第18話 えんがちょ〜


「すまぬ、ティンティン。大丈夫か?」


 王がヌメりと光る小さな手を取ると、物陰に隠れていた家臣がすかさず走り出て、ティーカップを奪い取った。


「こんなところに妖精様がー。なんということだー。妖精様が汚れてしまったー。これは大変だー。妖精様を綺麗にしなくてはー。そうだ、お風呂に入れて差し上げようー」


 家臣のわざとらしい棒読みに、ティンティンは顔をおおいたくなるが首まで液体に浸かっているので、呆れた視線を送るだけで我慢をする。


 白濁した液体はタプンと聞きたくない音を立て、ティーカップからあふれ出た。


「汚ねっ」


 家臣は思わず手を離しそうになるが、かろうじてティーカップを落とさずにすんだ。


「やーい、手についてやんのー。えんがちょ〜」


 まるで、一つ目の親父が湯船に浸かっているようにも見えなくもない妖精に、いや、お前は頭からかぶって全身まみれているじゃないかと言ってやりたいが、家臣はぐぐっと言葉を飲み込み「はは、そうですね。では、一緒に綺麗にしに行きましょう」と、これまたわざとらしい笑顔を向けて、立ち去ろうとした。


「ま、待て!」


 案の定、王は家臣を引き止める。そこでタンポが登場した。


「こんにちはー。私はタンポといいます。えっと、ティンティンの友人でー……」

「タンポン⁈」

「ちゃうわっ!」


 家臣が、ティンティンと王の分身がたっぷり入ったティーカップを、なるべく体から離して持ち、王がタンポに気を取られているうちに部屋を出ようとしていたのに、ティンティンは笑い声を上げてしまった。


「やっぱり、タンポン? って聞き返されたじゃーん。あんた、改名すれば?」

「うるさいわね! さっさと行きなさいよ!」

「待て。ティンティンを置いていくのだ」


 王に呼び止められては、家臣は振り向かざる得ない。


「王様……妖精様を綺麗に……」


 早く鼻の下びろ〜んの結果を王妃のもとに運ばなくては鮮度が落ちてしまう。


 家臣にあせりの色が見えた時、ティーカップに片肘をついたティンティンが首を振って髪を振り上げた。


 そして、顎を上げ、流し目をパチパチっとしばたいてみせる。


「あんた、アタイを引き止めたいんだね? まあ、あんたの好きにすればイイさ。でもね、アタイはきれいな姿をあんたに見せたいのさ。わかってくれるね? アタイは戻ってくる。必ず戻って来るからさ。今はそこの不細工なタンポンと遊んでいておくれ」


 くさいセリフをいい終わり、チュッと投げキッスをする。


 鼻水もどきの液体まみれで幼児体型の妖精がなんのキャラになり切っているのか、さっぱりわからないが、家臣はここぞとばかりに王に頭を下げ、小走りに部屋を出て行った。


 残されたタンポは(あんたが今からタンポンになるんだよ……)と、状況がわかっているのかわからない親友に同情の目を向ける。


 さて、廊下に走り出た家臣は大切な液体をこぼさないように、しかし、急いで王妃の寝所に向かう。


 内側から扉を開けたのは王妃付きの侍女だった。


 侍女は家臣の計画に不本意ながら協力していた。


 慣れない城の生活を強要され、父親ほども歳の離れた相手との結婚。遊び相手はおらず、夜な夜な魔法の鏡の前で膝を抱え、懐かしい生家せいかを鏡に映し出してもらいながら夜を明かす王妃の様子に、侍女は心を痛めていた。


 幼い王妃に笑顔になってもらいたいと心を砕き、散歩に連れ出したり小鳥を与えたりしてみたが、その度に「気をつかわせてすみません」と、大人びた微笑みを向けられてしまう。


 始めて城に来た日、魔法の鏡の前で子供らしい笑い声をあげたあの頃に戻ってもらいたい。


 子をせば王妃の地位は確固かっことしたものになり、赤ん坊の成長は大人びた少女の心のり所になるだろう。


 やり方は気に入らないが、このままだと王の性癖を知っている者にも石女うまずめと陰口を叩かれかねない。


 不遇ふぐうな少女に、十三歳という若さで長い隠居人生を味合わせるわけにはいかないのだ。


 幼い王妃は、気持ちが落ち着くお茶だと言って侍女が差し出した翡翠色の飲み物を疑いもせず受け取った。


 いや、疑いはあったのかもしれない。戸惑いがなかったのだ。始めて目にする見たこともない飲み物を一気に飲み干した。

  

 決して美味しくはないそれは睡眠作用のある薬草で淹れたお茶で、幼いまぶたは瞬く間に閉じていく。


 眠りにつく直前、見守る侍女に王妃は微笑んだ。


「ありがとう。じゃあ……ね」


 別れにも聞こえる言葉を残し、すーっと力が抜けていく王妃に侍女は黄泉よみの国に旅立たせてしまったのかと慌てて脈をとる。


 その穏やかな寝息とは裏腹に、侍女の中で沸々ふつふつとなにかがき起こった。


 美しく生まれたがゆえに父親に利用され、好きでもない男に嫁がされ、変態の相手に選ばれたと後ろ指をさされ、今、身の回りの世話をする侍女に毒を渡されたと感じたにもかかわらず、それをおくびにも出さず飲み干した少女。


(王妃様、私が必ずあなたの人生を取り戻して差し上げます……)


 侍女はそう硬く決心をして、王妃の布団に手をかけた。



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