けもののきたい
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
猛然とした嵐の一夜が過ぎた。
泊まっていた宿屋の部屋で夜を越えた。朝までこの建物が崩壊しないか心配だった。けれど、なんとか持ちこたえた。
そして翌日は快晴だった。雲もなく、ひたすら空が青い。たとえつくるものであっても、出すことが出来ない青さといえた。
宿屋を出発し、次の依頼先へ向かう。川を越える必要があった。道はまだ濡れていたが、晴れた空が猛然とした速度で乾かしてゆく。歩いていると至るところに、倒木などの嵐の痕跡が目に入った。人々がその片付けを行っていた。
道はやがて、川沿いにつづく。
川は増水し、土でにごっていた。流れも激しく、大型の魚でも溺れそうな勢いだった。見ると川岸には、からまった木枝の塊があり、いくつかの丸太が流れついて来ていた。
目的地は川の向こうにある。宿の従業員に、道なりに行けば、橋がかかっている場所を通りと聞いていたので、そこを目指す。
少し斜面になった道をのぼった。川を渡る橋は、崖から崖へとかけられている。
はずだった。
けれど、ない。
橋がなかった。
いや、正確には橋はあったらしいが、昨夜の嵐で崩壊してしまったらしい。こちらの崖の端と、向こうの崖と端に、橋が設置されていた明確な跡だけが残っている。
崖と崖の距離は、優れた運動神経の人間が、めいっぱい助走して、飛んで、丁度、届かなそうな距離だった。崖の下には、嵐の影響で、ごうごう音をならし、勢いよくと濁流が走っている。落ちたら、終わりだった。とても浮かんでこれそうにない。
昨夜泊まった宿の人間からは、ここに橋があるとしかきいていない。
川沿いを行けば、どこかに他の橋がかかっているかもしれない。そう思った矢先だった。
崖の向こうになにかいた。
鹿、だった。角の形から判断して、雌だった。
雌の鹿はこちらを見ている。つぶらな瞳だった。
すると、気配を感じた。見ると、おれから少し離れた場所に、べつの鹿がいる。こっちは子鹿だった。
鹿の親子か。そうか、橋がないから、互いに別れ別れになっているのか。
と、そう考えていと、崖の向こうの鹿と、こちらにいる鹿が、おれをじっと見てきた。
そして、鹿たちは目で伝えてくる。
あの、そこの人間さん、この橋、なんとかなりませんかね。いえ、われわれ、親子でして、はい、いまこういう状態ではい。
そう伝えてくる。
いや、幻聴だろう。
そう思っていると、今度は崖の向こうに、新たな獣が登場した。灰色のうさぎである。
そして、はっ、っとなって振り返ると、こちらの足元に、黒いうさぎがいた。
崖の向こうのうさぎも、こちらのうさぎも微動だにせず、じっと、おれを見てくる。
目で伝えてくる。
とたん、さらに崖の向こうに、今度はきつねが現れた。続けて、りすも来た。そして、崖のこちらには、べつのきつねが現れる、りすも来た。それから、ぞくぞくと、崖の向こうと、こちらの崖と、対になる動物たちが登場してくる。
けものたちの視線は、すべておれに集まる。
彼らはひとつも鳴き声を発しない。凝視のみで、沈黙を貫く。静かだった。そのせいで、濁流の音がより際立つ。
いっぽう、空は恐ろしいまでに、青く晴れている。
けものたちは、みな、おれを見ていた。
目で伝えてくる。
あの、橋を、ほら、ねえ。我々では、どうにも、前足しかないから、ねえ、だから、ねえ、そこの二足歩行のあなたさんが、ほら、手、つかえますよね、だから、橋、なんとかでいますよね、橋、ねえ、ほらほら、こっちは鹿の親子が別れ別れだったりしますよ、いいですか、いいですか、こんな感じのままにしといて、ねえ。
ほら、ほら。
いや、幻聴である。
幻聴である、けれど。
やがて、おれは一度、来た道を引き返した。背中にけものたちの視線を感じた。
川岸まで戻ると、そこに流れ着いていた丸太を担いだ。崖から崖へ届きそうなほど長く、のっても折れなさそうな丸太を選んだので、かなり重い。
必死になって担いで崖まで戻る。
けものたちはまだ崖にいた、そこにいた。むしろ、増えている。山鳩もいた。
そして、けものたちが目で伝えてくる。
やれやれ、おおっ、やっときたよ、おい、はやくそれを崖にかけろよ、この二足動物めが。
といわんばかりの圧力を放っている。
いや、幻聴である。
「もうしわけない」
それでも、けものたちの圧力に負けて、なぜか謝ってしまう。
丸太を崖にかけると、まっさきに鳩が渡った。
「いや、きみは飛びたまえ」
おれは鳩に厳重注意を放つ。
「きみには飛べる翼があるはずだ」
はからずも、形式的に熱い台詞も添えた。
鳩は完全無視である。
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