第28話 その手をとったら終わり


「えーと、おじいさんの倉庫は……」


 カサカサと深い落ち葉を踏み鳴らしながら、カレンはふと辺りを見回した。


(あ、ここは近づいちゃダメな場所だ)


 大きな鳥籠とりかごのような温室のような建物が木々の間から見える。


 妹と城に行くことになったと言われた日、カレンはその理由を聞かされていた。


 王が黄金の姫に手にかけようとしたら、その身代わりになるのが自分たちの役目だと父から説明された。


 母と妹はおびえ、耳を塞いで泣きだしてしまったので、父はカレンだけに王がベッドの上でなにをするつもりなのか侍女から聞いた話を詳細に教えてくれた。


「パンツをのぞかれるだけ?」

「そうだ。王様はお前には触れない。まれに足首を触ることはあるそうだが、静かに目をつぶっていれば、それだけで王はイ……満足するらしい。だが、女の子には恥ずかしいだろ? だから、お前が女の子のフリをして姫の世話係りをしながら守るのだ。もちろん妹もな。やれるな?」


 双子とはいえ、妹は体が弱く、気も母に似て優しいといえば聞こえはいいが、どこか浮世離れした性格だった。


 人形作りが趣味の母に、お人形のように着飾られることに、心底、喜んでいたのは妹だけで、自分は学校に行く時こそ男の子の服装をしていたが、それでも一つに結んだ長い髪はからかいの対象になっていた。


 父は、勉強も運動もできるカレンの気持ちをわかってくれていた。


「よし、さすが我が家の長男だ。お前なら安心して商売を任せられる」


 商家しょうかの男子として、いつも父はカレンを頼り、褒めてくれていた。


 そして、心優しい母のオモチャになっていることを、嫌ならば嫌だと言って良いと抱きしめてくれた。


 父は、城からの命令は絶対で、断れば商売がままならなくなるとは言わなかった。


 しかし、カレンは家と妹を守るために気丈きじょううなずいた。


 母は最後まで泣き崩れたままで、父と家を出る幼い兄妹をまともに見送るとこができなかった。


 そんな母をはがゆく思いつつ、カレンは妹の手をギュッと握って振り向くことはしなかった。


 妹のようにただおびえ、母のように泣き崩れることができれば、どんなに楽だろうと思わずにはいられない。


 それでも、王妃が妹を家に帰すと言ってくれた時、自分も帰してくれと叫びたかった。しかし、妹と母という二つの重荷が取り除かれた気がしたのも事実だった。


 黄金の姫と引き合わされた時、白雪姫は「子供?」と、つぶやいた。


 城の中でたくさんの大人に囲まれて育った姫には、友達がいなかった。


 よく食べ、よく笑い、走り出したら息が切れるまで止まらないお姫様は、妹とは大違いだった。


 髪を伸ばしてドレスを着た、女みたいな顔をした自分になんの偏見もなく接してくれた。


 コロコロと鈴の音のような笑い声が聞きたくて、カレンは白雪を喜ばすことだけ考えるようになっていた。


 カレンは足を早める。


(早く、はしごを見つけて白雪のところに戻らなくっちゃ……)


 それは、突然の出来事だった。


「迷子かい?」


 背後から声をかけられ、カレンはその声に聞き覚えがないにもかかわらず、冷たい汗が吹き出した。


(振り向いてはいけない)


 心がそう警告する。


(お前の役割をはたす時だろう)


 頭が体を動かそうとする。


「どうしたのだい? 具合でも悪いのかい?」


 優しい男の声が背中に刺さるように感じる。


 落ち葉が鳴る音がして、男が近づいてきていると知れた。


(逃げないと……でも、追われたら白雪が見つかってしまう。でも、ここで、ぐずぐずしていて白雪が探しにきたら……)


 そう、これは自分の役目で、このために城に来たのだと心を納得させる。


 カレンはそでで顔の汚れを拭き、片方の髪を耳にかけて、ゆっくりと振り向いた。


 ハーレムから部屋に戻ろうとしていた王は、その初めて出会う少女に息をのむ。


「おお、なんと美しい……そなた、名は?」

「カレン……」


 カレンは薄いブルーの瞳を伏し目がちに、陽の光を反射する金の髪を揺らして小さく答えた。


「歳は?」

「10……」


 王が生唾なまつばを飲み込んだ音が、カレンの全身の毛穴を総立ちにさせた。


「美味しいクッキーがあるのだが、食べに来ないか?」


 “クッキー”


 このキーワードも父から聞いていた。


 王は自分をベッドに誘っている。


 悲鳴をあげて逃げ出したいが、無理やり頬と口角を上げて見せた。


「おいで」


 そう差し出す王の手に、恐る恐る自分の手を重ねる。


 王はその手を握り、カレンを引いて城に入って行った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る