第35話 最初の疑惑


 王は、堅苦たかぐるしい葬祭用の礼服を脱いで、いつもの手を股間に入れやすい、ゆったりとしたローブに着替えていた。


「お招きありがとうございます」

「おお、よく来た。ん……お前はー」

「白雪だよ!」


 カレンは王の左腕に黒いリボンがないことをいぶがしいと思いながら、白雪の手を引いて寝所の奥に進んだ。


 王は娘から目が離せずにいた。


 約三年ぶりに見た我が子は、会いたいと必死に庭をいずり回って探し求めた初恋の妖精と酷似こくじしている。


 王の声は震えた。


「ティンティン……」

「お父さま? なあに?」


 長いまつ毛を目一杯上げて、大きな黒い瞳を向ける我が子から目が離せない。


 王はゴクリと生唾を飲み込んだ。そして、鼻の下に熱を感じる。


 少女たちにしてきたように、いつものセリフを口にした。


「美味しいクッキーを……」


 しかしその時、キラキラと星をたずさえた黒い瞳の中にうつる自分自身と目があった。


 王は、その初恋の人に酷似こくじした我が子の中に、自分に面影おもかげを見つけ、そして、この子はたった今、母親と、自分は妻と別れを告げたのだと思い出す。


 変態だが決して子供を傷つけることはしない心優しい王は、温かい眼差しを我が子に向ける。


「いや……話をしよう」

「うん! お話、だーい好き!」


 カレンは、やはり連れてきて正解だったと、親子の時間を取り戻す邪魔をしないように、一歩、下がって見守った。


 白雪の止まらないおしゃべりに、王は目を細めて聞き入った。


 ときおり「それはすごいなぁ!」「それで?」「それは知らなかったなぁ」「へー」と、楽しげに相槌あいずちを打つ。


 白雪は「ねー、カレン。そうだよねー?」と、カレンも話の輪に入れ、家庭教師の先生の口が臭いだの、庭師のおじいさんの腰痛が治ったのは自分が回し蹴りをしたからだの、大広間のカーテンでターザンごっこをしたら、やぶけてしまったので、裏からテープで留めて隠してあるだの、数々の武勇伝を語り尽くす。


 いつの間にかカレンも白雪と並んで王のテーブルについていた。


「もー、白雪、それは秘密だって言ったじゃん」

「大丈夫! お父さまは言いつけたりしないもん、ねー?」

「ああ、三人の秘密だ」

「ほらー」


 国王に知られてしまったからには、ほかの誰にも、これ以上、秘密にすることはないのだが、カレンもまだ10歳の少年だった。


 王国が国で一番偉い人であると頭ではわかっていても、やはり、身近でなにかと口うるさい侍女にしかられるのは避けたかった。


「王様、本当に内緒ですよ?」

「ああ、もちろん秘密は守るよ。君が蹴った小石が礼拝堂のステンドグラスを割ったことなんて私は知らない」

「違います! 礼拝堂じゃありません! 馬車です! 馬車のガラスにヒビが……」

「やはり、あれは君たちのいたずらだったのだね?」


 王は、歴代の王が愛用してきた由緒ある馬車のランプの一つが割れていると従者が騒いでいたのを思い出し、ニヤリと笑ってみせる。


 カレンはしてやられたと顔をしかめるが、カレンよりも幼い白雪はケタケタと大きな口を開けて笑った。


「カレンってば、石蹴りがへたなのー。あっちこっちに飛んで前に飛ばないんだよねー」

「あ! 白雪が逃げようって言ったんじゃないか! もー、なんだよー」


 自分が王の持ち物に傷をつけたことがバレてしまい、カレンは頬を膨らませる。


 すると、細めていた王の目が見開かれた。


「君は男の子のような言葉遣いをするのだね」


 すっかり気を許していたカレンの全身から冷たい汗が吹き出す。


 男の子だと知られれば、黄金の姫を、そして国王をだました罪でらえられ、打首うちくびつるし首の刑にしょされてしまう。


 自分を連れてきた侍女はもちろん、家族もろとも断頭のつゆと消えることになる可能性も否定できない。


 カレンは務めて冷静に、しかし声は裏返ったまま、微笑んで見せた。


「お、おてんばだと、よく父に叱られて……ごめんなさ〜い」


 美しい金糸の髪を揺らして顎を引き、切れ長の青い瞳を精いっぱい丸くして上目遣いに、そして、女の子らしい首の角度を意識して、少し口をとがらせ、ちょっと肩をすぼめてみせる。


 テーブル下のローブの中で熱を帯びていた王の息子は、辛抱たまらんとギンギンに自己主張を始めた。


 白雪はそうとは気づかずに助け舟を出す。


「カレンってば、木登りもかけっこも一番なんだよ!」


 王は、活発な幼な子の世話係りは、やはり活発な子が選ばれたのだろうと納得をした。


「ああ、だから体つきが……」


 ハーレムの、もちもちとした美少女達とはひと味違う、少し錨型いかりがたの細いがしっかりとした肩を見て、王は男の子っぽいと言いかけた言葉を飲み込んだ。

 

 いくら活発でおてんば娘だとしても男の子のような体だと言われれば傷つくだろう。


 心優しいガチ変態ロリ王は、サラサラのカレンの髪と艶やかな白雪の髪を撫で、話題を変えるべく席を立った。


 そして、一冊の本をドサリと二人の前に置く。


 その本の装丁は、深紅しんくのビロードの布が張られ、表題の文字は金で書かれていた。表紙の四隅には立体的な金細工が施され、それは、ぐるりと背表紙まで繋がっている。


 その本の持ち主であっても手袋をつけて扱わなくてはならないのではと思えるほど豪華な代物しろものに、カレンはもちろん、黄金の姫と異名をとる白雪さえも見入ってしまう。


 王はそんな二人にフフッと微笑んで、ゆっくりと表紙を開いた。


 それは繊細な挿絵が美しい絵本だった。


 興味津々に顔で押し合いながら絵本をのぞき込む二人から離れ、王はベッドに腰掛けた。


 床に足がつかず、ぶらぶらと揺らすもちもちの白雪の足首と、身を乗り出して爪先きでバランスを取るカレンの細い足首に目を細める。


 そして、二人に気づかれないように鼻の下をびろ〜んと伸ばした。


 そう、その見事な絵本は美少女を誘うための小道具だった。



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