あらしのやつ

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 竜を払った帰り、嵐に襲われた。つよい雨と、つよい風の合わせ技に遭う、しかも、陽はとっくに沈んでしまっていた。

 日中、竜を払うことに手間取り時間がかかった。小さな竜が、広い農園なかへ入り込んだため、見つけるに長時間を投入することになった。

 なんとか竜を空へ還した頃には陽はすっかり沈み、しかも、雨が降り出した。その雨は、またたく大粒になり、風も吹いて来た。

 ほどなく暴風雨の完成となる。滞在先に選んだ町へ戻るため、外套の前をかたく閉じて道を進んだ。向かい風は、まるで透明な壁を押しているようだった。このままでは宿のある港町に着くころには、朝になる。

 いっそ、農園まで引き返し、その屋根の下ををかりるか。いや、ここまで来てしまったし、いまから引き返したとしても、それなりの時間も体力もかかる。

 どうするか。決断しかけたとき、暴風のなかに、にじんだ明りが見えた。

 屋敷がある。横殴り雨のなか、その輪郭が見えてくる。

 そして、雨の壁の向こうから、ぼんやりとした明かりが浮かんで見えた。屋敷の窓から誰が手招きをしていた。

 農園からも町から離れ場所に建つ屋敷である。素性はまるでわからない。いや、向こうからすれば、こちらの素性だってわからない。

 とりあえず、手招きが見間違いでないかを確認するため近づく。風はより強まり、外套のうえらくまなく全身を攻撃して来る。

 見間違いではなかった。屋敷に近づくと、一階の窓から、屋敷の使用人が白髪の老人は、おれへ手招きをしていた。互いの表情がみえるところまで来ると、彼は屋敷の玄関の方を指差し、明かりとともに窓から離れた。

 玄関からなかへ入れという合図なのか。つよい雨だし、夜もふけてきた。雨宿りをしてゆけと。

 雨と風はますます激しくなる。

 やがて、玄関の扉がひとりでに内側へ開いた。窓の向こうに見えた、光源を手にしたあの白髪の老人が、扉の合間から、あの手招きをしている。

 暴風の壁をおして玄関までゆく。扉は開け放たれたままだった。中を覗き込むと、小さな蝋燭がひとつ灯っているだけである。

 ふと、気配がした。窓で見た老人が光源を手に闇の壁となった奥からやってくる。目の前に立つ。彼は思っていた以上に、年老いていた。

「この雨のなかでは、どうにもなりますまい。どうぞなかへ」彼は目を合わさずにいった。「奥様には、つねに、困っている方を助けるよう申しつけられておいますので」

「ありがとうございます」

 おれは礼を述べて、中へ入る。ずぶぬれの外套から、床へ大量の雫が落ちた。屋敷を汚し、申し訳なく思っていると「お気兼ねなさらないでください、あとでわたしが掃除いたします」といった。「わたしの仕事ですから」

 屋敷のなかに入ると、聞こえる風と雨の音も変わった。まるで巨大な怪物の腹の中にいるような気になる音である。

 使用人の老人は、何も発さず、動きでついてくるように伝えて来た。おれは背負っていた剣を外し、鞘から抜けないようにしばって固定しつつ、廊下を進んだ。

 屋敷全体がひっそりしていた、明りも老人が手にした光源ひとつだった。

 硝子窓一枚を隔てた向こうは、世界を無差別にかき混ぜるように荒れ狂っていた。広間まで通される、暖炉の火がついていた。老人は「ここで嵐が止むまで、お過ごしください」といった。そして続けた。「おそらく、嵐は朝まで終わらないでしょう」

 頭をさげた。暖炉のそばへ行き、濡れが外套を乾かす。冷えた身体に、暖炉は最大のもてなしだった。

 おれは「ぜひ、奥様にお礼を申し上げたいのですが」と、彼へ伝えた。

 けれど、顔を左右に振った。

「奥様は、ただいま鍵盤を弾いておられます」

 鍵盤。

 鍵盤楽器のことか。

「奥様は、こういった嵐の夜にしか、鍵盤は弾けないのでございます」

 彼にそう告げられ「嵐の夜にしか弾けない」と、反射的にそう言っていた。

「はい、奥様は、あの楽器を、こういった嵐の夜以外に弾くことができません。もし、嵐のとき以外に弾けば」彼はそこまでで言葉を止め、視線を外した。「申し訳ありません、これ以上は、使用人としてお話できません」

 嵐にしか、演奏できない。しかも、くわしくは言えない。

 何か事情がありそうだった。

 そして、いま、まさに、この屋敷の主と思しき奥様という人物が、鍵盤楽器を弾いている最中らしい。けれど、嵐は激しく、音が屋敷のなかまで聞こえてくるため、演奏は広間まで聞こえてこなかった。そのため、本当に弾いているのかさえわからない。

 それに、まだその奥様を見ていない。

 あるいは、その奥様という人物が本当にこの屋敷にいるか。

 考えたそのとき、ふと、嵐が急に止んだ。おそらく、この屋敷が、嵐の中心に入った。

 嵐の音も途絶える。

 すると、屋敷の奥からきこえて来た。曲だった。鍵盤楽器の演奏である。

 それを耳にしたとたん、おれは、はっと顔をあげた。

 使用人の彼は、こちらをじっと見ていた。

 そして、おれは彼へ目で問う。

 下手、なんですね、すごく演奏。

 彼も、表情で返す。

 ええ、まあ。

 我々に言葉はいらない。目で意思疎通が果たされた。そして、奥様の演奏をおみまいされつつ、おれたちふたりは、おそらく同時に思っている。

 嵐のやつめ、はやく戻ってこないだろうか。

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