第八話 合鍵っていうか、愛鍵!

「ロザリアたんを害そうなんて奴も、そんな風に警戒しなくちゃいけなくてロザリアたんが泣きそうな顔しなきゃいけない状況がクソったれなだけだから☆」


 ――ロザリアたんを取り巻く事情はわかってます! だから、どうか笑って!


 口に出して言うべきパールちゃん的台詞と心の中にしまっておくべき佐藤 美咲的本音が逆転しているといういつも通り過ぎだけど痛恨のミスをやらかして、私は膝から崩れ落ちそうになった。

 うっかりとは言え、天使か女神なロザリアたんの耳がお腐り落ちかねない単語を聞かせてしまうとは――!


「パールさん。貴族の子女たるもの、そのような言葉を使ってはいけませんよ」


 私の真っ青な顔を見て、反省していることは察してくれたらしい。マシュマロおっぱいを揺らしながら人差し指を立てて、女教師風に優しく注意するロザリアたんに私は両手で顔を覆った。

 もちろん、垂れてきたよだれと鼻血を隠すためだ。


 念のために言っておく。

 よだれと鼻血は垂らしても、失言についてはちゃんと反省している。ロザリアたんに注意してもらえるなんて、どんなご褒美!? だなんて思っていない。東京ドーム一個分くらいしか思っていない。……うそです、ロシア一国分くらいは思いました。ごめんなさい! ありがとうございます!!


 とかって思いながら、どうにかこうにか顔をぬぐって、それらしい表情を作った私は――。


「そうですね。まずは石鹸の安全性を確かめないといけませんよね!」


「パールさん、鼻のまわりが赤くなってますわよ?」


 さっきまでの話の流れなんてなかったかのようにそれらしいことを言って、それらしい微笑みを浮かべた。鼻血の隠蔽には失敗したようだけど、それらしい微笑みで鼻血の件もごまかして、私は新品の石鹸をロザリアたんに差し出した。


「こちらをどうぞ。差し上げますので石鹸の安全性をロザリアたんの納得がいくまで確かめてください!」


 きれいにラッピングしておいた新品の石鹸だ。元々、ロザリアたんにプレゼントしようと思って用意していたものだ。


「足りないようでしたら仰ってください。いくらでも差し上げ……」


 なのに――。


「新品をおろすのはもったいないわ。そちらのセッケンを貸してくださるかしら」


 ロザリアたんは使いかけの石鹸を指さした。ロザリアたんに洗顔指南をするときのために持ってきていた私用の、使いかけの石鹸を。

 そして――。


「さ、パールさん。このセッケンとやらの使い方をわたくしに教えてください」


 ロザリアたんはヘアバンドをつけて前髪をあげた。どう見ても顔を洗うときの体勢だ。


「……あまりじろじろと見ないでくださる? 一応、ニキビのことは気にしてますのよ」


 確かにロザリアたんの額には大きな思春期ニキビがある。いつもは髪で隠れているけど、頬にもいくつものニキビができていた。でも、私がロザリアたんをまじまじと見つめた理由は顔にできた思春期ニキビじゃない。


「ロザリアたんが……石鹸を使うの?」


「わたくしの洗顔指南をするためにパールさんはこのセッケンを持ってきてくださったのでしょう?」


「そう、だけど……安全性を確かめるって……」


 ですます調で話すのも忘れて呆然としている私を見て――。


「……安全性を確かめるために使用人か誰かを実験台にするとでも思いましたか?」


 ロザリアたんは苦笑いをもらした。


「わたくしは皇太子殿下の婚約者です。ただの、婚約者。私の身に何かあったり、不都合が生じたり……殿下に深く慕う相手が現れればお返ししなければならない肩書き。好き勝手に振るって良いものではありません」


 そう言いながら紫がかった銀の髪をさらりと揺らし、目を伏せるロザリアたんはやっぱり気高く美しい天使か女神だ。私はその姿を見つめて、ほーっとため息をついた。


「ですが、このセッケンがあなたの言う通りの力を持っているのなら、この国とこの国で暮らす人々にとって大きな助けになります。安全かどうかわからないからと言って切って捨てるのは、それこそこの国とこの国で暮らす人々のためになりません。かと言って、誰かに命じて、安全性を確かめるなんてこともできない。……わたくしがしたくないのです」


 ロザリアたんの姿に見惚れたからじゃない。


「それならば、わたくしが……今はまだ殿下の、ただの婚約者でしかないわたくし自身がこっそりと試してみるのが一番、良いでしょう?」


 人間という生き物は自分が持ってないものを持っている人に憧れ、時には恋に落ちるもの。ロザリアちゃんのマシュマロおっぱいも気高い美しさも、ごく普通の女子高生だった佐藤 美咲もごく普通の女の子とは言い難いつるタマメインヒロインなパールちゃんも持っていないものだ。

 だからこそ、私はロザリアたんに惹かれたんだと。昨夜、湖で会ったときは思っていた。


 でも、違う。違った。

 ロザリアたんは皇太子を愛している。それと同時にこの国を、この国で暮らすあらゆる人たちのことを愛している。

 私はこの国に存在しない石鹸を作り出した。だけど、自分の思春期ニキビを治しただけ。せいぜい家族や邸の人たちにプレゼントしてまわるくらいしかしなかった。でも、ロザリアたんは私の石鹸の説明を聞くなりこの国を、この国で暮らすあらゆる人たちのことを考えた。

 私とは全然、違う。


 ロザリアたんは愛しい人を恋い慕う、天使か女神並みに美しいのただの女の子だ。それと同時にすでに――。


「国母……!!」


「なんですの、唐突に!」


 そう、私たち国民のことを無償の愛で包み込み、推してくれる母――国母なのだ!!

 悪役令嬢なんかじゃない――!


 処刑回避どころじゃない! 皇太子との婚約破棄すら回避しなければならないレベルだ! あの暴力皇太子に天使で女神で国母なロザリアたんを任せるのは、かなり! 相当! 不安だけど! それでも、ロザリアちゃんが婚約破棄されちゃう皇太子ルートなんて糞くらえだ!!


「ただ……」


 今から皇太子ルートじゃなく別の攻略対象キャラクタールートに入ろうとすると色々と困ったことになるのだけど……。


「まぁ、考えるのは後回しだ!」


 私はグッ! と、拳を握りしめた。

 そして――。


「ロザリアたん、石鹸を返してください!」


 使いかけの石鹸を手に首を傾げているロザリアたんに向って、私は手を差し出した。


「思春期ニキビを治すために一日二回、朝夜とこの石鹸を使って顔を洗う必要があります。私が洗い方を見せるんで真似してください。毎朝毎晩、ロザリアたんの目の前で、同じ石鹸を使って洗顔指南しますから!」


「パールさん……?」


「だから、いっしょにつるりん卵肌を手に入れましょう!」


 天使かつ女神な推しを崇め奉る心は推しと同じ石鹸を使うなんて! と、叫んでいる。でも、目の前で、同じ石鹸を使って、同じように顔を洗って見せた方がロザリアたんも安心なはずだ。


「……怒ってはいないのですか?」


「どうしてですか?」


「だって、わたくしはあなたの好意を……!」


 ロザリアたんの言葉をさえぎるように、首を横に振って私はにっこりと笑ってみせた。

 ロザリアたんが私の好意を疑ったなんて少しも思っていない。皇太子の婚約者として、未来の国母として。私的感情じゃなく公的立場から石鹸の安全性を確かめる必要があると考えただけのこと。

 ロザリアたんを尊敬こそすれ怒るわけがない。


 それに――。


「この石鹸での洗顔は一日二回、朝晩。ですから、これからは毎朝、毎晩、ロザリアたんの部屋にこうやってお邪魔しにきます! それでいっしょに顔を洗います!!」


 推しの部屋に通う理由ができたのだ。それも一日二回も! 喜びこそすれ怒るわけがない!! ……っと、うっかりよだれが垂れそうになってしまった。ていうか完全に垂れた。

 手の甲でよだれを拭っていると――。


「一日二回、いっしょに顔を洗うのはわかりましたが……パールさん、あなた。まさか今朝のように勝手に侵入するつもりじゃないでしょうね?」


 不意にロザリアたんが私の顔をのぞきこんできた。


「……っ」


「わたくしが殿下の婚約者だからと学園長が気を使ったらしく、不必要に広い部屋をあてがわれてしまったんです。侍女は連れてこないとあれだけ言っておいたのに、ベッドも二つあって……。だから、その……部屋のスペースもベッドも余ってしまっているんです」


 あまりの近さに今度は鼻血が垂れそうになっている私をよそに、ロザリアたんは頬を赤らめて目を逸らした。

 私たち普通の生徒が使う部屋と比べるとずいぶん広いなぁ、と思っていたけど。なるほど、ロザリアたんが望んだ状況ではなかったのか。

 ……って、頬を赤らめたロザリアたん、やばっっっ!!!


「ですから……」


 さすがは天使か女神か国母なロザリアたん。特別扱いを遠慮するなんて謙虚ー……とか考えながら鼻血とよだれもぬぐっていた私は、次のロザリアたんの言葉に固まった。


「パールさん、あなた……わ、わたくしのルームメイトになりませんこと? 毎朝毎晩、あんな風に不法侵入されていては身が持ちませんし!」


 それはつまり……つまるところ……!


「……同、棲!」


「え……? いえ、ただのルームメイト……」


「つまり、この部屋は……私とロザリアたんの愛の巣!!!!」


「愛の……え……?」


 困り切っているようすのロザリアたんの胸の内にあるだろう疑問についてはそっと受け流し、私はカーテンをシュバッ! と開けると小鳥さんにおはようを言う代わりに太陽に向かって叫んだ。


「つまり! ヘアピンと言う名の合鍵から、合鍵と言う名の愛鍵へと関係が深まったということですね!!!」


「何をおっしゃっているのかはわかりませんが、何かいいように解釈していることだけはわかりましたわよ、パールさん!」


 ……なんて、目をつりあげながらも慌てふためているロザリアたんもマジ天使で女神!!!!




***


短いお話(閑話)を五話、はさみまして後編に入ります。

引き続きお付き合いいただけましたら幸いです(/・ω・)/

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