なまずをよこぎる
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
青空の下、小高い丘から、この大陸特有の大森林を観察していると、前方の上空を竜が横切った。
中型の竜で、牛二匹ほどを合わせた大きさだった。飛び方から察するに、竜払いによって、払われた竜らしい。
竜は身体を上回る幅の翼へ風をつかまえ、大森林にではなく、木々のふちへ沿うようなに南へ上空を進んでゆく。
その竜の後ろ足に、人が掴まれていた。片足を、足で掴まれ、逆さ吊りである。
全身青い色の服を着ていた。三十代ほどの男性である。
で、その男性と目があった。
しかも、いぜん、遭遇したことのある人物である。
なんだろう、この狂った再会は。
彼は竜の足に捕まれ上空から逆さまの状態で、おれへ、やあ、と、手をあげてみせた。
あの状態でまだ余裕がある。なかなかどうして、奇怪な精神の持ち主である。
まぼろしなら、いいだけどなあ、と願い、けれど、ちょうど、おれは空腹であり、その空腹をしっかり感じるので、まぼろしではない。
おれは「そうか」と、誰へでもなく、なにかをあきらめるように、つぶやいた。
とりあえず、竜はまだおれの視力の充分きくあたりを飛んでいた。丘の下には小さな溜め池がある。おれはあしもとにあった石を拾い、それを竜へ向かって投げ、ようとした、瞬間、竜が足から青い人を離した。
かんのいい竜である。
いっぽう、青い人は地上へ落ちてゆく。
けれど、幸運にも下は池。
けれど、よく見ると、それは池ではない。
沼だった。青空のせいで、池に見えたのか、あるいは、おれが池と思いたかっただけなのか。
いずれにしろ、青い人は沼へ落ちた。突き刺さるように落ちて、全身が埋まってしまったので、きっと、沼は深い。
まあ、でも、よし。
と、考えつつ、丘を駆けてくだる。沼はさほど広くはない、半分は森へ、半分は森の外へ広がっていた。
沼の縁まで行くと、手を伸ばしても届かなそうな距離の表面で、ぶくぶくと、気泡が発生していた。
やがて、その気泡部分が持ち上がり、浮き上がって来る。
なまず、であった。猫ほどの大きさのなまずが、沼の底から浮上してきた。
けれど、次の瞬間、なまずを頭部に乗せたまま、青い服装の人が浮上してくる。彼は、あたまに乗っかったなまずを両手で掴むと「失礼」と、魚類へ告げて沼へ戻し、それから、こちらへ向かって歩んで来る。
「やあ、ヨル氏」
と、彼は青い服に沼の泥を混ぜた状態で、声をかけて来た。なかなかいい声である。
彼には落ち着きがあった。そして、この場面で落ち着きがあるということは、やはい奇怪な人に違いない。うたがいは確信へと昇華していく。
「ハトリト」
彼の名は覚えていた。
たしか、自称、作家である。
なんの作家なのかは、知らない。
「ふふ」と、ハトリトは笑った。「ははは」
いったい、何がおかしいのかは、わからない。ただ、彼自身が、おかしいとわかるところが、せつないところである。
「妙なところで再会するね、竜払いの、ヨル氏」
「無事そうですね。では、これで」
「まあ待ちたまえ、ヨル氏」
「嫌です」
反射的に正直な答えをしてしまう。
そこで、おれは深呼吸した。そして、冷静になって「嫌です」と、それでもやはり拒否をくだす。
「わたしが何をしていたのか、気にならないかい」
「なりませんね」きっぱりと答えてゆく。「気になったら、おしまいだという姿勢で生きていますから」
「この大森林の調査をしていたのだよ、ヨル氏」
こちらの拒否にかまわず話してくる。強引な突破をはかってくる。
そして、ハトリトは森の方へ視線を向ける。
この大陸を覆う大森林を見た。
「ふふ、それがどうして、竜に掴まれて飛んでいたかって」と、彼は聞いてもいないのに話はじめる。
おれは、まだそこにいて、ひげを、ぴく、つかせている沼のなまずを観察しながら「その話しは長引きますか」と、訊ねた。
「この大森林の調査中に、あの竜と遭遇したのさ。雇って同行していた竜払いが、竜を払い、あの竜が空へ飛んで行く際、竜に掴まれたのさ、この足をね」
「そうですか。想像できる範疇のお話だったので、感心する部分は零ですね、無です。話されようが、話されまいが、かくじつに、おれの生きざまに一切、影響を与えない話でした。では」
素早く感想を述べることで、おれはこの場面から引き上げをはかる。
「まあ待ちたまえ、ヨル氏、そこのヨル氏」
おれは「あの、用事は何もないのですが、急いでいるんです、心が、なので、これで。いや、ほんとうに、予定はありませんが、どうしても気持ちの急務があり」と、なるべく不誠実な返しをした。
「なるほど」と、ハトリトはうなずき「わかったよ、ヨル氏」と、納得したらしい。
いや、いまので納得する方も、どうかしている。けれど、そこを指摘すれば、長引く可能性は高い。
無言でいると、やがてハトリトは「さよならだ」といって、沼の奥の方へ歩いてゆく。奥へ進むたびに、彼の身体は沼の深みにはまって沈んでゆく。
わざわざ沼へ戻ってゆく必要など一切ない。進めば進むほど、どんどん、ハトリトは沈んでゆく。けれど、歩をとめない。なまずを横切り、進んでゆく。あきらかな無茶をして、こちらの気にかけてもらおうという様子が痛々しく、かつ、いとうしくはない。
やがて、身体の半分が沼へ埋まった頃、彼は悲しい目をして、こちらへ振り返った。それから、淡々とした口調で「とめないと駄目だろ」と、こちらへ苦言を呈してきた。
おれは「息の根をですか」と返した。
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