第29話 王妃の死


「遅いな〜」


 ケヤキの木の下で、白雪は小枝をふってカレンを待っていた。


 しかし、一向に現れる気配がしない。


「はしご、見つからないのかなぁ。あ、おじいさんに捕まって叱られてる? もしかして、自分だけ違う木に登って遊んでいるのかもー!」


 白雪はカレンを探しに行くことにした。たしか、庭師の物置はこっちだったと記憶を頼りに小さな歩みを進める。


 しかし、白雪が行ける範囲のどこにも友人の姿はない。


 不安に駆られた幼い姫は、具合の悪い母に付いているだろう侍女のもとに走った。







 その頃、カレンは王の寝所で拍子抜けした顔でベッドに寝転んでいた。


 王は聞き及んでいた通り、食べたことのないほど美味しいクッキーとミルクを与えてくれた。そして、たわいのないお喋りをしたがった。


 覚悟して身構みがまえていたカレンは、聞き上手で穏やかな王と思いのほか楽しい時間をすごし、ベッドに横になることも強制されず、まあ、いいかと軽い気持ちで横になったのだった。


 すると、王は足首どころか、スカートにすら指一本触れてこなかった。


 実は、カレンが男の子らしくすそを気にせずに勢いよく横になったので、大の字に開いた足の間からチラリと純白のパンティがのぞき見れていた。


 王はそれで存分に鼻の下を伸ばし、そして、ハーレム帰りだったのも幸いして、早々に満足していた。


「カレン、また話し相手に呼んでもよいかな?」


 王は温かい眼差しを向ける。


「は、はい。ぜひ……」


 ベタベタをかけられたわけではないので、なんの嫌悪感も抱かずにカレンは寝所を出た。







 一方、白雪は侍女に、カレンが庭で消えたと話していた。よりによって、ぐったりと横たわる王妃のベッドの脇で。


 侍女が「しっ」と、指を口に立てても遅かった。


 王妃は血走った目をカッと見開き、天井に向かいゆらゆらと腕を上げる。


「……この時が来てしまった。あの子は国王に……なんて、恐ろしい。人様の子を犠牲にしてこんな……鍵をかけなくては……それを早く箱に……誰かっ、誰か箱を持ってきて! 早く! あの人が来る前に! 早く、早く、箱を……!」


 弱っていた王妃の心臓が限界をこえた。


 パタリと腕を落とし顔面から血の気が引いていく王妃に侍女が駆け寄る。


「王妃様! 誰かー! 主治医を呼んでー!」


 医師が駆けつけ、王妃のベッド周りは慌ただしくなる。


 小さな白雪は壁に張り付いたまま、ただベッドを見上げているしかなかった。

  

 その視線の先には心臓マッサージを受けて揺れる母の白い足先……。


 皆、すべてが終わってからおびえる幼な子に気づくが、慌てて取り繕っても、もう遅い。


 白雪の目に、その青白い姿を焼き付けたまま王妃は意識を取り戻すことなく、鬼籍きせきに入った。


 13歳で世捨て人のように城へ嫁ぎ、14歳で子を産み、20歳での早逝そうせいだった。


 王妃の世話をしていた侍女は、ついに王妃の心の平穏を取り戻すことができなかったと膝を折って涙した。


 誰もが侍女を慰めるなか、カレンだけは侍女を、そして、自分を責めていた。


 母親の壮絶な死を目の当たりにして、おもらしをしたまま立ち尽くす白雪を、その死床しどこから連れ出したのはカレンだった。


 王の相手を務めるという重要な役割を行っていたとはいえ、あの時、白雪のもとに走り帰るべきだったと唇を噛んで悔やみながら、そして、小さな子供が見ているとなんの配慮もしなかった侍女や家臣たちを恨みながら、白雪の体を洗い、新しいカボチャパンツに着替えさせた。


 白雪の部屋の大きな鏡台の前で、その艶やかな黒髪にクシを通しながら、カレンは努めて明るく話しかける。


「はしごを探していたら、誰に会ったと思う?」

「え?」

「王様だよ」

「お父さま?」

「うん、王様の部屋に招待されたんだー」

「……白雪、待ってたんだよ?」

「ごめん、ごめん。でも、クッキーの誘惑に負けちゃってさ。だって木登りよりもクッキーのほうがいいと思ってさ」

「ずる〜い」

「へへ。それでさ……」


 カレンは王妃の心の病の原因が王にあるとは聞かされていなかった。


 大人なら思い当たったかもしれないが、カレンもまだ10歳の子供だった。そして、王の部屋での出来事があまりにも聞いていたものとは違うので、あっさりと話してしまった。


「お父さまはお話好きなの?」

「うん、聞き上手って感じだったよ」

「うわ、白雪、お話だ〜い好き」

「きっと喜んで聞いてくれるよ」

「あの、お話する! 男の子の格好して悪ものをえいや〜って、やっつけるの!」

「アハハー!」


 破顔するカレンが違和感を感じたのは、鏡の中の自分が歪んだように見えたからだった。


 鏡台の鏡面が揺れる。波打つ波紋が広がったと思うと大きな男の顔が現れた。


「うわ!」


 カレンは白雪を守るように後ろに引いた。


『おこんばんわ〜』


 鏡の男は気の抜けた挨拶をした。


「だ、誰だ!」

『鏡の精ですわ。よう聞いてな。秘密の部屋に来てくんなまし。ほな、さいなら〜』

「ひ、秘密の部屋⁈ なんだそれは⁈」

『王妃の侍女に聞いてくんな。この姿、めっさ疲れまんねん。ほな、頼んだで〜』


 鏡面の波がおさまり、鏡の精は消えた。


 呆然と鏡を見続けたカレンと白雪は、鏡越しに目が合い、我にかえる。


「いまの……白雪、秘密の部屋ってどこか知っている?」

「たぶん、知ってる」


 王妃がまだ心の均衡きんこうを保てていた頃、幼い白雪を膝に抱いて秘密の友達のことを話して聞かせていた。


「来いって言ってた」

「うん、疲れるって。変なの」

「なんの用だろう……」

「行こう!」

「え、白雪、そんな簡単に。危ないかもしれないよ?」

「お母さまが友達って言ってた!」

「今のが、その友達なの? 本当に?」

「うん!」


 くりくりの黒い瞳に見つめられては疑い続けることは難しい。


 カレンはしぶしぶ承諾しょうだくし、肩かけ袋にロウソクとマッチ、少しのお菓子を入れて、白雪に手を引かれて部屋を出た。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る