを置いて」
彼女は仮面越しに遠くを見た。
「地下迷宮へいった」
地下迷宮。
「この家にひと、正確にはわたしの友人である、彼女のお兄さんが地下迷宮へ宝探しに行って、帰ってこなくって困ってる、牛の世話は大変だ。毎日が、牛乳まつりみたいなものだし」
牛乳まつり。
地下迷宮と、牛乳まつり。
短時間に、同じ口から放たれるには解離した種類の言葉過ぎて、全体的にいまいち、集中できない。
なにより、おれはここに、牛乳を買いに来ただけである。きまぐれに。
そのとき、彼女が無言のまま家の中へ引っ込んだ。戸を完全に閉めてしまう。で、ほどなくして、激しく戸をあけた。
手には牛乳が注がれた椀がある。
察したのか、売ってくれるらしい。
おれはなんとなく「牛乳」と、またつぶやいた。
「牛乳」と、彼女も答え返した。さらに「ほんらい、子牛が成長するためにだけに摂取する液体、ぎゅうにゅう」と、いった。
完全に、いらない発言である。
無視するしかなく、おれは牛乳を受け取っり、代金を支払う。
「お金」
といって、彼女は顔をぶんぶん左右にふった。
「なし」
なぜだ。と、問い返しかけたとき、彼女はいった。
「あなたは、まるで、するどい罰を受けたみたいな顔している」妙な言い回しで決めつけてくる。「あげる、牛乳を生命力に足すといい」
それから、じっと見上げて来る。
まてよ、そういえばさっき、彼女は人助けがしたいとか口走っていた。つまり、牛乳をくれるのも人助けなのか。
おれは疲れていたし。顔に出ていたか。
だからだろうか、彼女は腕を組みいった。
「生きよ」
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