かいだんきょうこく

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 そこは階段峡谷と呼ばれていた。

 長い年月、そこを水が流れ、地面を削り、溝をつくる、その溝をさらに降った雨の水の流れが削り、幾年月も過ぎ、溝は深まり、ところが、ある時期からこのあたりには雨があまりふらなくなり、陽の熱でかわき、川は干上がって途絶え、やがて、川のない峡谷となった。

 そして、ここまでは自然に生産だった。階段の峡谷と呼ばれる理由は、その先にある。

 五十年ほど前、ある男が、この峡谷の斜面を削りはじめた。たいした道具は使っていないという、とにかく、ひとりで、手作業で、ひたすら斜面を削りだす。

 はじめは誰も気にもしなかった。気づいたのは、その男が峡谷の斜面を削りだしてから、数年後だった。

 峡谷の斜面に階段が出来ていた。それも、ひとつではない。谷のうねりにそって、斜面という斜面に、階段が出来ている。階段は、斜面を削ってつくられていた。

 日々、峡谷の斜面は階段にされてゆく。他の者たちが気づいた後も、男は峡谷の斜面を、階段化し続けた。

 なぜ、その男が、ひとりでひたすら峡谷の斜面を階段化しているのか、その理由は誰も知らなない。最初は農地化でもしようとしているのではないかと噂にもなった。かれど、男は一切の言葉を話さず、話かけても答えようとする素振りもなかったらしい。屈強な身体を持ち、嘲笑い気分で邪魔をする者を、返り討ちにした。

 周囲の人間も、その行為を強く止める理由をもっていなかった。峡谷は町からかなり離れているし、生産的な何かを見いだせる土地でもなかった。川も流れていないし、ひたすら干上がった峡谷でしかない。

 峡谷の斜面を階段にし続ける男の存在は、異質だった。けれど、月日が重なってゆくと、人々は異質にも、いつしか慣れ、土地の者は誰も気にしなくなった。

 男は峡谷を削り続け、階段へ変えていった。十数年かけ、片面のめぼしい斜面はすべて階段へ変えしまい、次に反対側を階段にしだす。

 男の作業は、星のかたちを変えているといえた。そして、峡谷の両面が階段化されつくされた、ある朝に、男は階段の中腹で眠るように息絶えていたという。

 数奇なことに、残された壮大な光景となった階段峡谷は、後に芸術面から評価されることになる。

 生涯をかけてこの階段をつくりつづけた男に対し、ある芸術家はこう評した。

『この峡谷に対する評価は分かれる。しかし、これはある男の作品ではある』

 さらに、こう続けた。

『その男はこの作品にすべてをかけ、やがて男もこの作品の一部となった』

 と。

 正直、芸術的な評価は、おれにもよくわからない。

 けれど、その階段峡谷はいまもその姿のまま残っている、それは現実だった。長い年月は過ぎているものの、長い年月をかけてつくったためか、大きく壊れることなく、その時代の姿を保っている。

 そして、おれは、いま、その峡谷のふちに立って眺めていた。ひとりの男が、つくった階段たちを、ただ見ていた。

 谷の縁に立ち。峡谷の隅々へ、自由自在に展開される階段たちを眺めながら、階段を降りる。立つ場所や高さによって、様々な光景となる。

 なぜ、男がこれをつくったのかは、わからない。けれど、この光景は、言葉では表現でいない何がある。

 などと、考えてさらに一歩、階段をくだった。

 けれど、その瞬間、足を踏み下ろそうとした段に、何か、籠のようなのを発見する。

 よく見ると、鳩の巣だった。

雛も、親鳩もいる。

 一家集合状態の鳩の巣が、足を降ろそうとした先の段にある。

 鳩の一家と、目があった。

 親子ともども、みんな、ここに集合しています、くるるるる。

 という声がきこえた。気がした。

 瞬間、おれは慌てて足を降ろす先を強引に変える。けれど、焦り、しくじって、巣への意図しない襲撃は回避したものの、その先の段を踏み外し、横転状態で転がりそうになる。なんとか、手をつき、剛力を駆使して立て直しを図り、片手前転に近しい状態でどうにか頭部をぶつけることなく数段先の下へ着地したものの、その勢いに耐え切れず、そのまま階段を疾走してくだり、かなり下まで降りた頃、ようやく身体は止まった。

 わずか数秒のできごとである。息はおそろしく乱れていた。

 見上げると、階段の至るところに鳩の巣だらけだった。

 谷の向かいも鳩の巣だらけである。

 鳩の、国なのか。

 そして、思った。

 もしかして鳩たちが巣を設置しやすくするために、この階段をつくったのか。

 今度は、無数の鳩の一家たちと目が合う。

真実は不明だった。

 いずれにしろ、あれである。

 あやうく、おれもこの作品の一部になるところだった。

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