第六話 草っていうか、海藻!

「……ただの、手作りセッケン?」


 口に出して言うべきパールちゃん的台詞と心の中にしまっておくべき佐藤 美咲的本音が逆転しているといういつも通りのミスをやらかして、私はそろそろと目を逸らした。


「いえ、聖なる石……」


「手作りセッケン?」


「……はい、ただの手作り石鹸です」


 まぁ、天使か女神なロザリアたんにじっと見つめられたら、ぺろっと白状しちゃいますけど! 眉間にしわを寄せてるロザリアたんも気高く美しい天使か女神!!

 ……とかって気持ちはガシッ! と、握った拳にこめて飲み込んで――。


「ただの手作り石鹸ですが、思春期ニキビを滅さ……もとい治すために生み出した癒しの力を持つ石、というのは本当です」


 私は大真面目な顔で言った。何一つ……ロザリアたんに誓って何一つ、嘘は言ってない。私にとっては、ただの手作り石鹸だ。

 ただ、ロザリアたんにとっては――このつるタマ世界にとっては〝ただの〟手作り石鹸ではないのだけど。なにせ、この世界には石鹸という物が存在しないのだから。


 家に帰ってきて手を洗うときも、お風呂に入って体や髪を洗うときも、もちろん顔を洗うときだって。この世界では手のひらでこすり、水かお湯で洗い流すだけだ。水が豊富にあるからそこそこ衛生的な生活はできてるけど、それでも石鹸があるかないかは大きな差だ。


「この薄汚い石に……癒しの力?」


 ロザリアたんは眉間にのしわを深くして、私の手のひらに乗っている石鹸を見つめた。

 灰で作った石鹸だ。黒ゴマプリンかシェイクのように薄い灰色をしているし、黒いつぶつぶも混じっている。ロザリアたんの言う通り、薄汚い。


「でも、この石鹸を使うようになった十三才の頃から、私は思春期ニキビができたことが一度もありません」


 佐藤 美咲だった頃に何度か手作り石鹸を作ったけど、そのときはグリセリン石鹸や石鹸素地を使った。石鹸のない世界にはもちろん、どちらもない。小学校時代の理科で挫折した私に科学なんだか化学なんだかの知識があるわけもなく、代用品も思い浮かばない。石鹸の作り方ってもしや物理の領域……なんて、真剣に考え込んだレベルと言えば、私のお勉強のレベルもお察しいただけるだろう。


 グリセリン石鹸があったら天使か女神なロザリアたんにぴったりの透明で宝石みたいにきれいな石鹸が作れたのに!! ……と、今、再び! つるタマ世界に石鹸が存在しないことと私のおつむに石鹸に関する知識が存在しないことに、心の中で地団駄を踏んでいたりするのだけど。


 それはさておき!!


 使い慣れたグリセリン石鹸や石鹸素地がないとなると、あと作ったことがあるのが灰石鹸くらいしかなかったのだ。佐藤 美咲だった頃、作ったのは一回だけでうろ覚え。しかも、出来上がったのはハンドクリームみたいに柔らかいタイプの石鹸だった。

 そのときに使ったのは草木を燃やして出来た灰。今回はパールちゃんの実家が海の近くということで海藻を燃やして出来た灰を使った。近くに森も草原もないし、邸の庭も庭師が毎日のように手入れをしていて雑草もきれいに刈り取られているから。海藻の方が簡単に、大量に手に入ったのだ。


 草木の灰を使った前世と同じ手順で作れるのか自信はなかった。でも、佐藤 美咲の記憶がよみがえってから石鹸を使わずに手や体を洗うことに違和感を覚えてしかたがなかったのだ。

 時間はかかるかもしれないけど、試行錯誤を繰り返す覚悟で石鹸作りに挑戦したのだけど――。


「……結構、あっさりと出来ちゃったんだよね」


 それも固形石鹸が――。

 草木の灰を使って作った前世では柔らかい石鹸が出来上がった。海藻の灰を使っても同じように柔らかい石鹸が出来上がると思っていたのだけど……。

 まぁ、佐藤 美咲な私としては石鹸で手や体を洗える生活が手に入れば、なんでも良かったんだけどね!


 そんなわけでパールちゃんの実家近くで採れた海藻の灰で作った石鹸を、私はババーン! と、もう一度、ロザリアたんに差し出した。


「この石鹸を使って洗うようになってから、思春期ニキビどころか病気になったこともないんですよ。私も、家族や邸の使用人たちも三年間、病気知らずです!」


 相変わらず疑いの表情を浮かべているロザリアたんに、私はふふんと胸を張った。

 そういえば小説版つるタマの挿絵でもこんなシーンがあったな。マシュマロおっぱいなロザリアたんの前で、つるりんまな板胸を張るとかパールちゃん、メインヒロインと言えど強心臓! とか思ってたけど……自分でやっちまったよ、おい!


「これが物語の強制力……?」


 思わず首を傾げた私だったけど、すぐにそんなどうでもいいことはどうでもよくなった。


「三年間、病気知らず? 二年前に疫病が流行したときも使用人の一人すら罹らなかったんですか……?」


「え、あ、……はい」


 ロザリアたんが真剣な、いっそ青ざめた表情で尋ねたからだ。


 疫病――と、言うのは前世の風邪やインフルエンザと似たような症状の病だ。前世ほど医療も何もかもが発達していないこのつるタマ世界では数年に一度、大流行して大きな被害をもたらしている。


「パールさん、このセッケンをニキビ対策の特効薬と仰ってましたわよね? このセッケンの癒しの力は、ニキビだけでなく疫病にも効くんですか?」


 部屋への不法侵入をとがめたときよりも、思春期ニキビの話をしていたときよりも、ずっと必死さの滲むロザリアたんの声に私は思わず背筋を伸ばした。


「え、えっと……」


 正直、風邪やインフルエンザがどうとか、菌がどうとか、石鹸の除菌作用がどうとか、私はよくわかっていない。ただの女子高校生だった佐藤 美咲がわかっていることと言えば〝風邪やインフルエンザの予防のために手洗いうがいをしっかりしましょー〟と幼稚園の頃から親や先生たちに口を酸っぱくして言われていたことと、しつこく言うだけの根拠はあるらしい……ということくらい。

 だから――。

 

「疫病に効く特効薬というわけではないですが……感染が広がるのを防ぐことはできる、みたいです」


 石鹸の効果についてもこれくらいの、曖昧な説明しかできない。首をすくめる私とは反対に、静かに話を聞いていたロザリアたんはゆっくりと顔を上げた。

 かと思うと――。


「約五年に一度の周期で流行し、貧民街の人々を中心に数千人以上が命を落とす疫病。前回の……三年前の流行の際は一万人を超える死者が出ました。親を亡くし、孤児となった子供たちも大勢います」


 魔王の出現を告げるゲームオープニングのナレーションみたいなことを言い出した。

 かと思うと――。


「疫病が広がるのを防げるだけでもどれだけの人たちの命や暮らしを守ることができるか! もし本当にそのような力があるのなら、このセッケンはまさに聖なる石です!」


 ロザリアたんは目をキラッキラさせ始めた。それはもう……オタクが推しのグッズに万札を叩き込むときと同じくらい。目をキラッキラさせていたのだった。

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