うわがきはく
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
このあたりは古い建物が多い。竜に焼かれずに、百年以上を越えた町が多いためらしい。
その夜も、竜に焼かれずに百年近くを越えた町をたどり着いた。
西の海を目指す。目的は、見たことのないその海を見るための旅を続けていた。
出発当初、旅先で竜を払い、旅費を補充する算段をしていた。けれど、思ったほど、竜払いの依頼にめぐりあわなかった。このあたりに来るまで、人が大勢住む街がさほどなかったし、しかたがない。たとえ、竜がいても、にんげんがいなければ、竜を払う必要はない。旅費の補填はむずかしいので、ここは手持ちの旅費は節約すべきだった。
そこで、その町についてすぐ、安価な露店の麺麭を買いつつ、店主に「この町で、やさしい値段の宿を知りませんか」と、訊ねた。
すると、店主は「ん、そうねえ」と、店先の麺麭を並べ直しながら、少し考え、やがて「ああ、まったくおすすめはできないがね、お安く泊まれる宿はあるよ、まったくおすすめできないけどね、おしえとくよ」と、妙にいわくありげな言い方で、その宿を紹介してくれた。
その説明をもとに、その宿へ向かった。町は古い建物が多い。三階、四階建ての石積み作りが中心だった。
やがて、宿の前までたどり着く。宿も階建ての大きな建物だった。古そうだが、すくなくとも、蔦に覆われていたりしない。窓もよく磨かれている。
玄関先の階段を三つあがり、少々、大きめの扉を開ける。扉の向こうには格式ありそうな玄関広場になっていた。受付もまた格式を感じさせる。
どうも、つよそうな値段の宿にしか見えない。
その数値をうたがいつつ、受付へ向かった。そこに、褐色の三十代半ばほどの女性がいた。きりっとした、礼装めいたものを着ている。やや、生気にとぼしく、目の下に、くまがある女性だった。
おれは「こんばんは」と、あいさつをした。
女は数秒ほど遅れておれに気づき「あ、ああ、いらっしゃいませ…、こんばんは…」と、少しうつろな様子で返して来た。
つかれているのだろうか。
にしても、こうして受付に立っても思う、ここは、つよそうな値段の宿である。
とりあえず、聞くだけ聞いてみよう。
「あの、ここは、やさしい値段で泊まれるという話を聞いたのですか」
「え」
と、彼女は目を大きくあけた。目の下のくまも、それで少し伸びた。
そこに驚きがある。
やはり、ちがったか。
「あ、あ」と、彼女は口をあけ「あり、ます…」と、肯定した。
あるのか。
で、彼女は続けた。
「でも、おばけが出る部屋ですが」
おや、そう来たか。
「いい…、お部屋なのですが、おばけが出るお部屋ので、お安いです…」
すなわち、おばけ割引か。
「で…、お、お値段は、こんな感じです…」
彼女は紙に値段を書いた。ああ、たしかに、おそろしくやすい。そして、そのおそろしく安い値段で、おそろしい目に合うかもしれない、部屋に泊まることになる。
少し考えてから、おれは「泊まります」と、答えた。
やさしい値段で、泊まれる。
ならば、おばけは我慢。
おばけは我慢。
いた、おばけ、って我慢って対象方法が通じるのだろうか。
まあいい。
そして、彼女はその部屋へおれを通す。部屋は、値段のわりに、とてつもなく豪華だった。おれがこれまで泊まった宿のなかでも、最高峰の品質の部屋である。
ここにおばけが出るのか。
そして、彼女は言う。「このお部屋は、毎回、絶対に…、おばけが出るので、誰も泊まらないのです…」と。
絶対に出るのか、おばけ。
それはきっと、部屋を決める前に提示すべき補足情報だろうに。とりあえず、おれは彼女へ一礼し、部屋に入った。
そして、そのまま夜は深まり。
で、夜が明けた。おばけは出なかった。
翌朝、受付に行くと、あの女性がいた。
「おはようございます」と、あいさつしてから「おばけ、出なかったです」と、そう伝えた。
とたん、彼女はまた大きく目をあけた。それから「す、すすす、すばらっしいぃ!」と、声をうわずらせて歓喜した。
どうした、すごく喜んでいるぞ。
「こ、こ、こ、これで!」と、彼女は興奮していった。「おばけ出なかった人が泊まったので! もももも、もう! おばけが絶対に出る部屋じゃなくなりましたぁ! あははん! 絶対にぃ、絶対に、おばけの出る部屋じゃなくなったよぉおおお!」
おや、それは、もしかして、あれだろうか。
おばけが出るような、いわゆる事故物件のあとに、別の人が一回入居すれば、事故物件ではなく。
と同じ発想か。
そんなことを思いつつ、静観していると、彼女のふたつの瞳がぎろりと、おれへ向けられた。なかなかの迫力である。
「あ、あの…、お客さま…、お、お客…、さま…」じっと目を見て来る。「よ、よろしければ…、もう一泊してきませんか…、昨夜とは…、べつの部屋になりますが…、ふたたび、やさしいお値段で…」
連泊を進めてくる。しかも、べつの部屋を。
もしかして、べつの部屋にもおばけが出るのか。
考え、おれは訊ねた。
「あの、この宿は、あと何泊できますか、やさしい値段で」
「十七泊…」
おばけ、いっぱいでるんだな、この宿。
「さようなら」
そして、おれは旅を続けた。
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