きょうをささえるのは

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。


 

 ある晴れた日、なにげなく麦畑を望む丘に立った。

 陽は、まだ空に高くあって、風はゆるやかに吹いている。暖かくもなく、寒くもない。

 麦は実り前だった。麦畑を触れて丘を吹き抜ける風には、青い麦のかおりが含まれていた。

 今日は竜を払う予定はない。

 つぎの依頼を確認するため、都へ向かっていた。

 丘の上からは、見渡す限り、麦畑である。いまは昼時のためか、畑には働く人もない。

 ただ、おれがひとり、ここにいた。

 今日は竜を払う予定はない。と、あたまのなかで今一度、思い、背負っていた剣へ手を伸ばした。

 鞘から剣を抜く。竜の骨出来た剣は、剣身が白い。

 両手に持って、かまえ、その場で振った。丘の上に立っているせいか、まるで空を斬るような光景になった。

 竜を払う必要がない日でも、日に一度、剣は必ず振る。振れば、その日の自身の仕上がりぐあいがたちまちわかる。竜を払う前にも、払った後にも剣を振る。

 よし。

 と、こころのなでつぶやきつつ、ふと思い出す。

 そういえば、以前、後輩の竜払いである、ルビトにこう言われた。

『ヨルさん、よく素振りしてますよね』

 ただ、言われただけだった。問いかけでもなく、ただ、言われただけだった。

 けれど、いま、丘の上でその言葉を思い出し、考えた。

 はて、どうしてだ、たしかによく素振りをする。他の竜払いは、まあ道具が剣ではない場合を除いたとして、素振りをするような人はあまり見かけない。

 でも、おれはよくやっている。ほとんど無意識に、やるかと身体が動いている。

 どうしてだろうか、漠然と己をかんがみる。しばらく、かすかな麦入りの風に吹かれいていると、また、思い出した。

 せんせいのことだった。

 かつて、おれは竜払いになるために数年間、せんせいの元で竜払いの見習いをしていた。

 せんせいは、優しい目をした人だった。

 はじめて先生のもとを訪れたとき、せんせいにやわらかい口調で、剣を振ってみて、と言われた。

 それで、おれはせんせい前で、はじめて剣を振った。

 すると、せんせいはいった。

『きみは、わたしの知る誰よりもまっすぐに振る』

 それが、どういう意味かわからず見返していた。

『そのままでいい、わたしは、それが君だと思うよ』

 そういって、せんせいは笑った。

 それが、せんせいに教えてもらった、最初のことだった。

 ささいなことだった、そう、じつに、ささいなことだった。

 けれど、思い返せば、あれがあったからだろう。おれはいまの剣を振っていられる。

 他人には、とるにたらないだろう小さな体験だった。けれど、あれが、いまの自分を支えている気がする。

 いや、あれだけじゃない。これまでも生きて、いろんなところで、たまたま見たり聞いたり、意図せず触れたりした。偶然の多く人との出会いがあった。そんな小さな体験の数々が、ときにある瞬間、自分を支えている気がする。

 生き方を変えるために迎えた大きな体験ではなく、小さなもののなかにも、生きることへの手がかりはある。

 そう考えて、笑っていた。

 いや、この笑い方も、あのときの、せんせいの笑顔から教えられたかもしてない。

 そう考えて、また笑ってしまった。

 あの笑顔も、いまのおれを支えている。

 そう思い、それから、剣を鞘へおさめて、青い麦の広がる畑へ向かい、丘をくだっていった。

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