第6話 愛の巣


 公爵夫人によって乱された風紀は、夫人の寝所しんしょに連れ込まれなかった家臣たちの鼻を侍女たちに向けさせていた。


 男が匂いをいで気を許した女に語るのは仕事の愚痴ぐち大半たいはんだと相場そうばが決まっている。


 侍女頭は城で一番の情報通になっていた。


「あれは、王が笑わせているのではありません」


 王は王妃を裏切ってはいないこと、そして、今夜は馬屋番と遊んでいるのだとげた。


「この声でさっするに、馬屋番は充分にその役目をはたしているようです」

「でも、苦しんでいるのではないのかしら……?」


 そろそろ夜が明けてくる頃だった。


 もはや地響きのようなその声は、突然止まり、やっと終わったかと胸をで下ろした瞬間、再び、始まるを繰り返していた。


 侍女頭じじょがしらは、馬屋番が今夜の相手だと聞いてはいたが、さすがに王妃が危惧きぐするとおり、首でも締められているのではないかと不安になる。


「王妃様、それほどご心配でしたら見に行ってみましょう」


 侍女頭じじょがしらは、他人の寝所しんしょのぞくなどと躊躇ちゅうちょする王妃の手を引き、公爵夫人の部屋に向かった。


 ふいに、恐ろしい地響きのような声が止まった。これが本来の夜の静けさなのだが、怪獣化した野獣の襲撃に耳が慣れてしまっていたのか、キーンと耳鳴りがする。


「と、とまったわ……公爵夫人は大丈夫かしら?」

「そうですね。急ぎましょう」


 二人は暗い廊下を進み、夫人の部屋の扉に手をかけた。


 そっと顔を入れ、そして体を滑り込ませる。


 王妃は口に手を当てて寝室をのぞき見た。


 そこには、だらんと舌をらして半目のまま気を失う、あられもない公爵夫人の姿があった。


 その姿は死んでいるとしか形容のしようがない。


(大変! やはりぞくが!)


 目を見開く王妃に侍女頭じじょがしらは、シーと、唇に手を当てる。

  

 すると、死んでいるはずの公爵夫人の目玉がまぶたの下でぐるりと動き、夫人は薄目を開けた。


「大丈夫〜?」


 馬屋番はぐったりとする夫人を容赦ようしゃなく引き起こし、ギュッと抱きしめた。そして、忘れずにわきの下の匂いをぐ。


 夫人は存分にいでくれた馬屋番をいとおしいと感じた。


 馬屋番もまた、生まれた時からすべてにおいて規格外の自分を始めて受け入れてくれた女性を手放したくはなかった。


 馬屋番はペロッと夫人の口をめ、犬のような愛情表現をする。


「可愛い〜。こんなに人の匂いが素敵だなんて知らなかったわ〜。教えてくれて、ありがとね〜」

「なぜ、そのようなことを言うの……まるで、これでお別れ……なの?」

「大好きよ〜。でも、ダメ〜。貴女あなたを馬屋で寝かすわけにはいかないわ〜。離れがたいけど〜、一生の思い出よ〜」

「いや! そんなのいやよ! あんな家に帰りたくない! ずっと、貴方あなたがれていたいの!」


 馬屋番も同じ気持ちだった。


 しかし、夫人は公爵のもとに戻り、自分は馬糞にまみれる生活に戻る運命。


 項垂うなだれる二人を見て、純粋な王妃は、これは深く愛し合っている結果だと思った。


 王が公爵夫人に手を付けなかったのは自分のためであり、手を付けられなかった夫人のみじめな気持ちをいややしてくれた馬屋番に感謝すら覚える。


 しかも、二人の相性はとても良いようだ。


 身分違いだが、なんとかして二人の愛が成就じょうじゅできるように力になれないだろうか。


 指を組んで、うるうるとした瞳で侍女頭を見つめる。


「なんとかして差し上げたいわ。愛する二人を引き裂くなど天命てんめいそむく行いよ」


 ちょっと相性が良かっただけで運命だの愛だのと盛り上がる勘違い変態野郎ですよと言いたいが、まがりなりにも相手は王妃と公爵夫人なので暴言はけない。


 しかし……と、侍女頭じじょがしらは言葉をにごした。


 王妃は、侍女頭がとても頭の回転の早い、頼りになる女性だと信じていた。


「お願い、私に知恵を貸して下さいな。お前なら二人がげるナイスアイデアを思いつくでしょう?」


 いっけん、お願いだが、君主制くんしゅせいのこの国で王妃の言葉は命令以外の何者なにものでもない。


 侍女頭じじょがしらは頭を悩ませる。


 公爵は公爵夫人が王の夜伽よとぎの相手に選ばれたと、当然、知っている。


 それならば帰らなくても王のお気に入りになったのだとあきらめるだろう。


 公爵夫人の息子達も、すでに伴侶はんりょがいると聞いている。母を恋しがる幼子おさなごはいないということだ。


 ならば……このまま馬屋へ。いや、城から出せば公爵が理由を問うてくるだろう。


 浮気相手が王なら黙るしかないが、馬屋番にぎ取られたと知れば、怒り心頭しんとうになるのが男というものだ。


 さて、どうしようか。


 怪物の二人が怪獣のような声で存分ぞんぶんに匂いを確かめられる場所と、公爵が納得する理由……。


(そうだ!)


 頼りになる侍女頭じじょがしらはひらめいた。


 この国の深い森には、何キロにも渡る洞窟が幾重いくえにも重なり、地中深くを通っている。その一ヶ所が、城とつながっていた。


 有事ゆうじに王達を避難させるために掘られた通路の先は、洞窟とはいっても王族の寝所しんしょにふさわしい調度品がそろえられ、数日は快適に過ごせるようになっている。


 しかし、この平和な国では無用むよう長物ちょうぶつで、もう何十年も使われていないが、掃除をして少し部屋を整えれば充分に使えると算段した。


(あそこなら……)


 夫人は誰にも見られずに出入りでき、馬屋番も森から、こっそりと入れる。


 なにより、夫人を城に住まわせ続けることが可能で、公爵に夫人は王の寵愛ちょうあいを受けていると思わせておくことができる。


 侍女頭じじょがしらは、その部屋の存在を三人に話して聞かせた。


 公爵夫人は、パァッと顔をほころばせる。


「では、私達はお別れしなくて良いのね」

「はい。しかし……」


 侍女頭じじょがしらはクンクンと鼻を動かした。


 家具をどかして絨毯を丸ごと交換しなくては、強烈な匂いがカーテンや天井にまで染みついてしまいそうだった。


 これを地下の洞窟部屋でやられては掃除に行く自分たちが地獄を見るのはあきらかだ。


(ベッド脇の床にみぞを掘って、汚水を地下水から川に流れ出るようにすれば……)


 多少の河川の汚染はあるかもしれないが城の水は山の上流からみ取っているので問題はない。きっと、深い森が浄化してくれるだろうと期待した。


「数日、時間を下さい。お二人の愛の巣を整えます」


 “愛の巣” その言葉に、公爵夫人と馬屋番は手を取り合ってキスをした。


 その様子に王妃も胸を熱くする。


「公爵夫人、えっと……馬屋番のあなた、どうぞ、お幸せに」

「ありがと〜」


 馬屋番は乙女声おとめごえを響かせて王妃に抱きついた。


 ついでに頭のてっぺんの匂いをぐことを忘れない。


 ひえっと、固まる王妃を守るように侍女頭じじょがしらが割って入る。


「お気持ちだけで結構ですから。その……王妃様に軽々しく触れないように」

「あら、ごめんなさ〜い。王妃様ってちっちゃくて可愛いのね〜。ん〜、食べちゃいたい♡」



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