もえるこい

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 依頼先へ向かう前、ある伝説を耳にした。

 その崖の上から、願いを叫びつつ、そこそこの花束を海へ向かって投げて沈めれば、その願いは叶う、という伝説だった。

 願い叫びの崖、と呼ばれている崖だった。

 崖といっても、さほど高い崖ではない。大人の身長、四つ分くらいの高さだった。崖の向こうに海が広がっている。けれど、崖の真下には、狭いが岩場もあり、人が足を踏み入れることができる領域もある。

 竜はそこに出現した。崖の下に竜である。

 そして、その竜を払って欲しいという依頼を受けて浜から崖の下へ向かった。

 願い叫びの崖は、その土地でも有名な観光地だった。竜が現れたのは崖の下とはいえ、地元としても、まちがいでも観光客と竜との間で何か起こっては大変であり、風評被害への恐怖もあり、いまは崖への立ち入りを禁止にしていた。

 竜は泳げない。もし、海や湖のように、水の深い場所へ落ちたら竜はただ沈むだけだった。竜は滅多に海の上を飛んだりはしないし、たとえ短い距離でも、危険を冒してまで海を越えることもしない。

 竜が水の近くにいる状況自体が、やや異例でもあった。

とはいえ、なかには浅瀬で水浴びをする竜もいるはいる。竜にも多用な性質がある。

 おれは近くに竜を感じつつ、ぞんぶんに波しぶきを足元に浴びて、崖の下までやって来た。

少し離れた岩場に酒樽ほどの大きさの竜をみつけた。

 払おう。

 と、したとき、崖の上で人の気配がした。

「ずぅううううううとぉ君と一緒にいたいいいいいいい!」

 男性の声だった。

「わたしもどわああああああああああああああああああ!」

 つぎに女性の声だった。

 見上げると、空中に花束があった、ふたりが奇声と共に投げ込んだらしい。

 あの崖の上から、願いを叫び、花束を海へ向かって投げれば、願いが叶うという、

伝説を実行したのである。

 にしても、すごい願いの叫びだった。釘を素足で踏んだ時ほどの絶叫に近い。

 けれど、崖の上は、いま、立ち入り禁止にしているはずだった。それを、ふたりは突破して来たのだろうか。

とにかく。他者の決めごとを無きもとして扱うことへの意志の強い人たちといえる。

 叫びと共に海へ投げられた花束は、風にあおられ、ふわりふわりと下へ落ちて来た。ただ、もっと、重い花束にしないと、海には沈まないだろうに。花束の花の数を惜しんだのだろうか。

 花束は、弱い風に、煽られつつ、落ちてゆく。

 それから風に流され、流され、流されて、竜の方へ向かっていった。

このままでは、竜に花束が直撃しそうだった。

 かと、思った瞬間、岩場にいた竜は静かに首を持ち上げ、口を開き、炎を、ぼぼぼぼぼ、っと吹いて、花束を一瞬で灰燼に帰した。

 その後、竜は持ち上げた首をおろし、水鳥のように丸まった。

 崖の角度からして、おそらく、崖の上のふたりは竜が花束を焼いたことなど知らないだろう。

 いま、ふたりの燃え上がる恋が、竜の炎で燃やされて無になったというのに。

 恋の炎より、竜の炎の方はつよいのか。

 考え、やがて、おれは「そうですか」と、ひとりつぶやいた。

 ふたりのために、おれに出来ることなど、何もないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る