第七話 天使か女神っていうか、国母!

「約五年に一度の周期で流行し、貧民街の人々を中心に数千人以上が命を落とす疫病。前回の……三年前の流行の際は一万人を超える死者が出ました。親を亡くし、孤児となった子供たちも大勢います」


 あ、ロザリアたんってこんなに喋るんだぁ、と思っているうちに――。


「疫病が広がるのを防げるだけでもどれだけの人たちの命や暮らしを守ることができるか! もし本当にそのような力があるのなら、このセッケンはまさに聖なる石です!」


 めっちゃ早口になるし。ぐいぐい迫って来るし。推しの話をしているときのオタクのテンションになってしまった。二次元の推しの話をしているときの佐藤 美咲の母親もこんなテンションだったし、ロザリアたんの天使か女神っぷりを語らせれば私も同じテンションになる。


「パールさん、材料は? 作り方は!?」


 ……こういうテンションになる!


「え、えっと……このノートに書いてあります!」


「まぁ! ……って、パールさん。本当に聖なる石なら材料や作り方をおいそれと見せるものじゃありませんよ」


 オタクモードで突っ走っていたロザリアたんが唐突に良識人モードに戻った。こほんと咳払いするようすや耳が赤くなっているところを見ると、テンションがだだあがっていたことを自覚。羞恥に頬を染めつつ、必死に澄まし顔を作っているところ――と、いった感じだろうか。

 なんて言うか、そんなところも――。


「天使か女神です! そんなロザリアたんに隠し事をするなんて……世界の国宝をことごとく粉砕するよりも恐れ多くて出来ません!」


「泣きながら何を仰っているんですの、パールさん」


「今後はロザリアたんのありがたいお言葉に従い、誰にも見せません! ロザリアたんの許可がない限り、ロザリアたん以外には私の何一つも見せません! でも、ロザリアたんには全部見せちゃう!!」


「あなたの人生のことごとくに許可を出している余裕なんて時間的にも精神的にもございませんし、パールさんの全部なんて見せなくても……って、たまごの殻や貝殻に海藻? こんな材料でセッケンは出来上がるのですか? 疫病が広がるのを防げるのですか!?」


 ため息交じりにノートの文字を目で追っていたロザリアたんが、またもや唐突に良識人モードからオタクモードに切り替わった。


「原材料は安く抑えられそうですけど、本当に疫病を防ぐ癒しの力があるのなら価格が高騰してしまうかもしれませんわね。貧民街の人々にも……むしろ、そういう人々の手にこそ渡らなくてはいけないというのに……。でも、配給という形で無償で配ると何かあったときに打ち切られてしまう可能性が高いですし。安価で広く、安定して供給できる方法を考えないと……」


「ろ、ロザリアたん……?」


「さわってみてもいいかしら、パールさん」


 あごに指をあててぶつぶつと呟いていたロザリアたんが、不意に白い手を差し出した。じっとその手を見つめたあと、私は壊れた赤べこ(※福島県郷土玩具)並みの勢いで首を縦に振った。


「私からの接触は天使かつ女神な推しを崇め奉る心で禁忌事項としておりますが、ロザリアたんからの接触はいつ何時なんどきでもバッチコーイ!!!」


「何の話をしてらっしゃいますの、パールさん。セッケンです、セッケンをさわらせてほしいのです」


「ですよね、いくらでもさわってください!」


 自意識過剰で恥ずかしい☆ なんてことは思わない。だって、薄々、そんな気はしていたから! それでも一縷いちるの望みに賭けただけだから!

 ちょっと涙目になっている私なんて見もしないで、ロザリアたんは私が差し出した石鹸を手に取った。真剣そのものな表情で石鹸を見つめている。すっかり石鹸にご執心のようだ。……まさか石鹸に嫉妬する日が来ようとは。

 歯をギリギリと言わせていると――。


「このくらいの固さなら石を彫るよりもずっと簡単に彫れそうね」


 ロザリアたんは洗面台の引き出しからⅠ字型のカミソリを取り出した。眉毛を整えるときに使うやつ。それで石鹸を引っ掻いたのだ。


「ぽろぽろと崩れたりもしない。色は地味だけれど、美しい彫刻を施せば貴族たちに高く売ることができるかもしれませんわね」


 怖いほどに真剣な目で石鹸を見つめるロザリアたんの横顔を見つめて、私は呆然と呟いた。


「ソープカービング……?」


 カービングとは彫刻――特にタイの宮廷料理を彩る伝統工芸のことだ。

 佐藤 美咲が生きていた時代より五百年以上前。タイの王室で妃が王を喜ばせるため、ナイフでフルーツや野菜に美しい彫刻を施したのが始まりと言われている。

 果物を彫るのがフルーツカービング、野菜を彫るのがベジタブルカービング。そして、石鹸を彫るのがソープカービングだ。


 ナイフ一本と石鹸があれば始められる手軽さもあって、日本でも女性を中心に人気の趣味として認知されていたりいなかったりする。

 ちなみに私も佐藤 美咲だった頃にやったことがあるけど途中で挫折してしまった。手先が不器用で芸術的センス皆無なお前が、なんで手先を使って美しさを追及するカービングに手を出したのかと母親からは呆れられた。


 ちなみに、ちなみに、祖母から教わったヘアピン技も手先が不器用で佐藤 美咲として生きてた頃は一回も成功しなかった。だから言ったでしょ、ロザリアたんへの愛は万物あらゆる物に宿っている! そう、ヘアピンにも!! 私の手先にも!!! これぞ愛の成せる技!!!!


 ……って、私の話はどうでもいいのだ!

 そんなことよりも重要なのはロザリアたんがソープカービングに……石鹸に彫刻を施すという考えに行き当たったこと。石鹸すらないこのつるタマ世界で、生まれて初めて石鹸を見たはずのロザリアたんがソープカービングに思い至ったということ。

 そのことに私は、ただ――。


「さすがは天使か女神なロザリアたん……!!」


 感涙しつつ、ハエのごとく手を擦り合わせた。ロザリアたんは眉間にしわを寄せ、じりじりと後ずさりながらそんな私を見つめた。


「パールさん、昨夜から言いたかったのですけど……わたくしの名前の前後に不可解な修飾語をつけるのはやめてくださる?」


「後についているのは敬称です!」


「聞いたこともない敬称をつけるのもやめてくださいまし」


 ため息を一つ。ロザリアたんは再び、石鹸に視線を落とした。また、そんな熱のこもった目で見つめて……今、私は佐藤 美咲とパールホワイト、二度の人生の中で最も! これ以上ないくらい!! 石鹸に転生したいと願っている!!!


「セッケンに彫刻を施す際に出た削り落としを安価で流通できれば貧民街の人々の手にも行き渡るかしら。……まぁ、本当に効果があるのか。根拠に乏しくて、まだまだ心配な点はありますけれど」


 確かに、流通について考えるよりも先に効果を確認してもらわないといけない。私の曖昧でぼろっぼろな説明だけじゃあ、ロザリアたんも不安だろう。

 ロザリアたんが困り顔でため息をつくのを見て、私はにっこりと微笑むと一端いっぱしの貴族の子女らしくスカートの裾を優雅につまんでみせた。

 そして――。


「大っっっ変申し訳ありません、ロザリアたん! こうなるとわかっていれば石鹸や疫病のことを勉強しておいたのに!」


 そのまま床に倒れ込むとそのまま土下座し、そのまま額を擦り付けた。石鹸作りが趣味だったくせに石鹸にまつわるあらゆることを知ろうとしなかった前世の自分が憎い――!


「ちょ、ちょっと……その体勢はなんですの、パールさん!?」


「土下座です!」


「ど、どげ……? とにかく起き上がって!」


「こうなるとわかっていれば手の皮が向けても、血反吐を吐いても勉強しておいたのに! ロザリアたんのために!!」


「気持ちだけで結構です! だから、起き上がったと同時に剥ぎ取りそうなほどの勢いで爪を噛み始めるのはおよしなさい、パールさん!」


 こんな役立たずなつるりんまな板胸ごときのことを顔を真っ青にして心配してくれるなんて……ロザリアたん、マジ天使か女神!! なんて思いながら、私は爪から口を放した。


「まったく、あなたという人は……」


 ロザリアたんは額を押さえて盛大にため息をついた。

 かと思うと――。


「もう少し、自分の体を大切に扱いなさいな。せっかくのきれいな肌に傷がついてしまいますわよ?」


 私の額をそっと撫でて微笑んだ。慈愛に満ちたその微笑みは、まさに――。


「聖、母……!」


「……またそうやってわけのわからないことを」


 目を潤ませる私を見て、ロザリアたんは困り顔になった。でも、どこか温かい色の混じった困り顔。やっぱりロザリアたんは天使か女神だ。


「疫病に本当に効果があるかはわたくしが援助している孤児院で使ってもらって、試しましょう。数年毎の流行とは関係なく、毎年のように大勢の子が罹るそうですから」


 まだ十六才なのに孤児院の援助までしてるとか、ほんとロザリアたんってば天使か女神ー……ってのは置いておいて。多分、それも風邪かインフルエンザだろう。前世で通ってた小学校や中学校でも毎年のように流行ってたし、クラス閉鎖や学級閉鎖になる年もあった。


「大勢の人が集まる場所、特に子供が集まる場所は流行りやすいですもんね」


「そんな気はしていたのだけど……。そう、パールさんも同じように思っていたのね」


 にこりとロザリアたんに微笑みかけられて、私はでれーっと鼻の下を伸ばした。

 でも――。


「だからこそ、流行しやすい時期に使ってもらってこのセッケンが疫病に効果があるのか試したい、証明したいと思っているのだけど……その前に。子供たちに使ってもらう前に、そもそも安全かどうかを確かめないといけません」


 ロザリアたんの言葉に私はハッとした。

 ロザリアたんも、このつるタマ世界の誰もが石鹸を初めて目にする。すぐさま、これは安全! と、受け入れられないのは当然だ。皇太子の婚約者であるロザリアたんに渡そうとしているなら、なおのこと。



「……」


 私は黙ってうつむいた。別にロザリアたんに疑われたことが悲しかったからではない。


 もちろん、私にロザリアたんを害そうなんて気は少しもない。

 ロザリアたんの天使か女神な気高い美しさとマシュマロおっぱいを害するくらいなら、前世とこのつるタマ世界に存在する国宝に片っ端からロケットランチャーぶっこむ方が心が痛まないくらいだ。

 もし、ロザリアたんを害そうなんてする奴が存在するなら、悪魔か魔王か全人類の敵・某黒光りする虫だ。こちらは迷わずロケットランチャーをぶっこむ。


 でも、ロザリアたんが警戒しなくちゃいけない環境にいることも十二分にわかっている。なにせ、ロザリアたんは皇太子の婚約者で、〝ロザリアたん個人〟としてではなく〝皇太子の婚約者〟として国内外のさまざまな悪魔か魔王か全人類の敵・某黒光りする虫に狙われる可能性があるのだから。


 唇を引き結んだ凛とした表情を浮かべながら、痛みに耐えるような目で私を見つめるロザリアたんの心の中を想像して。それで悲しくなって、うつむいたのだ。


 でも、私がうつむいていたらロザリアたんの心はもっと痛い思いをする。

 だから――。


「ロザリアたん、そんなに泣きそうな顔をしないで!」


 メインヒロインなパールちゃんらしい満開の笑顔で私はロザリアたんに笑いかけた。


「ロザリアたんを害そうなんて奴と、そんな風に警戒しなきゃ……ロザリアたんが泣きそうな顔をしなきゃいけない状況がクソったれなだけだから☆」


 ――ロザリアたんを取り巻く事情はわかってます! だから、どうか笑って!


 はい、やっぱり口に出して言うべきパールちゃん的台詞と心の中にしまっておくべき佐藤 美咲的本音が逆転しちゃってるー……。

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