:第三十話「きみのこえ」

実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第三十話「きみのこえ」


…………………………


  ────貴方の音に心のわななく、貴方の後ろ姿に色づく。


 新幹線で古都の駅まで三時間。それから在来線に乗り換え約一時間。一所懸命に唸るモーター、軋む錆びた鉄と機械油の匂いがする車輌。椅子の骨が分かるくらいに疲れたクッション。採算が取れない路線には古い車輌が宛てがわれるらしい。かたかたと振動する開けられなくなった窓から景色を見ていた。小さなわたしの初恋だった貴方は、大きな世界に連れ出してくれたように思う。結局、わたしに司法試験の壁を越える事は出来ず、いくつかの資格を取って町に帰る事を選択した。高校を卒業した十八歳で町を出て、今や二十七。長い旅だと言えば格好は良いが“都落ち”なんていう言葉もある。


 向井法律事務所でお世話になっている間に『彼岸の小さな恋』や、その近辺の時代背景、彼岸の獣が関わった事件などを扱った新聞、プロパガンダ、多くの史料を読み、知るが出来た。向井さんは『悲願の小さな恋』で取り扱われた事件は、二度と起こしてはならない非道のひとつだと“メドゥーサ向井(芸名ではない)”たる所以を教えてくれた。あと……まだ“第二の膝”を探しているらしい。本当に、あの人は。


 国立国会図書館に残っていた新聞には名前こそ伏せられていたが、確かに『彼岸の小さな恋』のモデルとなった事件が大々的に報じられていた。しかし、その後を追っても新聞の記事が急に小さくなり、ひっそりと騒ぎが収束していたのだ。ひとつはプロパガンダとして充分な機能を果たしたからだろう。もうひとつは無花果さんのお父さんが政治家を始め、警察、検察、新聞社と関係があり、何かしらの“お願い”をした可能性もある。加えて、裁判所に弟さんを始め、親戚も勤めていたから“様々な配慮”によって貴方は許されたのではないだろうか。


 あの日の朝、旅立ちを見送りに来てくれていた華子が、今度は出迎えとして立っていた。「よっ」と軽く手を挙げる華子の姿に微笑み「よっ」と手を挙げ応える。そして「華子、両手出してみて」と言って大量の“タラタラしてんじゃねーよ”を落としてやった。それを見て意地悪な笑顔をする華子が、ふふん、と笑い。


「コレ……旦那と子どもが好きなんだ。今じゃ、私も好きだしな」


 お土産ありがとな!り・ん・ご・さんっ!と笑う。全くもう……いつも華子はわたしの少し上とか前を行く。


「菊ちゃんと楓くんはー?」

「親愛なるりんご様との時間だ。母ちゃんに任せてきた」


 駅舎から歩きながら「今、何歳だっけ?」と聞きながら見渡すバスロータリーも、町並みも、全く変わっていないけれど、強いて言えば“牛乳入れのマーク”で有名なコンビニが出来ているのと、公衆電話がテレホンカードが使える新しいやつに変わっているくらいか。華子が「ああ、今日は車だからこっち」と旅立ちの日に白いアイツこと“ユーサク”で乗り付けた所を通り過ぎる。


「菊と楓は、まだ二歳と一歳だよ」

「しっかし、年子とは。やる事やってんね?華子くんよー」

「そりゃあ……やっぱさ、旦那の身体が大きいだけじゃなくて、一回の量がさー」

「まって!待って下さいお願いしますそれ以上は何だか聞きたくない気がします止めて下さい一回とか一発とか生々しいことは聞きたくないんですやめて下さい」


 相変わらず、華子の猥談は妙にヤラシイ上に年齢を重ねた重みなのか、それとも子どもが二人いる行為をした余裕なのか生々しくリアルになっていく。


「全く生々しいんだよ!華子くんの話はっ!」

「そーそーそー、たまたまやった時が生でさー……」

「やめろつってんだよ!」

「相変わらず、りんごさんは子どもだなー」


 黄色い機械にカードを通して表示される数字。その数字通りに小銭を華子が入れた。そして、華子が「今日のりんご姫に用意した馬車はコイツだ!」と紹介してくれたのは、あの心を盗む事で有名な泥棒さんの黄色い車ではないか。


「すげー!」

「ふっふっふ。テレビ版、映画版を観て一目惚れ。そして、一所懸命働いたさ!」

「あれかいっ!?やっぱり土手とか走れるのかい!?」

「そんな訳ないだろう。危うく買ったばかりなのに廃車にするところだったよ!!」


 試したんかい………。


 凄くうるさい車の中。可愛い三角窓から入る風。ラジオから流れる“胸に残る愛しい人は、もう夢の中”という詩を唄うしゃがれた声のヴォーカルとバンドが出したヒット曲。横目で見る二十七歳の車を運転する華子は凄く大人で、いつも二人の子どもに頼られているんだな、と思うと、わたしは人生をどこかに落としてきたみたいな気になる。


「りんごン家に行く前にさ、少し寄り道しようぜ」

「うん」


 わたしたちが入学した時には、裕に創立百年を超えていた小学校の校舎は「相変わらず、ボロいなあ」だった。しかし、三年後には取り壊しが決まっていて三代目の新校舎が建てられるらしい。「なあ?りんごさんよ。私は二年生からしか知らないけれど、入学してからずっと本を持ってきてたの?」と華子が聞く。そうだよ、と答えると、そっか、と言った。


 わたしは小さな頃から酷く人付き合いが苦手で、本当に逃げるように本の世界にのめり込んでいったんだ。内容なんてどうでも良かった。ただ、文字を読むのに夢中になれば、外の音が聞こえなかったから読んでいたんだよ。


「私が声をかけたのって……嫌だった?迷惑だった?」

「最初はね」


 たまにいるんだ、華子のような人。わたしの世界に土足でずかずかと入ってきて、わたしの世界から引きずり出そうとする無神経な人だ。そういう人の多くが途中まで引きずっておいて手を離し、去る。だから、面倒臭くもまた、わたしの世界の真ん中まで戻る。だけど、華子だけは世界の外まで連れ出したんだ。それから、ずっとわたしの世界を壊さずに外の世界も冒険させてくれている。華子がいなければ、本の良さだって分からなかったかもしれない。


 がろがろ、と不器用なエンジン音でゆっくり走る泥棒の黄色い車。石畳の上を走り、あのコンビニエンスストアの前で止まった。


「なっつかし!まだあったんだね!」

「まあ、この辺り彼岸の獣ばかりだからな」


 そうか。確か、お店の人も彼岸の獣だから潰れそうでも、潰れそうなまま赤字さえ出していなければ、お店は続くのか。お店の中に入ると「あれ?わたしって、背が高くなった?」と言ってしまうくらいに商品が取りやすい。華子がわたしの頭を、ぽんぽん、とやさしく叩いて「いいえ、りんご姫のご身長は十年前と変わっておりません。実にお子様のままです」と言う。ああ、お店側が人間にも配慮して棚を低くしたのか。そして、時間差で華子の顎に頭突きを。


 二十四時間営業では無いコンビニエンスストアで“タラタラしてんじゃねーよ”とチェリオのクリームソーダを買って、子どもの時からいつもそこにあった公園で二人で駄菓子を頬張った。公園にはいつの間にかジャングルジムなんて洒落た物が出来ていて、ちびっ子たちの溜まり場になっているではないか。


「華子、“あの本屋さん”がどうなってるか……知ってる?」

「んー?知らん。あの石が墓石か確認しに行った日以来、行ってないなー」

「そっか」




「だって“これはりんごの恋だろう?”」


「ふふっ、何度も言われたね。それ」

「自分の心だ。自分で決着付けな」


 いつも、これまで。そして、これからも、ありがとう、華子。


 深い森に続く道の途中に睡蓮が浮かぶ美しい池があって、その畔に一軒の本屋さんがある。白いペンキで塗られた木造の古い家屋を何十年か前に改装し、一部を店舗としたらしい。この白い家に貴方は“幽閉”されていたのだ。ほとんど誰も通らない旧街道に、ぽつんとある家に独り。貴方に与えられた生きる理由は償いの時間と妻の墓守。九年ぶりに来たとは思えない程、そのひだまりが綺麗に整えられていたから鼓動が跳ねた。ここは小さな頃、大人に「あそこには行くな」と口酸っぱく言われた本屋さん。その本屋さんの主人は店に入るなり、必ず、こう言う、


「いらっしゃい。声はかけない、ゆっくり見ていってくれ」


…………………………


実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第三十話「きみのこえ」おわり。

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