どこへゆきどこからきたのか

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



「友よ」

 都の本屋で声をかけられた。

 聞き覚えのある声でだった。振り返れば、そこに見知った顔がある。

 ロウガン、彼だった。

「おのれがどこまで走れるか知りたい」

 真昼にいきなり現れ、おれへそう告げてきた。

 ロウガンはおそるべき剣の使い手である。なんでも、まっぷたつで、おれの知る限り、彼ほど、何かをみごとにまっぷたつにする人間を知らない。

 そんな彼が突如、おれの前に現れた。場所は竜払い協会の本部がある都にである。

 あいかわらず、耳まで覆う真っすぐで黒々とした髪を真ん中でわけ、切れ長の目の合間からのぞく瞳は青く、沈黙がもっとも似合う顔立ちをしている。

 おれの方は協会本部での手続きを終え、小さな本屋で本を選んでいた。生活の日々の友ための本である。

 彼は悪い人じゃない。けれど、気配を完全に消した状態で、いきなり出現されると、やはりどうしよう、という感覚になってしまう。

 そこで、おれはまずロウガンへ「どうしよう」と、心のままを言葉にして伝えた。

 彼は鋭い目を向けたままいった。

「友よ、わたしはふと思ったんだ」

「その話は長引くかな」つい、口にしてしまう。

 彼は聞いてないのか「わたしは、この身体で、どこまで止まらずに走ることが出来るのだろうか」と、答えた。

「うん、まあ落とし穴に落ちない限り、どこまででもいけると思うよ、だから、いけ」

 助言風の愚弄を添えてみる。けれど、ロウガンは気にしないで続けた。「友よ、なので、友よ、これから走り出してみようと思うんだ。友よ」

 友よ、友よ、と連呼されると、なにか狂信者に接近された気になるのは、おれの考え過ぎだろうか。

「そこで思い出したんだ」ロウガンはおれへ鋭い目を向けた。「友よ、きみはわたしに貸しがある」

 おれはすぐに「忘れていいよ、むかしのことは」と、まるで、彼の方が、おれに貸しがあるような口調で誤魔化しにかかってみた。「むかしのことにこだわらなくって」

「わたしは、きみへの貸しに漬け込むことにした」

 断言してくる。相手もさるものである。

「そういうわけで、これから、わたしは走り出す。倒れるまでひたすら走って、どこまでいけるかこの身体を試してみる。そこで、友よ、きみも付き合ってほしい」

「おれもまた走れと」

「ああ」

 ロウガンはうなずいた。

「むろん、走り続けても、かならず、どこかできっと倒れる。しかしいま、この大陸のどこまで止まれないでいけるかを試してみたい」

「どうしてまた」おれは手にしていた本の表紙をただ見ながらいった。「致命的な精神の困難でも見舞われたのか」

「さあ、知りたいんだ」

 まるで他人ごとのような返事でもあり、説明も不完全なままだった。けれど、彼は真剣だった。とにかく走って、いまを知りたいらしい。それはわかった。

 おれは小者的な抵抗こそしたが、決めた。ロウガンは、以前、おれに命を預けて戦ってくれた。

「なら、いこう」

 おれは本を棚へ戻した。

「本、買わないのか」ロウガンが気にした。

「走ろう」

 告げて、先に店を出てみせる。彼も後に続いた。

 それからふたりして走り出す。合図はなかった。

 ただ、走る。ロウガンより、先に走り出してやった。

 まずは、都のなかを走る。人込みを避けて走る。商店の並び町並みから、広場へ出て、それから大通りへ向かい、馬車を追い越し、壮麗な身なりで歩く人々をかわす。まっすぐに進むと、やがて、都は終わって、街道へ出た。都を離れても、しばらくは集落が点在し、石畳の道は続いた。海もまだ見えた。走り続けるに従い、集落と集落の間隔も次第に広がり、やがて、家々が点在する地帯に入る。まだ実り前のあおい麦畑が広がり、なだらかな起伏の地形をひた走る。まるで猫の背中を走っているみたいな道のうねりが終わること、大きな川に出た。そこに架かる大きな橋を渡る。振り返っても、もう海は見えない。

 ロウガンは後ろからついて来る。相変わらず、鋭い目のまま、手には剣を携えてる。その動きに深刻な疲労は見られない。

 橋を渡ると、道は森の中へ続いた。最初は、間隔をあけて生えていた木々は、だんだ、間隔を狭め、林になり、森になる。まだ太陽は空にあるが、森の木々の葉が天井のように覆い、道は影に沈みな、ほろ暗さを保ちだす。

 その森も抜けた。道は続き、草原地帯となる。建つ家は滅多になく、朽ちた壁や、柵だけが、骨のように残っている光景もあった。途中、誰かが投げ捨てた荷馬車を横切る。さらに進むと、草原も終わり、地面の上下も激しくなる。遠くに雪をかぶった山が見え始め、いくら走っても、それは近づかず、そうしているうちに、岩々が地面から突出した地帯に入り込んでいった。吹く風には、砂をふくみ顔に張り付く。生き物がいる気配がいない。それでも、時折、小さな蜥蜴や、なぜか、灰色の蛙をみかけた。何か、大きな獣が果てた姿もある。

 そのころには息はもうあがっていた。走る速度も完全に落ちている。

 振り返ると、ロウガンも似たような状態らしい。

 けれど、彼はいった。

「まだ出来るよ」

 おれは「ああ」と、うなずいた。「まだ出来る」

 彼は笑んだ。

 直後、悲鳴がきこえた。

 見ると、街道の前方で、ひとりの女性を、ふたりの刃物を持った男たちが手を掴み、襲っている。

 おれは足元にあった石を拾い、男の片方へ全力で投げた。石は標的の男の背中へ直撃し、倒れる。そして、もう片方の男が驚いていると、そこをロウガンが剣の鞘先で、こめかみを叩いて、吹き飛ばした。

 二人の男たちを無力化させ、地面にへたり込む女性へ近づく。

 走って来た影響で、おれたちは、ふたりとも、ぜいはあ、呼吸を乱していた。

 やがて放心状態の女性が「あなたたちは」と、訊ねて来た。

 けれど、ぜいはあ、と息が乱れ続けているため、おれは「あ、いや、み、都から」と中途半端な発言のまま、また、ぜいはあ、と酸素をむさぼる。「走ってきました」

 すると、女性は困惑表情した「わたしの悲鳴って、都まで聞こえたんですか」といった。

「はい」

 そして、ロウガンは平然と肯定してゆく。

 なぜ、彼が平然とそれを肯定したのかは、ようとして知れない。

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