ふたつのふたり(2/3)
彼女を倒したバードという男を追いかける。
けれど、トーマシンは、バードを追いかける前に、彼へ竜の実を売った男と会うという。「その男の居場所はわかってる」
彼女はいった。
半日ほど街道を進んだ。やがて、大きな町へたどり着く、ただ、中身は濃い影の多い場所が多い町だった。子どもが少なく、大人たちは気力なく人々が路上へ座り込んでいる。
「イレザーはこの町にいる」
そういってトーマシンは歩き続ける。
この町の歩き方を知っているようだった。足取りに迷いがない。
はじめてやってきた者なら、まず、足を踏み入れないような真昼でも暗がりに沈んだ場所を歩く。
そうして入り口に見張りらしき人間が座り込んでいる建物までやってきた。トーマシンは座り込んでいた人物へ何かを手渡した。金の指輪だった。
それが何かの支払いだったの、扉が内側から開いた。
彼女はおれを一瞥した。これから決して油断ならない相手と会うよ、と視線で伝えてきた。
扉の向こうはすぐ階段になっている。入り口の扉をあけたらしき男もいた。
階段を降りると、紫色の明かりと、地下の空間は妙な香りに煙で包まれていた。薄い布で仕切りがしてあり、静かだが無数の人間の気配がする。
「この場所にかんする、感想とかいってみて」
奥へ進みながら、トーマシンがそう投げかけてくる。「吸える酸素がすくない」と、答えっておいた。
そのまま地下の奥へ進む。淡い明りはより、より薄まり、完全な闇になった。
その闇を通り抜けると、ほのかに明かりが見えた。突き当りに、取っ手のない扉らしき鉄の板が待っていた。
「あなたはここで待ってて」
彼女がそういった。こちらの会話に合わせたかのように、扉は上へあがって開かれる。扉の向こうは、また闇だった。
出入りの自由は、こちらの制御以下にないらしい。頭のなかでは、ここをくぐった途端、閉じ込められる想像が働く。
「きみだけで話すのか」
訊ねると、彼女は「うん」と、うなずいた。
おれは「その竜の実を売ったっていう、イレザーって、人物は」
「何度か会ったことがある。祖父の知り合いだった」
「竜の実のことを聞くんだね」
「うん」
彼女がうなずく。
「おれがひとりで聞いてきていいかな」
それを持ちかけると、トーマシンは虚をつかれたような表情を浮かべた。
「どうして」
根拠があって提案したわけではない。本能的な判断だった。
だから、言葉を返せなかった。
トーマシンはしばらく黙り、それから身体をずらして扉の先を譲った。
「気を付けて。イレザーを人間と思わないで、あれは言葉だけで人の命をかすめとる」
その注意は、誇張ではなさそうだった、彼女の目を見ればわかる。
おれは彼女を見て、それから扉の向こうに入る。先は真っ暗で闇の壁に身を溶かす気分だった。扉はすぐに上から滑ってきてしまった。
とたん、ふわりと弱い明りがつく、そこは牢屋みたいな場所だった。
目の前には巨大な硝子がはめられている。その透明な壁の向こうに、格調高い内装の部屋がある。
そいつは、その硝子の部屋の向こうで、豪奢な造りの椅子へ腰かけ、本を読んでいた。
白髪の老人だった。どこにでもいるような、風貌の小柄な老人で、白い背広を着ている。
硝子一枚向こうは、さながら上流階級の部屋だった。こちらは、どう見ても牢屋だった。
かなり頑丈そうな硝子で、おそらく煉瓦で叩いたくらいでは割れそうにない。濁りもなく、新品のように綺麗な硝子の壁だった。
硝子の向こうの老人は、おれには目もくれない。こっちの部屋には、壁際に木の椅子が一脚だけある。おれは、椅子の背もたれを掴み、運んで、硝子壁の前へ置いた。
すると、老人が本を閉じた。表紙が見えた。知っている本だった。たしか、推理小説だった。
老人がこちらを見た。
やはり、どこにでもいるような顔の老人だった。
彼が、イレザーだろうか。
「入り口は何か所も用意しているのです」
老人がしゃべりだす。
「どこから入って来るのかで、お客さんの種類がわかるようになってるのです。どこから入るかで、どの部屋に着くか、分けているのです。お客さんは竜払いでしょ。ですので、獣と同じ扱いにさせていただきました」
獣。
だから、ここは牢屋、いや、檻か。
そう言われたものの感情へ刺激はない。
「ですがね、たくさんお金を払っていただいたので、お客さんの欲しいものは用意させていただきました」
お金。もしかして、トーマシンが入り口で渡していた、あの指輪か。
あれは高価なものだったのか。
けれど、待て。相手はいま、欲しいものは用意させていただきました、といった。
こちらが何を欲しいか伝える前にすでに知っている。
要領のわからない遊戯の席に着かされている気分だった。
「あの娘の血についてお話しますね、あの子が抱えている秘密のことです」前触れもなく、こちらが求めていない話を話しだす。「ああ、この情報は、わたしの、ほんの、心ばかりの贈り物なのです」
会話の流れを掴ませないつもりか。あるいは、ゆさぶりか。求めてもいないトーマシンに関する話をしようとする。
最悪な奴だった。
「知っていますか、この世界は、むかしむかしだめになったのです、環境がだめになったのです。人間がのうのうと生きて住むには、ぜんぶ、だめな環境になりました。なにもかも、だめになったのです。そこで、むかしの人たちは集まって考えました。だめになったこの環境に強い血の人間をつくろう。でも、もうかつて出来たような強引な方法でつくることができなくなっていました、技術がすっかりなくなったのです。ですから、雑な方法でやることした。いま生き残っている人間たちから、生命力が強い人間同士のかけあわせる、そして代をかさねて強い血の子孫をつくることにしたのです。競走馬と同じ考えです。そう足の早い馬をつくるのと同じ考えです。その計画の末裔があの娘です。子孫であるあの娘の子孫が、まだ、この決めごとを律儀に引き継いでいるのです。もっとも、はじめた理由を、もうお嬢さんの一族の誰も知りません」
無表情でしゃべり、おれの反応を見てやがる。
「わたしはよく、ここに勇者の情報をお嬢さんに売りました。すると、あの娘は、こちらの思惑通り、なにも知らず、勇者だと思って、わたしの敵を倒してくれました」
やりたい放題だった。奴は、この部屋にいるおれの存在を娯楽にしていいと思っているらしい。
「ああ、わたしがイレザーです。はじめまして」
ふと、名乗った。抑揚のまったくない声だった。
「あなたはヨルさん、お母さんの名前はアサさん。父さんはヒルさんですね」
ああ、そういう手も使うのか。お前のことは、もう深くまで知っている。
ゆさぶりか。なるほど、という感想で片付けておく。
「わたしはね、なんでも売るのです」イレザーの会話運びはぐちゃぐちゃだった。「なんでも売ってきました」
こちらに頭のなかで情報の整理をさせない。おれを玩具にする気だった。
だから、おれはいった。
「その本」
イレザーが閉じた本を指さす。
その推理小説を。
「殺した犯人の名前を言います」
断言をしてみせると、イレザーはじっとおれを見た。
すると、奴は笑った。
そして、笑いをやめた。
「外れくじ、引いた気分です」
どういう意味だろうか。
いや、言葉の意味を読みとる気もないし、とうぜん、知ったことではなかった。
「竜の実の話ですね。その話を売りますから、聞いたらすぐにここから出てってください」レザーは、あいかわらず抑揚のない声で「竜払いは嫌いなのです。竜払いは、みんーな死んでしまえばいい、と思っています」
淡々として、感情を込めずいう。
「竜の実を食べれば、竜みたいな力を持った人間になれると言われています」イレザーはふたたび、不規則な会話の流れでそういった。「バードという青年に、わたしが売りました。高い買い物をしていただきました。お客さんは食べてしまったそうです。もちろん、竜の実なんて、嘘です。そんなものは存在しません」
そう断言してくる。
「でも、伝説だけがありました。信用度の薄い伝説です。竜の実を食べれば、竜みたいな力を持った人間になれる、まるで無力な人間に与えた夢です。人生を逆転させたい者のためへの、無い希望です。竜を食べれば人は死にます。こんなことは誰だって知っています。竜の実は存在しません。でもね、手広く長い時間商売をしていますと、時々、竜の実が手に入るのです。無いはずの実が手に入るのです。いいえ、わたしだけのところに限った話ではありません。いろんなところで、竜の実を手に入れた者はいるのです。どれも竜の実です。竜の実は売れます。それでもすべて偽物です。食べても竜の力を得ることなんてできません。でも売って、買った人が食べたらすぐに偽物とわかってしまいます。そこで竜の実の偽物には毒を入れておくのです。食べて買ったお客さんにすぐ死んでもらいます、人が竜の食べると死にます。だから、竜を時と同じ理由で竜の実を食べると死んだと思わせるためです。ああ、竜の実の伝説には捕捉があります。もしも、竜の実を食べて、それでも生き抜いたとき、人は竜の力を手に入れることができると。つまり、試練です。試練の話とともに売るのです」
おれは黙って聞いていた。
「バード、わたしはあの青年に竜の実を売りました。竜の実がわたしのところに回って来たのです。どこからかはわかりません。わたしが毒を仕込んだりもしていません。わたしが仕入れた素材のまま売るのです。竜の実すべては偽物です。ですが、今回は本物だと信じて仕入れた竜の実を、お客さんへ売るのです」
無茶苦茶だった。相手の気持ちや、情報整理させる気など微塵もなく、好き勝手に話す。
「あの青年は食べました。わたしの目の前で、です。あなたが立っている、まったく同じその場所で、です。買うなら、買っていますぐここで食べることが、購入の条件でした。あの青年はそれに従いました。いまでもあの竜の実が本物なのかは、わたしにはわかりません。あの青年は食べてすぐに苦しみ出しました。みんなと同じように悶えました。でも、今回は、最後に死にませんでした。苦しみが消えたとき、青年の眼は人間の眼ではなくなっていました。眼の虹彩が人間とは別の代物になっていました。肌は漂白されたように一度、すーっと、ぜんぶ真っ白になって、それから皮膚のところどころを焦げたように赤くなりました。血でも沸騰したみたいでした」
変異を語れる。その光景を想像していた。
いや、もちろん、この語りが真実だとは、頭から信じていない。
「あの青年は眼が変わって、赤くなって、この硝子を素手で皹を入れました。力試しです。皹割れた硝子はすぐに変えました。いま二重にしています。それから、あの青年は部屋から出ていきました。繰り返します、あの竜の実が本物かは、いまだに知りません。でも、あの青年が人間ではなくなった。なぜ、そうなったのかは捕まえて、細かく細かくして、調べてみないとわからないでしょう」
この硝子の壁に皹を入れた、素手で。
それも信じがたい話だった。
「話は終わりです」と、イレザーが一方的に切り上げた。けれど、かと思うとこう続けた。「そうだ、あなた」
なんだ、と視線で返事した。
「西へ向かっているそうですね、あの青年を追って」
なぜ、その話を知っている。
まて、焦って問い返すな、おと、おれは自身を抑止する。
「西になんーて、あの青年はいません」
また断言してくる。
「どうして、あのお嬢さんがあなたに依頼したとお思いですか」
イレザーがこちらを見た。
「相手は怪物ですよ、いえ、竜の力を手に入れたかもしれない。でも、竜ではなく、人ですよ。人を倒すために竜払いに依頼をするのなんて、だめでしょうね。あれは竜払いでは倒せないです。あのお嬢さんがあなたをこの一件に巻き込んだ理由は、もうわかるでしょ」
おれは黙っていた。
「あの青年はあのお嬢さんが欲しいのです。人間でなくたっても欲しい。愛ですね。でも、あのお嬢さんはいま、べつの男と一緒にいる、あなたという男と、昨日の夜からずっと一緒にいる。なぜ、あのお嬢さんはあならといるのか。かんたんです、お嬢さんは、あなたを生餌にするため、あなたに依頼をしたのです。ふたりでいれば、いずれ青年が嫉妬して、向こうから現れる。西になんてあの青年はいません。そんな情報まったくない。西には村もなにもない、寂しい海が見える崖があるだけです。つまり、お嬢さんがあなたへ依頼した目的は、そういうことです。あなたは嫉妬で、あの青年を及び寄せるための、餌なのです」
淡々としていながら、どこかうれしそうな様子が感じとれる。
おれはこの短時間で学んだ。ほとんど変化を見せない、このイレザーという老人の顔に、時折、宿る、感情に。
「この世界で、生まれて生きて、好きなことがやれなかった者は負けなのです」ゆさぶるようにそういった。「他人を玩具に出来ない者はたのしめない場所なのです」
もう何度かわからない断言を放ってくる。
瞬間、すべてが揺れた。見ると、イレザーの部屋の壁が壊れた。
そして、おれは、はっきり竜を感じた。竜が近くにいる。
その壊れた壁から、ぼろをまとった赤い素肌の人型が現れた。
眼も赤い。
竜のような眼をしている。
竜のような眼をしている、青年だった。
彼が、バードか。
とたん、バードはイレザーの腕を片手で掴み、あとは壁へ者みたいに投げた。老人は壁へ激突して、下へ落ちる。
まるで木のおもちゃを投げる子どもだった。微塵たりとも生き物を取り扱う感じがしない、ましてや、人を、体温のあるものを。
すると、バードは硝子の向こうからおれを見た。赤い眼で、見る。
いや、おれを見ているわけではない。ただ、硝子の壁を見ていた。おれは見えていない、そこにいない者のように。
おれの背後にある、あの鉄の扉を見ている。
あの向こうには、トーマシンが待っているはずだった。とうぜん。この騒ぎは、彼女も気づいたはず。
バードは右へ手を振り上げると、硝子の壁へ振り下ろした。一回で、皹が入り、皹は硝子の半分まで成長した。三度目で粉々だった。
硝子の壁が消える。
向こうから、彼がこちらへ入って来た。
剣を抜く前に、彼へ喉を掴まれた。持ち上げられ、塵みたいに、後ろへ捨てられた。イレザーのいた部屋の方に身体が飛び、本棚に背中からぶつかる。床に落ちると、本もばらばらと置いた。
立ち上がろうとして、ようやく、しめたれた喉の痛みで悶絶した。たった数秒掴まれただけなのに、首の骨が粉々にされたような感覚だった。
見ると、調度品を背にして床へ倒れ込んでいるイレザーが笑っていた。
けれど、イレザーの生命力はもう消えかけている。その少ない生命力のなかでやつは「まちがえた」と、いった。
なにをまちがえたんだ。
バードは、鉄の扉へ手をかけた。取っ手がないので、扉を押し始める。
いまは立たなければ。
思って、おれは立ち上がる。喉が死にそうなほど痛んだ。幸い、痛すぎて、まともに痛みを感じられなくなっている。
あんなものをと遣り合うべきじゃない。けれど、そういう反省は、遣り合った後で考えよう。
決めたとき、バードによって鉄の扉が破られた。トーマシンが見えた。
そして、彼女はその男を見て「バード」と、いった。
直後、イレザーは、おかしな方向を見て笑っていた。
その瞬間、イレザーが床の何かを操作した。足元がすべて爆ぜた。
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