:第十六話「それぞれのコーヒー」

実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第十六話「それぞれのコーヒー」


…………………………


  −白磁器の底も見えぬ黒い水面、飲み干したところで白磁器の底は白か。


 美しい容姿とは違い、姉御肌的な言葉選びと明らかな上下関係を持ってして、黒縁眼鏡の顎髭学芸員さんを拳でお仕置きをした“タチ姐さん”。でも、黒縁眼鏡の顎髭学芸員さんは涙目になりながらも「あざっす!」と嬉しそうだ。先輩後輩では無く、主従………関係……とかいうやつだろうか?……え?何ここ、なんだか、怖い。


「どーも。初めまして、多知川です」


 えっと、この人が電話で対応してくれた多知川さん?らしい。電話口の声と言葉使い、なんだかイメージが全然違うな……これが本性か。本当に、何ここ、とんでもなく、怖い。……変な事を口走ったら、わたしも“お仕置き”される可能性がありますね。きっと。


 鍵付きのガラス戸がはめ込まれた棚に多くの古書が収められ、少し古い空気、古いインクと時間の経った紙の匂いがする部屋に招かれ、ゆったりとした来客用の大きな革張りのソファーにちんまりと座った。


「あなたはお客様なのだから、そこまで緊張しなくてもいいんじゃないかな?」


 確かにタチ姐さんの言う通り、わたしたちはお客様だ。だから、こんなにガチガチになる必要なんて無いはずだ。そうではあるのだけれど、姐さんは何するか分からないからな。黒縁眼鏡の顎髭学芸員さんがコーヒーを持ってきてくれると、タチ姐さんが「まーコレでも飲んで、さっきの事はキレイサッパリと忘れよ?」と言った時、隣に座っている華子が………カップに入った真っ黒なコーヒーに何も加えずに、飲み始めたのだ。それは、今までのわたしたちの人生にはあり得ぬ光景だった。一体どこで、人生という名の道で右と左、明と暗、大人と子どもに分かれてしまったというのか!?手をワナワナとし、あんぐり口を開いて、華子を見ていると、


「うわっ!?ビックリしたっ!何っ?りんご!?」

「は、華子くん。きみは………きみは、いつから、砂糖、ミルクがひたひたなコーヒーじゃないコーヒーを飲めるようになっ……なったんだ?」


 わたしの問いに「ぷぷっ、りんごと違って、私は大人の階段を着実に昇っているという事さ!」とあからさまに嘲笑してくる。ぐぬぬぬ、わたしだって………!







「多知川さーん。この子の為にスティック砂糖たくさんください。ミルクも……とりあえず、ありったけ」


 たった一口で一万個の味蕾が悲鳴を上げ、表情筋は暴れ、身体に悪寒と電流、震えが走る。辛うじて、テーブルに手を付いていたからダウンは免れたものの、変な汗が止まらない。これが……カルディくんの山羊が発見した身体に良い飲み物だと言うのが、未だに納得がいかない。華子だけではなく、砂糖とミルクを袋のまま持ってきてくれた多知川さんにも笑われるのだが、まだ、わたしは膝を着いてはいないんだ。つまり、ダウンはしていないっ。リングの上に、まだ立っているんだよっ!大人はブラックコーヒーが飲めて、それを飲めないのは「まだまだ、りんごさんは子どもだなーあ?」という歪んだ常識なんて覆してやるさ。蝶のように舞い、蜂のように刺す彼のように、わたしはわたしの道を『Me,We』的に、何と言われようがスティック砂糖五本、ミルク六個のひたひたコーヒーを飲み続けてやる。


 対のソファに腰を下ろした多知川さんは、体育会系姐御とは思えない程、線が細く姿勢の良い女性だった。わたしも華子や多知川さんのように、素敵な女性になれたならなあ、と、見惚れていると投げた問いの答えが返ってくる。


「確かに小説『彼岸の小さな恋』に出てくる町のモデルはこの町です」


 多知川さんの細い指がカップの縁をなぞり、しがみついていたコーヒーが払われる。淡々とした声で話された知りたかった事。『彼岸の小さな恋』の物語に出てくる出来事も、物語の為に用意されたものではなく事実に近い出来事であり、それらに基づいて作られた話である事も、作者は人間が彼岸の獣に提示した人権に憤りを感じていて、執筆したという事も、多くの作品を通して訴え続けたのも、全て、この社会やこの町に蔓延る出来事が原体験であると教えてくれた。


「話題作だった『彼岸の小さな恋』が、その後、あまり重版されなかったのはどうしてですか?」

「時代」

「…………時代?」


 この本が執筆された当時、この国は列強各国に肩を並べようと戦争に向かっていた。だから、彼岸の獣のように安く、強力な労働力が多く必要だったのだ。彼らを“人間との約束”を盾に従わせる。その弊害となる意見や潮流に対し、作者の思想が国に利用された。


 言論統制や焚書、国威発揚の為のキャンペーンに『彼岸の小さな恋』を代表とし、愚かな思想、反体制的と定義され悪とされた。また、『彼岸の小さな恋』に描かれた人間と彼岸の獣の婚姻は、種族の違う男女が婚姻する際に『種族のバランス』や『彼岸の獣が人間をたぶらかしていないか』という審査を設ける結果となった。これは悪法の代名詞として未だに残っていて、法が適用されない“同棲”に相当するような半年以上の同居にも適用するよう改正されたりしている。審査は人間が統括する行政によって行われ、基準の大部分が公開されていない。故に『彼岸の小さな恋』のせいだと間違った知識を持つ人も多い。


「いい作品が人々の心に訴えかけ、響くなんてのは幻想よ」

「でも……間違った考えを変えるに足りる作品は、たくさんあります」

「それは結果論」

「じゃあ、多知川さんは何もしないで、毎日、眼鏡の学芸員さんを殴っているだけですか!?」


 多知川さんは微笑み、コーヒーをひと口含むと呆れた顔で「子ども」と言って、またカップを口に運んだ。


「じゃあ、私からも聞こうかな。りんごちゃんの言う良い作品が、こんなにも溢れているのに世の中が美しくならないのは、何故?」


かちゃん。


誰かの、ソーサーが鳴る。


「そんな尊い事が書かれた本が燃やされないように、この鍵付きの棚で守ってあげないといけないのは、何故?」


 間違っている、戦うべきだ、そう言うのは、簡単。

 私はね、あなたみたいに問題に対して、尊い気付きを持ったのに、感情的に行動する人間が苦手。




「なっんだあああっ!あの女はぁあアアア!きぃいいいいっ!!!」


 帰り道で、ふんす、ふんす、と、鼻息荒くプンスコ怒っているのは、わたし………ではなく、華子で。ふんす、ふんす、鼻息荒く「ちょっと綺麗だからって!ちょっと色気があるからって!ちょっとスタイルいいからって!いいなああーッ!」と叫けぶそれは全部褒め言葉だよ、華子くん。


「りんごはっっ!!あそこまで言われて頭に来ないのっ!!?」


 ふむ、そうだな。不思議と怒りは無いかなあ。目から鱗というか、多知川さんが言っていたのは事実だもの。ただ………、


「わたしが進む道が間違っていないのは分かったよ、華子くん」


 大丈夫。わたしは、大丈夫だ。お胸なら多知川さんに勝っているしねっ!華子とお仲間真っ平らー♪


 ご機嫌にたわわなお胸を揺らしながら歩いていると、華子が真剣な顔で「お胸は無いが大人の魅力がある女性と、童顔で子どものような低身長。しかし、爆乳。どちらが……より多くの支持を得るのか」と顎に手を当て、悩み始めた。


 華子くんのそういう発想………いちいち怖いんだよなー。今、脳内でどういう勝負をさせているの?そして、それを考えた先に何があるの?宇宙の起源?世界平和?ああ、ごにょごにょ色々な行為に対する見地かな。今、必要、それ?わたしや華子の未来に必要、それ?


…………………………


実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第十六話「それぞれのコーヒー」おわり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る