ふたつのふたり(3/3)

 空が見えた、曇っていた。

 部屋の天井がない。身体には瓦礫に包まれていた。

すぐそこに、笑ったまま顔の固まったイレザーがいる。

 トーマシンはいなかった。

バードもいない。

 部屋ごと地上へ脱出したのか。地下の部屋がそのまま地上で出ている。爆発は、床を押し上げると同時に、天井も吹き飛ばした。

 どういう仕組みなんだ。天井も爆発させて、けれど、天井がおれの身体に落ちてこなかった。

 いや、いまはそんな疑問は放っておけ。

頭の中で吐き捨てて、立ち上がる。身体を覆っていた瓦礫がばらばらと音を立てて落ちる。

 立ち上がる。イレザーの部屋は見知らぬ場所にあった。完全に外だった。

 周囲を見回すと、廃墟のようだった。まわりにも建物も残骸が見えた。けれど、そのどれもが、何年も前に主を失って、うち捨てられたものだった。新鮮な残骸はこの部屋関係のもののみだった。

 イレザーを見る。やつは、廃墟に壁へ寄りかかって座ったまま、まだ笑みを浮かべていた。息はある。

 外の光にさられたその姿は、どこでいる老人だった。

 やはり、彼女の姿はどこにもない。

あの男もいない。

 トーマシンはまだこの地下いるのか。思ったとたん、全身の血が逆流した。

 けれど、すぐに焦るな。と、自身へ言い聞かせる。

 それで、おれは背中に背負った剣へ手を伸ばす。鞘から引き抜いた。竜を払うための剣は、竜の骨でつくられているため、剣身が白い。

そして、おれの剣は、刃を入れていないため、何も斬ることはできない。

 その剣を握り、吸を整えた。振った。思い通りに剣を振れている。身体に致命的な痛みもない。問題なくやれる身体だった、その確認を終えて、剣を鞘へ納めた。

 そして、イレザーの元へ寄る。地上の明かりに晒された彼は、やはり、どこにでもいる老人にしかみえなかった。ひどく、疲れているようにも見える。

 おれは手持ちの有り金の袋をイレザーのそばへ置いた。やつは、それを一瞥して、こちらを見上げた。

「知りたいことがある。金を払うから、教えてくれ」

 イレザーはじっとおれを見上げていた。

「もしそれを教えてくれたら、この金と、あと、あなたが知らないとんでもない秘密を教える」

 そう告げると、イレザーは笑みを消した。そして、新しい笑みを浮かべた。

「彼女まだ下にいるはずだ、この下に行く方法を教えろ」

「生き埋めです」

 イレザーが答えた。

「狙っていたのです、あの青年を生き埋めにして、やつけようと、最初から、狙っていました。あの娘が来れば、あの青年もあそこに来ると、わかっていたのです」たのしそうに、勝手にしゃべる。「あの竜の力を持った青年を地下に埋めて、息の根を止めます。あとでゆっくり掘り起こして、あの青年の亡骸を徹底的に調べるのです。秘密がわかって、本物の竜の実は大きな商売になる。わたしはまだまだ、大きく成長できます」

「あなたのその狂った希望の話いらないし、いまは、まっすぐにおれの質問に答えた方がいい、手遅れになる」

 イレザーはまた笑った。それで、小さくせき込んだ。それから、笑った。

「あの部屋は町中の地下通路につながっているのです。お伝えしましでしょ」また、やつはせき込んだ。「お客さんによって、わたしがお客さんを通す部屋はちがいます。ですが、わたしの部屋はここひとつです。この部屋が外に出ると同時に、他の部屋も、地下通路も壊れる仕組みです、いまその部屋もぜんぶ、埋まりました」

 そして、笑う。

「そうか」

 おれはそういって、大きく息を吸って吐いた。

「約束通り、とんでもない秘密を教える」おれは彼へ告げた。「さっき、あなたが読んでいた推理小説を、おれは読んだことがない。犯人なんて知らない」

 そういうと、イレザーは笑った。その笑みで、口元から出血を起こした。



 町の至る場所の地面が崩れていた。あの部屋が爆発で脱出すると同時に、多発的に他の通路が陥没していた。

 地下の通路はこの町の広範囲にあったらしい。見ると、道に大きな陥没の穴があった。瓦礫で埋まっている。おれはそれを見下ろした。

 ここが、あの部屋が地上に出た場所から、もっとも近い陥没の場所だろう。思い、そこへ降り立つ。

 あとは、ひたすら、瓦礫を手でどけた。

 穴の上では、野次馬がじっと見下ろしていた。みな、生気のないまなざしをいている。無数の視線にかまわず、おれは崩れた地下通路の瓦礫を掴んでは、後ろにした。やっているうちに、やがて、夜になった。光源に明りを燈し、そのまま続けた。ひたすら掘った。

 とにかく、瓦礫を取り除いてゆく。手はとめなかった。瓦礫をとり、落ちていた板で土を掘る。板はすぐに壊れた。

 夜も深まり、光源の油が一度消えた。油を補充して、明りを燈し直す。そして、瓦礫を取り除く。

 あの部屋がある方へ向かって掘る。

真夜中になった。

 そして、朝が来た頃、小さな空洞にぶつかった。さらに瓦礫を取り除くと、空洞は大きくなる。

 やがて現れた地下通路は、まだ、人間が通れそうな天井の高さと、幅があった。けれど、いまにも、崩れ落ちそうだった。

 光源を手にして、中へ入る・

 通路の奥は暗い、海底を真横に潜る感じだった。イレザーはあの部屋の脱出と同時に、町へ張り巡らされた地下通路があたかもすべて崩壊するといっていた。けれど、幸い、仕掛けがすべてうまく機能していなかったのか、通路の崩壊は雑だった。破壊にむらがある。通路は中途半端に崩れているだけで、奥へと進む隙間があった。

 進むと、瓦礫で進路が塞がれていた。いくつかの瓦礫を排除すると、向こう側に通じた。中へ入り、さらに奥へ進む。

 空気の味が違った。ここにずっといれば、いずれ呼吸が難しくなりそうだった。

 そのとき、気配を感じた。向こうから、誰かがやってくる。

 明りを向けると、トーマシンだった。ぼろぼろだった、顔に怪我もしている。

彼女は、おれを見て「ひかりが」と、いった。「ひかりが見えたの」

おれが手にした光源のことだろう。これを目にして、地下を進んで来たのか。

それから、竜を感じた。トーマシンの後ろの闇から、バードが姿を現す。

彼も、ぼろぼろだった。彼女より、遥かに損傷がひどい。なにかに押しつぶされて、這い出て来たかのようだった。

バードは赤い眼でおれを見ていた。

彼女と彼を同時に見る、違和がなかった。ふたりで長年育てた、ふたりの距離感がそこにあった。

彼には竜を感じた。けれど、中途半端に、竜と混ざってしまった感じだった。竜になりきれず、崩れて終わってゆく最中だった。

はじめからそうだった。彼を目にしたとき、竜になり切れず、身体が終わってゆく途中なのだと感じた。そして、地下の崩落で負ったのか傷は深刻そうだった。

「トーマシン」

 彼女の名を呼ぶと「ヨル」と、呼び返された。

「話は、できたのかい」

 訊ねると、トーマシンはうつむき、うなずいた。

「そうか」

 おれはそういって、バードを見た。

「もうすぐ陽が出る」おれはそういって、彼を見た。

 小さな光源を手にしながら伝える。

「陽の下へ行こう」



 朝陽はまだ上がり切っていない。

 光源の明かりを手にして歩く。

 町の外にある草原までやってきた。

 暗黙の合意でもあるかのように、彼は黙ってついて来た。彼女も同じだった。

 見晴らしのいい場所だった。おれは光源を掲げて振り返った。

「おれは依頼を受けた、彼女から竜を払って欲しいって」

 赤い眼がこちらを見ている。地下ではわからなかったが、バードの身体の損傷の方は、かなりひどかった。生命が終わり始めている。なにか、決して人の手に負えないものに、内部から崩されている。

 きっと、そう長くない。

 それは誰にだってわかった。彼が得た力は、有限であり、時限付きのものだった。受け皿である生命の器が耐え切れず、皹が入り、壊れ続けている。

 おれはバードへいった。

「あなたがこのまま真っすぐ歩いていって、去ってゆく、って手がある」

 そして聞いた。

「それとも話すか」

バードは黙っていた。

けれど、ふと、視線を外して「もう言葉はいいよ」といった。「言葉では、救われなかった」

長い、沈黙の間があった。

 おれは「そうか」といって、トーマシンへ顔を向けた。

 彼女も、やはり、ぼろぼろだった。けれど、強い眸は保っている。凛としている。凛とあろうとしている。

 朝陽のなかにいる彼女は、とくにそう見えた。 トーマシンの心のかたちが、そのまま眸に現れていた。これまで見て来た彼女のなかで、いちばんだった。

 やがて、陽の光のなかで彼女はおれへ告げた。

「わたしのバードに戻して」

 願いを、世界へこぼす。

 すると、バードが大きく吸って息を吐いた。

 それからおれへ向かって来る、人外な速度だった。

 彼は右手を伸ばし、喉を狙って来た。おれは避けきれず、外套を掴まれた。そのまま片手で引き寄せられた。とてつもない力だった。竜にかみつかれてひっぱられるみたいだった。

瞬間、おれは身をひねった。そのねじれで、外套が破けて身体から剥がれ、背負っていた剣も鞘ごと、とれて地面へ落ちた。

 おれは転がって受け身をとりながら距離をとる。

バードはおれの背中から取れた鞘に入った剣を拾いあげて、鞘から抜いた。彼の握った白い剣身が、朝陽に反射して、光が瞬いた。

 彼は鞘を足元へ捨てた。そして跳躍し、片手に握った剣を上から振りかざしてくる。上から、下へ、槌を振り落とすように、すさまじい速度で叩きつけてくる。

 横に飛んでかわす。当たっていたら、身体は頭部から二つに分かれていた。

彼は、すぐに剣で横なぎに降る。大振りにもかかわらず、やはり早い。かすっただけでも、深い傷となりえた。

 そして。彼が剣での攻撃を次々に仕掛けて来た。どれも大振りで、驚異的な速度だった。まるで、巨大な鎌を振り乱しているようだった。おれは後退しながらそれらをかわす。

 避けて、おれは地面を転がり、彼が捨てた鞘を手にした。

 そこへ剣を振り下ろされる。頭上に白い剣身が降って来る。

 右へ飛んで、よけた。

 すぐに新しく剣を振られた。

 後ろへさがってよける。

 後退し、間をあけた。

 すると、バードが動きをとめた。

背をまっすぐに伸ばし、自然体のまま、片手におれの剣を持つ。

 対して、おれは片膝をついた状態だった。鞘を逆手に持って、彼を見据える。

 おれの息があがっていた。向こうは、呼吸は微塵も乱れていない。けれど、生命の終わりを感じた。

 やがて、大きく朝陽が昇り始める。

 バードが吼えた。

向かって来る。

 おれは鞘の端を両手で持ち、動きをとめる。

 相手の動きをただ見た。

 やがて、彼の剣を真っすぐ突き刺しに来た。

 彼の剣撃の異常な速度だった、けれど、これまで剣を握って生きてはこなかっただろう、動きも間合いはひどいものだった。動きの速度も力も圧倒的に彼の方が上だった、きっと、剣を持たずに攻撃してきた方がよかった。

 おれは息をとめた。

 次に地面から片膝を剥がし、向かって来る彼へ向かった。

 迫る白い刃を限界まで見つめる。

 その瞬間、おれは持っていた鞘をバードがまっすぐに伸ばして来た剣へかぶせた。

まっすぐに鞘をすべらせ鍔まで被せる。

剣が完全におさまった鞘を両手でひねる。

力は使わない。

 流れるようにきれいにバードの手から剣が離れた。

 剣を失ったバードは、驚愕し、振り返った。

 おれは鞘から剣を抜いた。

 彼の心臓の音が聞こえた。

そこへ剣を振り切る。

 空へと還れ。

 と願い、払った。



 三日が経った。

 おれは、ふたたび美術館に呼び出された。

 竜を払う依頼ではない。美術館側から、あらためて、先日に竜を払ったお礼を伝えたいといわれた。

 今度は、夜にではなく、真昼の美術館に入った。向こうの関係者のあいさつが終わった後、館内を観覧させてもらった。

 他にも観覧者がいた。剣は抜けないように、紐でしばってある。

 そして、あの絵の前にまで来た。その絵の前には、誰もいなかった。いるのはおれだけだった。

 竜が遠くにいる、ふたりの恋人たちを見つめている。

 題名は『この世界は竜のもので、人は、竜の世界に暮らしている』だった。

 おれはその絵の前に、長い間立っていた。



 それから、しばらくたった頃、トーマシンに呼ばれた。

 青空が広がった日だった。

西の海辺には、真新しい石の墓標があった。彼女は、手にしていた花を添えた。

 墓標は彼ものだった。この場所が、かつてバードの故郷があったらしい。いまは何もない。

 おれは彼の最後の時間には立ち会わなかった。彼女が「もういいよ」といって、おれをその場から解放した。彼女だけが彼の最後を見届けた。

 そして、今日、おれはトーマシンにここへ呼ばれた。

 彼女は墓標に寄り添っていた。

 おれは離れた場所から、墓標に寄り添う彼女を見ていた。

 やがて、彼女が顔を向けた。

 海から吹く風で、髪が顔の半分を覆う、それを手でわずかに抑える。風と髪の間から、あのいつもの彼女が強い眸が見えた。

 真っすぐに目を見てくる。見返していると、やがて「勇者なんかもう知らなし、探さない」といった。

 おれは「そうか」といって、うなずいた。

 そうして言葉はなくなった。風と時間だけがある。

 真新しい墓標には『わたしのバード』と、文字が刻まれていた。

その文字を見ていると、トーマシンがいった。

「さあ、これからどうしようかねえ」

 海を見て、それからおれを見た。

「恋でも、するかな」

 微笑み、細めた眸から涙はこぼれた。

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