いきざまれ

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 いま目の前に、ひとりの男の墓石がある。

 空は青く晴れ、風はそよいでいた。その墓は、なだらかな丘の中腹に生える、木の下に存在する。おおよそ百年ほど前にたてられたものらしい。長い年月を、雨風になでられ、陽を浴び、角もとれて、まるみをおびつつある墓は、ひっそりとたっていた。

 墓の下に眠るのは、ひとりの竜払いの男だった。墓は百年前にたてられたので、彼が生まれ、生きたのは時代百年以上前のことになる。

 その竜払いは、読書は好きだった。この大陸ではめずらしい、剣を使って竜を払う竜払いだったと聞く。

 そして、彼が生きたその時代に、いまでも名著として名高い、一冊の小説が出版された。いまとちがって、印刷技術はさほど高度ではないまま出版だった。けれど、当時、その小説は流行りに流行り、誰もが読み、誰もが感銘し、この大陸に生きる人々の言語にさえ、影響を与えたという。

 その本の題名は『毛虫』という。おれも読んだことがあった。いま読んでも、おもしろい本である。

どういうあらすじの小説かというと、ひとりの男が、生きることの理不尽さに悩み、苦しみ、けれど、やがて恋の喜びを知り、それからはその恋の喪失におびえつつ、様々な体験を得て、この世界をしってゆく、という感じである。

 で。

 いまこの墓の下で眠る竜払いの男も、この『毛虫』という小説に感動したひとりだった。彼は、幾度となく読み直し、そのたびに、物語の終盤の頁になると、感極まって、ぷるぷると、ふるえだしたらしい。ゆえに、周囲から、彼がぷるぷるしだすと、おっ、また、あの本を読んでるし、そして、読み終わろうとしているな、とわかった、とも伝えられている。

 いや、彼が本を読み終わるのが、ぷるぷるでわかったとして、だから、どうということもない。

 とも、伝えられている。

 彼は、とくに、本の中に出て来る、ある台詞が好きだったらしい。

『わたしは魂を取り出して、陽に当て生きた―』

 という台詞だった。

 彼は、この台詞が大好きだった。それで、あることを決めた。彼は竜払いである、いつ、竜と遣り合い、生命を落とすかはわからない。だから、もし、死んだらじぶんの墓標に、この台詞を刻んで欲しい。

『わたしは魂を取り出して、陽に当て生きた―』

 その竜払いは、口頭でそれを近親者に伝えた。

 もし、じぶんが死んだら墓標に『毛虫』という本に出てる、この台詞を刻んでほしい。

 そう伝えてから、七十年後、その竜払いは亡くなった。九十五歳のときである、老衰だった。彼の葬儀の後、遺族によって、この墓標はたてられた。

 そして、いま、おれの目の前に立つ彼の墓標には、その名とともに、こう刻まれている。

『毛虫』

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