ちょうしにのぼる

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 世間では紅茶館というのが流行っているらしい。

 なかなか、ふところにお優しめのお値段で、上質な紅茶が飲めるらしく、人々に好評だった。

 なかもで、有名なそれの紅茶館は、従業員が、どんな客も、まるで、ひとかどの屋敷の主が如く、丁重に出迎えてくれるという噂である。

 そして、おれはいま、その有名な紅茶館が二階に入る建物の前にいた。

 高い建物の多い町である。三階建て以上ばかり並び建ち、ひしめき合い、そして、どれも細長い。おそらく、町の中でも土地が高い地域なのだろう。

 噂に聞いた紅茶館の店は、細長い三階建て建物の二階にあった。建物そのものは煉瓦風の外壁で、洒落ている。

 今日の竜払いの依頼は完了した。そこで、人生の余力があるうちに、上質な紅茶を味わってみようと決めた。

 建物の一階にある入り口を見つけ、中に入ろうとしたときだった。

「お待ちなさい、そこの、やや青年よ」と、声をかけられた。

 やや青年。

 しまった、しくじった。その独特の呼び方に反応してしまい、つい、足をとめてしまった。おれも、まだまだにんげんである。

 振り返りと、細身だが、半そでから、引き締まった両腕と、引き締まった両足を露出かれた、白と黒が混じった髭を生やした男性が立っていた。

 歳は四十後半か、そこらだった。おれより、少し背が高い。

 男性は不敵な笑みを浮かべながら片手で自身のあごをさすりつつ、近づいて来る。

「なあ、やや青年よ」話かけてくる。「きみは、壁走りの技術を会得したくはないか」

「いえ」

 詳しい話を聞く前に、真っすぐ断ってみた。

 相手は「まあまあ」と、かまわず諭しにかかってくる。すなわち、無視である。通じないのである。

 男性は建物の壁まで近寄ると、あごから手を離した。そして、壁へ手を添える。

「たとえば、だ。敵と戦いがある、そして、無数の敵に囲まれいるときにー、だ。ばっ、っと飛んで、この壁を足で駆けのぼるんだ、ととと、っとね。足で壁を駆け上り、隣の壁に飛び移り、さたに飛び移り、もっと飛び移りー、飛び移りまくってー、屋上まで素早くのぼる。そんな技術が欲しくないかい」

 おれは無表情で見返すのみだった

「有料でその壁登りの方法を教えてやろう」

「いや、あの、おれは紅茶が」

「まずはわたしの実演を見るといい」

 と、宣言して、彼は壁からはなれる。彼は距離をとると、壁へ目掛けて走り出して、飛んだ。

 そして、壁に張り付く。

 手を使って壁に張り付いている。

 足で壁を駆けあがると聞いたが。

 けれど、はじめから、もう足で駆けあがっていない。

 あげく、彼は「うんしょ、えんしょ」と、両手と足を使い、壁のでっぱりを使って、のぼりはじめる。

 しかも、なかなかの遅さだった。足で駆けあがってもいないうえに、遅い。もし、敵に囲まれていたら、石を拾て投げて当てるのに、じつに、お優しい的である。

 ああ、これ覚えたら、死ぬ方法なんだな。

 と、心のなかで評価した頃、男性は建物の二階部分まで上っていた。二階にある紅茶館の窓の真横まで行っている。

 とたん、二階の紅茶館の窓が開いた。

 窓から、じつに執事っぽい恰好の灰色の髪の男性が顔を出した。

 そして、灰色髪の男性は無表情のまま窓の横に張り付いている男性を見た。両者は、比較的至近距離から見合うかたちとなり、そのままひと時が過ぎる。

 すると、壁をのぼった男性がいった。「あの、いま、お店の席、あいていますか」

 客と化し、自身が実行した良識ある人間としては致命的なその蛮行を誤魔化しにかかる。

 きけば、あの紅茶館は、どんなお客も、まるで、ひとかどの屋敷の主が如く、丁重に出迎えてくれるという噂である。

 で、どうなるんだ。

 すると、執事っぽい男性がいった。

「てめぇ、頭から紅茶かけるぞ」

 そう告げて、窓を勢いよく閉めた。

 男性は壁に張り付いたままである。

 生まれてはじめてみる、接客対応だった。

 いや、接客ではないか。

 いずれにしろ、おれは紅茶をまたにしようと決めて、立ち去ることにした。

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