たべられるきょむ
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
この町には、とある麺麭屋で売っている、真ん中に穴があいた麺麭が名物だと聞いた。
そこで、竜払いを終えた後、町を離れる前に、せっかくなので名物もとめ、その麺麭屋へと向かった。昼食時と、夕食時の合間の時間帯のためか、外から店の中を見る限り、混雑してはいなかった。店構えは、ありふれた町の麺麭屋である。
中に入ると、店内もありふれた麺麭屋だった。客は誰もいなかった。はじめて店なのに、なんとなく馴染みある麺麭の陳列だった。店の壁側には、小さな椅子と食台がおいてあり、買った麺麭を店内で食べてもよさそうである。
さっそく、真ん中に穴のあいた麺麭を探した。棚には、長い麺麭、丸い麺麭、保存が利きそうな麺麭、保存が脆弱そうな麺麭、貝のようにぐるりと渦巻く麺麭、さまざまな麺麭がある。けれど、真ん中に穴のあいた麺麭はみつからなかった。
売り切れたのか。名物というほどだし、来店の時間帯も微妙だったし。
けれど、また、いつこの町の来るかはわからない。
ここは、ひとつ、店のひとに訊ねみよう。決めて、店番をしていた女性を見た。
二十代後半ほどだろうか、彼女は接客台の向こうで、頬杖をつき、なにか濃密な物思いにふけるような目で、なにもない壁の一点をじっとみつめていた。
おれは「あの」と、声をかけた。「穴のあいた麺麭がこの店で買えるときいたのですが。売り切れでしょうか」
訊ねると、彼女は頬杖をそのままに、眼球だけ動かし、こちらの顔を見た。三秒ほど凝視し、やがて。ゆっくりと身を起こし、店の奥へ入ってしまった。
その場で待機していると、彼女は、手に麺麭をひとつ持って戻ってきた。
それを差し出してくる。見ると、その麺麭は、輪になっていて、たしかに、真ん中に穴があいている。油であげているらしい。
で、彼女は沈黙を保ったまま、人差し指を立てて見せた。麺麭の値段らしい。おれはそれを支払った。
すると、彼女は店内に設置された飲食用の椅子へ視線を向けた。そして、やや、かすれた声で「あそこでさ、食べなよ…」と、いった。
そう言われ、空いた椅子を見る。気づくと、彼女は椅子を見ているおれを見ていた。
独特の空気感攻撃である。
そこで、空気を変えようと「この麺麭は、なぜ、穴があいてるんですか」そう問いかけた。
すると、彼女は「わたしの心に、穴があいてるからよ」と、答えた。
困るしかない回答だ。と、思いつつ「そうですか」と、だけ返した。
そして、椅子に座る。
光の速度で食べ、光の速度でこの店を出よう。
と、思っていると。
「あの人もむかし、よくそこに座っていたの…」
向こうから何か言ってきた。けれど、かまわず麺麭食らう。完食を目指す。むろん、味は感じない。
「わたしはね、そうやって、わたしの心にあいた穴と同じような麺麭を、みんなに食べてもらいたいの…、ずっと…、永遠に…」
だれだ、この店の麺麭が名物とか言ったやつは。みつけたら、首を掴んで、首投げしてしまいたい。
「だけど、あなたは、夢をあきらめないで」
そんな発言を放たれる会話の流れの心当たりはまったくなかった。
「わたしには、それだけが、わたしの生きる喜び…」
いや、趣味でもみつけたらどうだろうか。
と思ったが、なにもいえず、おれは麺麭を食べ終え、椅子から立ち上がた。
「そう、あなたもやっぱり、行ってしまうのね…」
かすれ気味の声で言う。
「そして、あなたもまた、もう二度とここへは戻ってこない…」
そう言われ、おれは心の中で、答えていた。
ええ、まあ。
だめだ、体内に虚無を取り込んでしまったらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます