:第十五話「もえる」
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第十五話「もえる」
…………………………
────古の過誤から逃げうるよう置き、彼岸参りと語りを消す。
郷土資料館は旧市街、本町の山沿い沿って歩き、町の外の境界線を意味する大きな堀の向こう側にある。外界と隔てられるように掘られ水が通された、その向こう側にだ。神社にも続く橋の上で「ここって、何だか嫌な感じがするんだよなーっ」と、前を歩く華子が言った。わたしの眉間にも“堀”が出来て「ぴえ」と謎の音が口から出る。「ああ、ごめんごめん」と華子が謝るのは、わたしが“その手の話”が苦手だという事。だけど、犠牲の上に立つ町の賑わいから隔離するように堀が本町を囲み、何かを崇める神社、それら歴史を知る資料館も外だなんて……。
「ほんと、此岸と彼岸………彼岸参りみたい」
「私が気ぃ使ってんのに、りんごが怖い話すんなよっ!」
きっと、堀の向こうに建てた郷土資料館は、現在と歴史を分けているようにしている……偶然じゃ無いでしょ。
昔、この町は商売が盛んで財力があり、そこそこの力を持っていたらしい。古都の玄関口となる重要な防衛拠点なのに、特定の領主がいた訳でもない。教科書で読む古都で起きた数々の政の混乱や戦乱にも動じなかった。それは、この町の結束が強い事を示していて、悪く言えば閉鎖的だという事が伺える。近代になり古い体制が倒れると古都の影響力が無くなる。時代が変遷する混乱の影響にも動じず、むしろ、古い影響力が無くなった事で新しい変化を受け入れた。そんな、わたしたちの住む町。
取り囲んだ堀は有事に備えてのものだと伺えるし、古く大きな家の土塀は高く、火災に耐えうる壁の厚さを持った蔵が立ち並んでいるのは、戦乱に備えていたのだろう。つまり、旧街道を介して古都に繋がりながら、商都として外部とも繋がっていたから、そのバランスと独立性を欲した。そんな、商売の町には全国から彼岸の獣たちが集まり受け入れられ、多くの彼岸の獣がかたまって住むという稀有な町としての歴史がある。そう聞くと人と彼岸の獣が友好的だったんだなと思うし、そう教えられてきたけど、それは人間側の言い分………。
「まぢかー」
郷土資料館にて華子が絵図を見ながら嘆いた。紙と顔料が痛まないようガラスに隔てられた向こう側に、残虐な光景が描かれた絵図が資料としてあって、ガラスに両手をつき、反射した華子の顔がドン引きして歪んでいる。彼女が見ていたのは、かつて過酷な労働を強いられていた彼岸の獣たちが、手枷、足枷をされ、鎖で繋がれ、働かされ、歩かされ、人間に暴力を振るわれる絵。
「“人間との約束”をいい事に、こんな扱いを受けていたんだ」
彼岸の獣の売り買い。
その代表的な市場があった、わたしたちの町。
彼岸の獣に対する扱いが変わったのは、倒幕後の近代政府が“彼岸の獣に対する人権”という法律を発出した時になる。人間と混じって歩く事が法的に許され、共に人間と働く事が出来る。もちろん、彼岸の獣が“雇い主”になる事も許された。独立して“人間の住宅地”に家を持つという事も法的に認められた。しかし、それは同時に“彼岸の獣である事を定義”し、管理する為に使われ始める。組織的に行われる重労働低賃金を加速させたのもこの頃だ。そして、住環境は生活をするにも足りないような給料で住む家なんて知れている。
「りんごさんよーお。なんだか、疲れたよーお」
休憩コーナーのベンチで、華子が紙パックのオレンジジュースに刺したストローを、がじがじと噛んだり、ちゅーちゅーと吸ったりと落ち着かないご様子だ。わたしたちの彼岸の獣に対する歴史や事件などに対する理解は、“人間側の教科書”に載るものだからね。
「華子くん。わたしたちが笑って暮らせる毎日は、沢山の涙の下にあるのだよ」
「人に自分の想いだけをゴリ押ししていた人が言う言葉ですか?」
「うっ」
全く、この女は……いつも、いつも、いつも痛い所を突いてくるじゃないか。
「だけどさ、その“想い”に動かされて、『彼岸の小さな恋』?それに疑問を持ったりんごは、恐れず知らない事を調べたんだろ?そんな事が出来るりんごさんは凄いと思うよ」
そう言うと紙パックジュースからズゴゴゴゴッ!と空になった事を知らせる音がした。華子のこういう所も凄いと思う。人間は、新しく身体に挿れる物に抵抗する生き物だと聞く。でも、華子は少し違っていて、新しく入ってくる物が自分に必要な物であれば、あっさりと受け入れる。違う物は違うと自らの倫理と道徳、哲学や知識をもって抵抗をする。決して、流されて受け入れるなんて事はしない。知らなかっただけだから、知る。知らなかった事を恥ずかしいとは思わない。でも、知ろうとしなかった自分は恥ずかしい。自分がしてきた事を謝り、許してくれるなら、また話がしたい。そんな事を風が吹くように自然に思い、出来ちゃう系女子高生なのが華子なのだ。
「りんごに教えられなかったら、もっと間違っていたかもなー。だから、教えてくれてありがとなー」
みんなが“何も無かった”事にせず、間違いや知らないを受け入れ、正し、また意見して話せる華子だったら、人間と彼岸の獣の両者が幸せになれるのかな。
館内を一通り周り、約束の時間になったから事務室に向かった。覚悟を決めてドアをノックし「たのもーう!」と開く。パーテーションで仕切られた部屋の奥から返ってきた声に招かれ入ると、十名程の職員さんがわたしたちを見て会釈をした。この中に、どれ程『彼岸の獣との歴史』に精通した学芸員さんがいるのだろう。黒縁の眼鏡をかけ、少し顎髭を蓄えた学芸員さんが頭を掻きながら、
「約束の時間通り!女子高校生なのにっ!しかも『たのもう!』ってウケる!めっちゃ武士!しかも凸凹コンビ!色んな意味で!………で?どういうご用件かな?」
「いや、女子高校生でも時間は守ります、ウケは狙ってませんね、ごめんなさい、勢いで言いました、その凸凹コンビという発言の主旨はどこにあります?身長ですか?身体的な特徴ですか?色々と問題がありませんか?謝罪を求めます、先日お電話した時に伝えましたが、彼岸の獣とこの町の歴史について知りたくて来ました」
「りんごさんってさ、いつもこういう時に棒読みになんよねっ」
「緊張してんのっ!」
「それでいて『たのもう!』とか……勇気があるのかないのか」
前に同じ事を言われたよ。
黒縁眼鏡の顎髭学芸員さんが頭を掻いて、口許が『困ったな』みたいに歪んだように見えた。そして、部屋の奥に向かい「タチ姐さーんっ!」と大声で“タチ姐さん”を呼ぶ。部屋の奥から速足で美しく歩いてくる長身のモデルさんみたいな女性。
「いつも、お客様の前でその呼び方はやめなさいと言っている!」
そう叱りつけると、黒縁眼鏡の顎髭学芸員さんの頭に拳を振り下ろし、カーンっ!と甲高い音を響かせた。いや……“タチ姐さん”?貴女もお客様の前でそれはやめなさいと思うよ。
…………………………
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第十五話「もえる」おわり。
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