そうだんのはて
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
「ヨルさん」
竜払い協会で椅子に座って、じっと手続きが終わるのを待っていると、はきはきした感じの女性の声で名前を呼ばれる。見ると知らない顔の小柄な女性がいた。二十五、六歳あたりで、服装と名札から、この竜払い協会に努める職員らしいとわかる。きゅ、横にひっぱって、きれいにまとめた黒髪と、あらわになっている、まるいおでこには艶があって、窓から差し込む陽の光を生き生きと反射させている。
「ヨルさん」と、彼女はふたたび名前を呼んできた。わざとだろうか、おでこが、きらりと光った。
そこに、ふしぎな種類の迫力がある。そう思っていると、彼女は隣に座った。
「ご相談があります」いって、顔を近づける。けれど、身長差のせいで、顔ではなく、鼻先におでこを迫られたかたちになる。彼女はやりとりを前後して「はじめまして」と、挨拶してきた。
「いや」急に、見知らぬおでこから相談を求められる。戸惑いはあった。でも、ここはこの大陸の竜払い協会だし、彼女もその職員である。路上で絡まれたとは、事情が違う。そこで、多少、おかしな返しだとは思いつつ「そうですか」と言い返す。
「はじめてお会いして、相談なんて、失礼はわかっております。はい、わたしだって、ひとかどの礼儀は心得てはいます。勉強もできる方です。でも、この相談は、あなたにしかできないです」
「どきどきします」
素直に答えながら考える。もしかして、やってほしい極秘の竜払いの案件でもあるのか。けれど、ここは協会の手続き窓口の待合所だった。他にも手続きを待っている竜払いがいる。つまるところ、ここは公の場所だった。
ここで極秘任務めいたことを伝えてくるとは思えない。
けっきょく、予測をつけられないまま「で、なんでしょう」と、問い返す。
「うちの支部長についてです」
支部長の話しなのか。
なんだろうか。
「うちの支部長ですが、名をハーマンと言います」
彼女がおでこをひと光りさせて、壁の一点へ視線を向ける。見ると、壁へ絵が飾ってあった。礼服を着た、やせた老人の肖像画だった。どこか、水に濡れて落ち込んでいる大型犬に似ている。
「じつは、そのハーマン支部長の件で、ご相談なんです」
はきはきとした口調のまま言って来る。あらためて思うが、ここは待合室で他に人もいる。この話が聞かれる可能性も高い。
けれど、彼女は真剣に、そして、おでこで迫ってくる。対処の仕方がわからなかった。
「ハーマン支部長は、以前より、ずっと悩んでいらっしゃいました。職場での、わたしたち職員との、距離感についてです」
その話をされ、そのハーマン支部長のことも、まずよく知らないので「はい」としか言えなかった。
彼女はおでこを、ひとふりし、新しく光らせて話す。「そこで、我々、職員一同は、ハーマン支部長のことを、親しみやすく、ハーマン支部長、ではなく、ハーマンさん、と呼ぶようにしたのです」
「つまり、職場の悩みの話なんですね」ここで、とりあえず、確認を入れる。
けれど、彼女は答えず続ける。「それでも、支部長とその他職員との距離は思うように埋まりませんでした」
「あなたとおれとの距離も埋まってないですけどね」
「そこで、ハーマンさん、ではなく、ハーくん、と呼ぶように決めました。お酒の席で決めました」
「愚弄ですよね、親しみやすさではなく、愚弄の誕生ですよね。ああ、それは、やめとこうよ、という意見を生産する、まっとうな人がいない職場なんですね、ここ」
「すると、支部長は怒りました。ふんぬ、っと。そして怒った支部長に対して、みんなも怒りました。そこで、支部長のことを、みんなで、偽支部長、と呼ぶようにしましました。偽じゃないのに、偽と」
「うん、ほんと、聞く方が、がんばらないと、きいてれない話だ」
「そこで、お願いです、ヨルさん。あなたはかなり素晴らしい方だと聞きました」
「誰から」
聞いても、彼女は何も答えない。沈黙のおでこは、光もしない。
「お願いです、ヨルさん」
そして、さっきのやり取りは、まるごとなかったことにして言い放つ。
「この一件で、いま職場の士気がさがっているので、仕事効率がさがってます、なので、ヨルさんの手続きの方を、あと半日少々待っていただけませんか。わたしたち職員も、士気を高めるため、お昼ごはんも人気の店で食べたいいですし」
「嫌です」
そして、相談は断るに至った。
がんばった方である。
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