:第二十九話「あの時代を忘れない」

実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第二十九話「あの時代を忘れない」


…………………………


  ────若し妾の人生ど、来し方路はかしましい。


 テーブルに並べられた料理に目を輝かせ喉を鳴らした。よだれが何度か溢れそうになったが、手で拭ったのでギリギリセーフだ。華子の「じゃあ、食べるか!」という合図で、ふたり手を合わせ「いただきます!」と声も合わせる。まずはトマトリゾットなるものに手をつけた。


「うめー!チーズってお米と合うんだね!」

「トマトの酸味でさっぱりしてるだろ?」


 がつがつがつがつと用意された料理を、片っ端からやっつけていくわたしに「りんご?ちゃんと食べてんの?」と、華子が少し寂しそうな声で食べる手を止めるのだ。あ、あー…………わたしの食生活は、ほとんどがカップラーメンだ。それ以外には時間と体力に余裕があれば、ビジネス戦士御用達の牛丼屋か激安のスーパーで閉店時間ギリギリに余っていた半額以下のお惣菜。たまに管理人のおばあさんからのお裾分け。


「必死なのは分かる。あんな恋をしていたからね。でも、意味を見失っていないか?」


 痛い所を突かれた。わたしは貴方を探す為と貴方たち彼岸の獣を苦しい立場から助ける手段を手に入れる為に、この街に来た。向井さんの事務所に入って見てきた現実は、わたしひとりなんかじゃ太刀打ち出来ない程に大きな物だという事。わたしが想像していたより、余りにもかけ離れていた社会と綺麗事では済まされない現実。“夢”なんてもので“現実”に深く関われば、関わるほど嫌というほどの痛みを味わう。


「結局さ、悪い事をする人っていうのは悪い事をするんだ。

 彼岸の獣であっても人間であっても同じでね。

 本当に何を………変えるべきなんだろうね」


「りんごさんは、相変わらず気負うなあ」


 この社会に人間と彼岸の獣という種族……その違いを気にしている限り、差別や偏見は無くならない。彼岸の獣は今でも酷い扱いを受け、一部悪法と呼ばれる枷によって人権は犯されている。それでも少しずつ変わっていっていて、歩み寄りは続いていたんだ。彼岸の獣による犯罪率の高さは貧困が根底にある場合が多く、それは人間も同じ。ただ、人間よりも尊厳や未来へのチャンスが恐ろしいほど少なく、人間を基準として制定されているセーフティネットの、ほとんどが彼らには機能していない。社会的に弱者であっても、彼岸の獣が大きな声で訴える事は法に抵触し、一部歪曲しやすい法の適用で抑えつける事が出来るから、声をひそめて生きるしかないのだ。


「………わたしは何でも出来る気でいたなー」

「りんごの夢は何?」

「ん?いや、だから弁護士になって困っている彼岸の獣を片っ端から…………」

「それは“弁護士”じゃないと出来ないの?」




「“救う”が“弁護士になる”っていう夢に置き換わっていないか?」

「……………ぁ」

「相変わらず、直進しか出来ない馬鹿だねー」


 どうせ、バナナとイチジクの事ばかり考えてなかったんじゃないのー?と華子が笑う。おのれ、この美味しいご飯を食べた後に、久しぶりの頭突きをしてやる。話はそれからだ。


 かつて、彼岸の扉と呼ばれた異世界との繋がりが開かれた。そこからやってきた人間では無い、何か。あやかし、などと言われていた者たち。彼らは人間と共生をする事を選び、人間との約束を誓ったわたしたち人間の仲間。そして、わたしは彼岸の獣である貴方に恋をした。名前すら知らないくせに想いを深め、一方的に傷付き、傷付け、探し、助けられる存在になろうと夢を見て、人生という本を丁寧に綴ってきたつもりだ。その小説には夢を叶える為に四苦八苦した過程が書き連ねられているのだろう。その途中には、初めてわたしのアパートにまで遊びに来た華子との夜の事が書かれていて、きっと…………、


 猥談をしている。と書かれている。


 お客さんである華子はベッドを使ってもらい、わたしは床に敷いた布団で寝ようと準備をしていると、華子が「りんごさんさー……こんな安いパイプベッドじゃあ。音、激しく響いたんじゃない?」と笑顔で放った冗談に「ん゛っ!?」というわたしの謎の声と共に、動きが止まったのが始まりで「っえ?」と華子の動きも止まる。かち、こち、かち、こち、時計の秒針が、次の時間に軽く飛ぶ度に踵の音が響いた。その足音の数だけ“気まずい”という重みが流れる空間に、時間の重みまでもが加算されていく。わたしは覚悟を決め、気持ちの良いまでの軌道を描くフルスイングで振り切る事にする。


「わたしのお胸………すっごい役に立ったよね。骨抜きにしてやった♡」

「わあああああ♡」


 華子の表情が、ぱあっと明るくなり「明日は赤飯にしよう!」という彼女らしい言葉選びで揶揄うのだ。「だっ、え……っ、さ、さすがにそれは恥ずかしい!」と言うものの「そっかー、そっかー」と何だか嬉しそうにしている。


「はっ、華子くんこそ彼氏さんとどうなんだい!?」

「ん?最近、ようやく馴染んできたかなあ」

「なじ………?どゆこと?」


 耳を貸せい、と、耳打ちされるそれはアレがソレにアレするときにソレがアレ以上に…………。


「まじか…………少し、引くわ」

「にひっ。時間かかったなー、でも諦めちゃいかんのだよー♡」

「ぐ、具体的に、どれ、どれくらいなんだい?」


 少し聞くのが怖いけれど、興味は……ある。いや、凄いある。すると華子が恐ろしい表現で言い表したソレは。


「はっ!?えっ!!!?それは本当かいっ!!?」

「本当に獣……だよねっ♡」


「500mlかい?それとも2ℓの方なのかいっ……いいー……っ!?」

「秘密ー♡」


 どちらにせよ、まじか。嘘、でしょ。バナナの話で、きゃっきゃ言っている場合じゃない。え?も、もしかして、貴方のも………その……そういう事をする時に、わたしが大変苦労するソレでボルトとナットのはまりがアレなもんだから、吹きかけるだけでするする回る556的な話になるのですか?


 電気を消して現れる自分以外の呼吸も聞こえる影の世界。カーテンの隙間から少し光が入ってきていて、部屋の中が群青色になっていた。かち、こち、かち、と、時計の時間を一足跳びしていく音。ぶぅううん、と、急にお仕事をし出す冷蔵庫に、その横で、とてん、とてん、と独特の応援をする蛇口から滴る水。


「りんごはさー、本当に凄いと思うよ」

「なんだい急に。気持ち悪いな、どうしたんだい?」


 がさがさ、ぎし、ぎっ、と、布団の衣擦れる音とベッドが軋む音。華子が横向きになり床で寝るわたしを見て「にしても、このベッドは本当に軋むなっ」と強度を調査するみたいに、また揺らし始めた。「安物過ぎんだろっ!なんで、ちゃんとしたのを買わなかったんだ?」と、ぎしぎしっ、と鳴らされる音の中で、真っ赤になる顔を両手で隠し「も。やめておくれ、華子くん。本当に恥ずかしい。本当に。今朝、管理人さんにも凄かったとか言われたばっかなんだ」と言葉で泣いた。


「ああっ!すめん!……そんなホカホカな傷があったのか。すめん」

「うっうっ。今まで華子のエロさを馬鹿にしてきて、自分の性欲が凄かったとか……っ、どこのエロ本展開だよ!?」


「あ、いやさ、りんごは知らなかっただけで!ほらっ!ええとー……、やってみて激しく好きになる事ってあるじゃん!?」

「必死なっ、ひぐっ、フォローおっ、うぐ!ありがとう……っ、ひうっぐ!」


 もちろん華子が凄いと言ったのはアッチの話だけではなく、わたしが貴方を想い、追いかけ、そして、夢を見付け、叶える為にこの街に来て頑張り続けている事も含むそうだ。その姿が華子にとって励みになったのだと言った。


「本当はさ、りんごにも私に彼岸の獣の血が入っているって、明かすつもりはなかったんだよ」


 華子が知らないおじいさんは彼岸の獣。花屋のおばあさんと結婚してすぐに人間が始めた戦争に行って亡くなった。「隔世遺伝ってやつなのかなー」と短く切った前髪をつまむ。華子の髪は少し赤く、瞳の色も少し赤い。


「私、強がっていたんだよね。ずっと」

「強がる?」


 華子は出会った小学二年生の時からクラスのムードメーカーだった。それは真ん中にいれば仲間外れにされにくいからと考えての事だったらしい。いつも付き合っては別れ、付き合っては別れを繰り返す、恋多き華子だったのは一生を共にするのに、彼岸の獣に対して抵抗の無いパートナーを探す為。


「結婚が目的で彼氏を作ってたんじゃないんだけどさ……でも、一生を共にしたいと思う人としか付き合った事がない」

「今の彼氏さんと………来年、結婚だよね」

「あんなに私の事を大切にしてくれる人と出会えて幸せだと思う。これもりんごのお陰なんだ」


 それは社会の反対側で起業された創業者一族の御子息と偏見無く付き合う事が出来る華子だからでしょ。舎弟とも仲が良いらしいじゃないか。だって「姉ちゃん」や「若の女」から、今や「姐さん!」って呼ばれ……あー、こんな事は言えねえな。何故か分からないけれど、社会というものを経験してきた、わたしの人生が言わない方がいいと言っている。


「そ、それはわたしのお陰とかじゃなく、華子の魅力じゃないかなーあ?」


 すめん、逃げた発言に変更。


「どうして今、間が空いた?……まあ、いいや。りんごが『諦められるなら諦めている』って泣いたの覚えてる?」

「あったね、そんな事。確か定食屋さんでだ」


「私は恋がしたいんじゃない。愛される事を諦めたくないんだ」


 いつの間にか、その想いが強くなるのと焦りに比例して、恋愛期間が短くなり、遊んでる系女子高生っぽくなっていた、と、腕で目元を隠す。


「当時、付き合ってきた人たちに失礼な事をした。私が信じられないからって、それだけで別れた人もいたからね」

「………そうだったんだ。わたしは一時期、華子の事がよく分からない事があったよ。心配した」

「うん、知ってた」

「うん、バレてるのも知ってた」


 くっくっくっ、と、わたしと華子で笑う。小学生を過ぎ、恋人が欲しいって思い始める年齢も越えて、中学校、高校も同じ所に行って、更に成人しても変わらない親友同士のわたしと華子が笑う。想い出話とわたしへの感謝、華子への感謝、そして、初代校長の銅像前でもじもじしていた二人組たちは元気かな、まだ郷土資料館の眼鏡の学芸員さんは殴られているのかな、紙パックのオレンジジュースが飲みたい、最近、お好み焼きを食べてない、と、会話がゆっくりになっていく。時計の音、互いの心地の良い息の音、車や電車が走る音、閉まりきらない蛇口から水が、とてん、とてん、と落ちる音。夜が深くなっていく、


「……でも純潔を捧げたのは、今のダーリンだからね♡」

「えっ!?今の寝言!?事実!?どっち!!?」


 ぷっはっはっ、と、華子が吹き出して笑い、わたしたちの睡魔はどこへやら。お泊まり会や修学旅行みたいに楽しく騒ぐ。そこに無いのは枕投げと、最初に寝た方の顔に落書きをしない事だけ。


「さすがに初めては一回しかないから、心底愛して、愛してくれた人にしようと決めてた」

「そっか。そっかー。華子らしー」


 華子の初めては、今の彼氏さん。来年からは永遠のパートナー。


 わたしの初めては、違ったなあ。


…………………………


実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第二十九話「あの時代を忘れない」おわり。

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