かいだんをおりる

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 奇妙な依頼だった。

 ある資産家の敷地に現れた竜を払って欲しいという依頼を受け、現場へ向かった。とてつもなく広い敷地で、門から、屋敷が見えなほど遠い。出迎えたのは、かなり高齢の老人で、すっかり腰のまがってしまった身体を、執事としての正装でくるんでいた。彼は屋敷の執事だという。

 屋敷の玄関で彼は、しばらく、じっとおれのことを見ていた。けれど、わずかにうなずくと「お入りください」と、中へ入る許可をくだした。

 屋敷に入るまえ、あらためて広い庭園へ目を向けても、竜の姿はなかった。どこにうるんだろうか。竜を感じない。もしかすると、それほど大きい竜ではないのかもしれない。

 通された部屋の、唯一あけられた窓からは敷地内にちょっとした森があるのが見えた。書斎のようで、客間ではなさそうだった。窓の向こうにある森の奥に塔が見えた。塔は屋敷の屋根よりはるかに高い。石積みのつくりで、相当な歴史がありそうだった。

「どうか、ここでお待ちください」

 おれを客間に通すと、執事の老人はそう告げた。屋敷の主人を呼びに行くのだろう。そうふんでいた。

 けれど、いくら待っても、誰もこなかった。午前中に屋敷を訪れ、途中、使用人がお茶と、軽食を持ってきた。そして、夕方になる。窓はひとつしかあいてない。ため、外を見るとなると、そこしかない。

 すると、窓か塔を見ると、てっぺんに明かりがつけられた。

 ほどなくして、部屋のあの執事が戻って来た。

「もうしわけありません、これから、一緒に起こしいただけますでしょうか」

「竜の場所ですか」

「いいえ」と、彼はかぶりをふった。「竜はおりません」

「どういうことですか」

「これかれ、あの塔へまいります。依頼を引き受けていただけるかは、お話を聞いていただいいてからでもかまいません。もちろん、このままお帰りになられてとしても、もしくは、お話を聞いたうえで引き受けていだたかったとしても、依頼のお金の方は、すべてお支払いいたします」

 何を話そうというのだろう。気になった。それに、納得しなければ、引き受けなくてもいいといっている。

 警戒すべきか。けれど、本能が反応していない。そして、あの塔に行くという。長い間、待っていて、この部屋で唯一あいていた窓から見えるのは、あの塔だけだった。正直、あの塔への興味が育っていた。

「どうか、お願いします。竜払い様」

 あらたまって、頼まれる。どこか、彼が切実さを表現しすぎないようにしている印象もあった。

 うなずく、塔までの同行を許諾した。屋敷を出ると、外はすっかり夜になっていた。屋敷には、かなりの使用人がいたが、塔を案内するのは、執事の老人のひとりだった。彼を光源を手に、おれを案内する。屋敷内の森に続く道を進んだ。

「あの塔は、六十年前、当時のこの屋敷のご主人が、おつくりになられました」夜の森にたいしては、あまりに乏しい光源で道を照らしながら歩く。「塔をつくられた目的は、お嬢様を閉じ込めるためです」

「閉じ込める」

「はい、お嬢様がここから逃げないようにです」

 どういうことだ。すると、執事は続けた。

「お嬢さまの御父上、当時のご主人さまは、塔をつくりそこに、その塔の麓に竜を招きました」

 竜払いのなかには、竜を払うだけではなく、竜を意図する場所へ移動させることが出来る者もいる。もっとも、かなり高度な技術だし、滅多にそれが出来る者は現れない。けれど、大きさやその竜の性質によるが、人間が意図する場所へ、竜を招くのは不可能ではない。

「当時のご主人さまは、お嬢様を塔の頂上へ閉じ込め、塔の麓には竜をおき、誰もお嬢様には近づけないようにしました」

 話している間に、森が終わる。塔の麓まで来た。竜の姿はない。

 間近でみると、塔の老朽化はひどいものだった。塔を見ていると、執事が塔の扉をあけた。中は暗く、螺旋階段になっている。

 彼を先頭に、塔をのぼる。階段の壁には、点々と明かりがつけられていた。

「旦那さまは、婚姻前のお嬢様に、傷になる噂がつくことを恐れたのです。ですから、ここに閉じ込めて、お嬢様がどこにもいないうにいたしました。その頃のお嬢様は、よく、そう、遠くの、世界の果てを見てみたいというような、そんなお方で、ですが、それが旦那さまの不安を招いたのだと思います」

 聞きながら、まさか、その彼女がこの塔に。と、言いかけたときだった。

「結婚が決まると、お嬢様は、この塔から出され、嫁がれていきました」

 そうか、まだ閉じ込められているわけではないのか。六十年前の話だし、さすがにそうか。

「お嬢様が結婚相手にあったのは、結婚式当時でござました」

 それを聞かされ、気持ちを表現する言葉がみつけられなかった。

「五年前、お嬢様の相手も、この世を去られました。それから、この生家である屋敷に戻られて生活しておりました」

「そうですか」

「ですが、ここ一年、お嬢様の具合が悪くなられて。記憶をよく混濁されるのです、そして、いまではほとんど少女のころに、この塔に囚われていた頃に、戻ってしまわれて」

 彼の持つ光源が、左右に揺れた。螺旋階段の先は、まだ続いていた。

「そして、おっしゃられるんです。いつか、塔の下にいる竜を払って、誰かがこの塔からわたしを助けに来てくれるのだと」

 聞かされ、少し考えてから「それは」と、いったが、先の言葉を続けるのをやめた。

「この塔に囚われていた頃、お嬢様はずっとそれを願っていました。いつか、誰かが竜を払って、この塔から助けだしてくれる。ですが、本当は、みんな竜が怖くて竜を倒せないのではなく、旦那様の、ご権力ですね、力が怖くて、この塔へは近づかなかったのです」

 ようやく螺旋階段の先が見えた。階段が終わった先に、階段が見える。

 彼が扉の前で止まった。

「お嬢様のお命は、もう持ちません。竜払いさま、お願いです、塔を守っていた竜を、払い、塔から助けに来たとお嬢様へ言っていただけないでしょうか。わたしでは無理なのです、お嬢様も、わたしのことがわからなくなっておりますが、それを演じることは無理なのです。わたしは助けなかった者です、本当に竜と戦うあなたでないと」

 扉をみつめたまま頼まれる。おれは、かなり間をあけてから、やってみます、と答えかけて、けれど、その言い方はやめて「わかりました」と言った。

「ありがとうございます」

 振り返った執事は、おれへ深く頭をさげた。

「お嬢様を、この塔からお救いください」

 そう言い、部屋に入った。部屋は狭く、大きな寝台があって、そこに使用人の若い女性と、執事と同じ年齢らしき老婆が横たわっていた。近づくと、彼女は目をあけた。きれいな目をした人だった。

 彼女はおれを見て、やがて、微笑んだ。

「竜はもういません」

 と、おれはいった。

 すると、彼女は「ありがとう」といった。

「さあ、ここを出ましょう」

 彼女がゆっくりとうなずく。執事を見て、確認してから、おれは彼女の身体を持ち上げて抱えた。少女のように軽く、心臓の音を感じた。

 部屋を出て、階段を下りる。

 そして、階段を下りる頃には、彼女はすべてから解き放たれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る