そのてきからしるさかなのあじ
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
海辺の町に来ていた。
この大陸の海辺には町が多い。内陸部にあるのは、主に農園を営むことを目的にして存在する集落ばかりだった。竜がどこにでも現れるため、この大陸に生きる人々はなるべく、一か所に集まって住む傾向がある。対象にするとき、個人で竜払いをしないで済むから。
以前いた大陸では、竜払いが所属する協会があった。竜を払う依頼を一括管理する仕組みをとっていたため、依頼料の平準化がなされ、個人でも安価で竜を払うことが出来た。けれど、この大陸に、あの協会の仕組みはない。竜払いは完全に個人で依頼を受ける。そのため、依頼料は、以前いた大陸より高い。ねずみほどの大きさの竜を払うのも、そう安くない。
いや、竜を倒すよりは安価ではある、とはいえ、相手は竜だった。
で、おれは今日の依頼を終えて、食事をしようと、その町へ立ち寄っていた。鮮魚市場があり、そこで買った新鮮な魚を近くに食堂へ持ち込めば、料理人が料理してくれる。そんな、浮足立つような仕組みが存在する町だった。
市場のどの魚屋も、活気があり、客の眼はらんらんと輝いていた。見たことのある魚も、見たこともない魚もある。はたして、どこの魚がおいしいのだろうか、種類が多く、無知も合わさって、なかなかの迷いどころである。
そのときだった。
「どろぼう!」
と、背後から叫びが聞こえた。
甲高い声だった。
振り返ると、四十歳ほどの男性がこちらへ向かって駆けてくる。いかつい表情に、いかり肩をしており、くたびれた布地の服を着ていた。
彼は必死の形相だった。
そして、彼の行く先には、いま、おれしかいない。
どろぼう、なのか、彼は。
察するに、彼の走り方、あしはこび足運びには、鋭さや洗練さが不在である。特別な対人戦闘能力は有してなさそうだった。得物を所持している様子はない。
で、いま、おれは剣を背負っている。
けれど、この剣は竜を払うための剣である。特別な仕上げで刃が入っていないので、なにも、きれない。なにより、人間とやり合うための剣ではない。
それに、おれは竜払いである。対人戦闘は苦手だった。専門外だ。
けれど、どろぼうが、いま、こちらへ走って来る。そして、ここには、おれしかいない。
やるしか、ないのか。
素手にて、とっくみ合いを。
と、思っていると、男の後ろから、なにか小さい影が追って来ているのに気づいた。
ぜんしん、茶色い猫である。
口に、魚をくわえていた。
やがて、男は走りながら、はっ、となり振り返り、猫を見ていった。
「あ、追い越してた…」
甲高い声だった。よく見ると、走る時に邪魔にならないよう、彼は前掛け横にずらしている、どうも魚屋らしい。
いっぽう、猫は、魚をくわえて走り続ける。まっしぐらであり、どこか、うっとりしている。噛み締めた魚から、良き成分が出て、すでに口の中に、素晴らしき味の世界が展開しているらしい。
けっきょく、猫は魚をくわえたまた細い裏路地へ入ってしまう。そこは、彼の身体では、もはや、追跡不能な幅だった。
そして、おれは思った。
そうか、猫が盗むくらい、あの魚は美味いのか。
無情にも、これから食べる魚が決まった。
ただ、せめて、彼の魚屋で買おう。彼の店にはあるはずだ。そして、魚の名前はわからないから、こう言おう。
猫がくわえていた、あの魚を、ください。
おかしな客の完成である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます