第十二話 物語の強制力……。
「パールさんを……正妃に……?」
今にも泣き出しそうな顔でそう呟いたロザリアたんに向かって、
「……不服か、ロザリア」
暴力皇太子改め、クソ皇太子は冷ややかな声でそう言い放った。クソ皇太子の顔を睨み上げて私は遠慮なく舌打ちをした。どうせ物語の強制力だかメインヒロイン補正だかで舌打ちした程度でとがめられることはない。
逆を言えば、天使か女神なロザリアたんに対する暴挙について、どれだけ言葉を尽くして罵倒しようともミリも通じないと言うこと。通じないとわかっていて無駄なことに時間を費やしてる場合じゃない。
だって――。
「……失礼、いたします」
制服のスカートの裾をつまんで優雅に一礼したロザリアたんが、さっときびすを返して走り去ってしまったから。
「ロザリアたん……!」
「ぶぎょあ!!」
私はクソ皇太子を渾身の力と恨みを込めて突き飛ばし、廊下を駆けていくロザリアたんを追い掛けた。
ただの女子高生な佐藤 美咲だった頃に着ていたものよりも、この学園の制服はクラシカルなデザインをしている。裾の長い制服のスカートがロザリアたんの動きに合わせて揺れる。さすがはロザリアたん、走り方にも気品が漂ってる上に速い! ……なんて、後ろ姿に見惚れている余裕も、鼻血とよだれを拭っている余裕もない。
すっかり置いてけぼりを食らって、見失って、へろへろふらふらしながらようやく追い付いたのは元々はロザリアたん一人で使っていて、今はロザリアたんと私の二人で使っている女子寮の部屋でだった。
ドアに鍵がかかっていたときはつるりんまな板胸がドキリと跳ねた。ロザリアたんは部屋に戻っていなくて、どこかでこっそり泣いてるんじゃないかと思ったから。
「ロザリアたん、いないの……?」
でも、合鍵で鍵を開けて、部屋に入って。ロザリアたんがいるのを見て、今度はつるりんまな板胸がズキリと痛んだ。
ロザリアたんとルームメイトになってから、暗黙のうちにできたルールがいくつかある。
お風呂は私が先に入る。次にロザリアたん。ロザリアたんが入ってるあいだにソープカービングの練習をする。お風呂から出てくるとロザリアたんは自分のイスを持ってきて私が石鹸に彫刻を施しているのを眺める。ロザリアたんがあくびをしたら練習はおしまい。おやすみなさいを言って寝る。
朝晩の洗顔は二人並んでする。お手本と毒見の意味合いを込めて私が先に洗ってみせて、ロザリアたんはそのあと。
それから、部屋の鍵。先に帰ってきた方が部屋の鍵を開けて、後に帰ってきた方が鍵をかける。二人揃うまで鍵はかけない。
でも、今日は鍵がかかっていた。ロザリアたんが先に帰ってきて鍵を開けて。私が帰ってくるのを待たずに鍵をかけた。
そのことに私の胸はズキンと痛んだ。
「ずっと、ずっと……幼い頃から、殿下の隣に立つにふさわしい女性に……人間になれるようにと、努力してきた……つもり、でした」
自分の書き物机にカバンを置いて、そのままぼんやりと立ち尽くしていたらしいロザリアたんが振り返った。
ロザリアたんの目からぽろぽろと涙がこぼれているのを見て――。
「でも、わたくしでは……何かが足りない……届、かない……」
頼りなげに震える声を聞いて――私の胸が、またズキンと痛んだ。天使で女神で国母なだけじゃなくて、健気で努力家で優しいロザリアたんに足りないものなんて何にもない。
ただ、物語の強制力が働いているだけ。理不尽な力が働いているだけだ。
「私はクソ皇太子となんて婚約するつもりも、結婚するつもりもないです。そんなこと言われたとしても断ります! 信じてください……信じて、ロザリアたん……!」
湖のほとりで誓ったのだ。ロザリアたんの思春期ニキビを治して、ロザリアたんを笑顔にする、と――。
思春期ニキビを治すのも、笑顔にするのも、どっちも絶対だ。ロザリアたんを悲しませるようなことなんて少しもするつもりない。こんな風に泣かせることがないように皇太子以外の攻略対象キャラルートに進もうと考えてもいた。
でも――。
「いいえ……いいえ、パールさん……」
ぽろぽろと泣きながら、いきおいよく首を横に振るロザリアたんを見て、私はうつむいた。
間に合わなかった。失敗した。ロザリアたんを泣かせてしまった。そのことが悔しくて。同時に本当にロザリアたんを泣かせるつもりなんてなかった、笑顔にしたかったという気持ちを疑われて、否定されたようで悲しくて――。
「重要なのは殿下のお気持ちなんです」
ロザリアたんにとっての一番が誰であるかを突き付けられたようで妬ましくて――。
私はうつむいたまま、唇を噛みしめた。
と、――。
「えぇ……えぇ、殿下のお気持ち。パールさんにそのつもりがなくても、殿下がパールさんを正妃にと望まれたことで……っ!」
ロザリアたんの金切り声に私はハッと顔をあげた。ロザリアたんはいつだって穏やかに、柔らかな調子で話す。天使か女神のように優しい声で。
ロザリアたん自身も驚いたようだ。
「……ご、ごめんなさい」
両手で口を押さえ、青ざめた顔で私を見つめていた。
かと思うと――。
「ごめんなさい、パールさん! 今のわたくしでは冷静にお話することができそうにありません!」
バタバタと机や洗面台の荷物をかき集めて、私の胸に押し付けた。そして、そのまま。私の胸に飛び込むように抱き着いて――。
「ロザリア、たん……?」
「今夜は……ご自身の部屋でお休みになってください」
私を、部屋の外へと押し出した。
「待って……ロザリアたん、待って! 私、本当に……!」
「ごめんなさい、パールさん。今夜は……落ち着くまで、しばらくは……一人にしてくださいませ……!」
ロザリアたんの悲し気な声が耳元で響いた。呆然としているうちに紫がかった銀髪がひるがえって、バタン! と、目の前でドアが閉まってしまった。
「ロザリアたん……」
ロザリアたんが押し付けた物を見下ろして、私は唇を噛んだ。視界がぐにゃりと歪んだ。
明日、使う教科書。ソープカービングの練習で使っていたナイフと粘土。ベッドの上に放ってあった寝間着。それから……海藻の灰で作った固形石鹸。私とロザリアたんと、洗顔指南のときに二人で使っていた石鹸だ。
元々、割り当てられた二階に自分の部屋に置きっ放しにしている物もかなりある。ロザリアたんがとっさにかき集めたこの荷物があれば、むしろ、なくたってなんにも困らない。困りはしないけど――。
「本当にロザリアたんを泣かせるつもりなんてなかったんだよ。私は……本気で笑顔にしたいって思ってたんだよ……」
閉じたドアを見つめて私は呟いた。こんな小さな声で呟いたってドアを隔てた向こう側にいるロザリアたんには聞こえないとわかっているのに。
私の手には今もロザリアたんの部屋の合鍵が握られている。もし、合鍵がなくたってヘアピンでロザリアたんの部屋の鍵を開けることもできる。
できる、はずなのに――。
「……開けられないよ、ロザリアたん」
ロザリアたんにあんな風に言われたら。バタンとドアを閉められたら。無理矢理にこじあけることなんてできない。
できるわけが、ないのだ。
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