:第二十四話「ダンボールと不安」
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第二十四話「ダンボールと不安」
…………………………
一春夏秋冬、春のような日に、飛んで入る冬の春夏秋冬。
深い森に続く道。ここに通った三年間は、わたしを人間として大きく成長させたと思う。古都に繋がる石畳の途中に、申し訳ない程度に出された『Enfant』と書かれた看板に従えば、睡蓮の浮かぶ美しい池があるひだまりに出る。その畔に白いペンキで塗られた一軒の本屋さん。わたし一番のお気に入りである本屋さんだ。ここで多くの古書と出会い、今は絶版となり書店に並んでいない作品や作者たちとも巡り合ってきた。その中でも『彼岸の小さな恋』という小説と、その本屋さんの主人、人間ではない貴方が、
わたしは好きだ、大好きだ。
消えかかった手書きの『しばらく町を離れます……』という看板がまた消えかかっていたから「しばらく、わたしは書けないから消えないでねっ」っと願いながら、油性マジックで強くなぞった。二年間………何度、消えかかった貴方の文字を上から書きなぞっただろう。何度、貴方が何処にいるのか、何をしているかと想いながら書いただろう。手を、パッパッ、と、二度、叩いて振り返る。睡蓮が浮かぶ池が朝日と森の影の狭間で揺れていて、そこに立つ石柱が何か言いたげだった。この墓石であろう石柱が誰のものかは分からない。でも貴方の大切な人のものであるのは確かで、池の真ん中にあるのは………誰にも触られたくないからなんでしょ。
「これからわたしは、みんなを助ける勉強をしに行きます。ひとつ、お願いがあります……」
貴方が愛したひとや彼岸の獣たちを助けるよう全力で頑張るから、力を貸して。
森から町に旧街道を降りていくと、華子が白いヤツと一緒にいた。「よっ」と挨拶をし「よっ」と返されるだけで通じる一番の友達。何も言わずに渡されたヘルメットを被り、何も言わずに華子の後ろに乗ると華子が、
「りんご様の門出だアーっ!」
そう叫んでふざけ、エンジンを必要以上にふかして走り出す。恥ずかしくなって、何か言おうとしたけれど………その言葉は取り消して、華子らしい応援の仕方にゲラゲラと笑っていた。
わたしの足で歩いて三十分はかかる駅まで、華子の白いコイツでは十分ちょっとで着いてしまう。券売機で今まであまり買った事のない金額の切符を買って、改札の前で華子から「両手出してごらん」と言われたから馬鹿みたいに何も疑わず、差し出すと手の中いっぱいの“よっちゃんイカ”を「ほれっ」と落とされ、互いに馬鹿笑いして抱き合う。今日からわたしたちは、しばらく、さよならだね。
「元気でな、りんごさんよ」
「うん、華子くんもね」
わたしは大学に通う為に都へ引っ越す。通う大学は担任の先生に無理だと言われていた大学。華子が勉強を手伝ってくれたから合格した大学。その華子は実家のお花屋さんを手伝いながら、やはり大学に行く為に勉強を始めたらしい。世の中には一浪、二浪などと言って、挑戦を続ける人々に肩身の狭い思いをさせる風潮があるが、“学びたいという意志”に年齢や遅いなんて事は無いんだと言って華子は笑うのだ。
「変な男に引っかかるなよー?」
「華子くんの頭の中って、そんなのばっかだよね」
「ふっ、お子様とは違うのだよ!お子様とは!」
「うっさい!誰がお子様か!?」
「りんごは童顔で低身長……全部お子さまなのに、お胸だけが大きい!そこだけ大人!世の中には需要ってヤツがあるからな!華子、とっても心配!」
全く、どの層の需要なのか……。需要があるのだとしたら、全くもってして嬉しくない需要だ。駅の天井から下がる時刻表と大きな時計。その中で出発に迫る短針。次の快速で古都にある大きな駅まで行き、そこから新幹線に乗る。都まで三時間と少しという夢の超特急。
「頑張ってきな、りんご」
「行ってくるよ、華子」
わたしたちは、それぞれの道を、それぞれに歩いていっても、ずっと友達だ。
夢の超特急でたった三時間弱だ。それなのに、その三時間弱が恐ろしく遠い距離だなんて想像もしていなかった。古都から都へ到着しホームに降りて困ったのは、出口がどこか分からない。とりあえず、人の流れに任せて行き着いた出口が十何番出口かで、それがどの方角に向いていて、どこに行くのかが分からなかった。道を尋ねようにも、みんな急いでいるのだから声が掛けられず立ち尽くす。この街に住んでみて分かったのは、あれは急いでいるのではなく、この街の速度だという事。街の中が濁った水のような色をしていて、その臭いが鼻につく。二時間かかって乗りたい路線に乗ると、電車の中の人間も彼岸の獣にも表情が無いように見えた。窓から見える極彩色の広告看板やネオンが虚しく輝き、欲望へ誘う音声や音楽が聴き取れないくらいの大音量と数で鳴っている。そんな街で、わたしが契約した“城”は、家賃の割に広くのない六畳のアパートだった。
「はい、これが鍵ね。こっちは予備」
「ありがとうございます」
管理人のおばあさまから鍵を受け取り、部屋に積まれた段ボール箱を眺めてみる。不安?うん、不安だらけだ。この部屋には段ボール箱と不安しか積まれていない。この街で貴方が見つかるとは思えない。それでも、探してしまうのだろう。今までのように悲しい出来事があっても華子と会う事も出来ない。それでも、一度、華子の家に向けて足が向くのだと思う。だけど、何があっても自分で抗うしかない。わたしはそこまで強いのか?いいや、強くなきゃいけないんだ。これからは自分の手足で切り開いていくんだ。誰も助けてなんかくれない。
「今晩のお夕食は決まっているの?」
「えっ?」
ふいに背中に投げられた管理人のおばあさまの声は、この街に来て初めての“やさしさ”だった。そのやさしさに甘え、不安で押し潰されそうになっていた事を泣きながら話して、鼻水も垂らしながら温かいおでんを食べた。
「寂しくなったら、いつでもうちで食べなさい」
「きょ、今日はありがとうございましたっ」
助け合いなんだよ、と、渡されるおでんの余りが入った小さなお鍋。この街は助け合いをあまりにも忘れ過ぎたけれど、本来は温かい街なんだよ、と、顔をくしゃくしゃにして笑った管理人のおばあさまは、彼岸の獣だった。
「おやすみなさいっ」
「はい、おやすみ。ちゃんと鍵を閉めるのよ」
「貴女は……特に一部熱狂的な需要がありそうだからね」
だから、何すかソレ?
次の日から始まった荷解きと激安スーパーまでの道と街を覚える事、公園を見付ける事と入学式までの時間を活かした勉強。入学して、授業を受け、街に出て貴方や“彼岸の獣史”とその背景についての資料、史料を探す。それを繰り返して毎日が過ぎていく。その一日一日で重くなっていくのは、わたしが未来を叶えに来た街は、生まれ育った町より、ずっと寒い街だという事。
春夏秋冬、それぞれに寒いのだ。行き交う人間と彼岸の獣の目が合う事は無く、同じ種であったとしても干渉する事もほとんど無い。あるとしたら“トラブル”と呼ばれる出来事がほんとんどだ。やさしくかけられる声は、だいたいポケットの中に欲が隠されていて、信じれば馬鹿を見る。酷い思いをして同情を求めても「信じちゃう方が悪いっつーか………まあ、虫に刺されたみたいな感じだよ」と笑われるのが、オチ。あの日の“何も無かった”を形にしたような街だ。それが人々を動かす街。駅の壁に沢山貼られた美しく語感の良い立派なスローガンで溢れたポスターに映る、満面の笑みに比例して無表情が歩いている街。この街に来て一年目の何もかもを焼き尽くすような落陽の晩秋に、みんなが浮き足立つだけで虚しく舞う桜の坂道に、息が出来ないくらいに暑い夏の雑踏の中に、紅く染まり散れば、さっさと掃き片付けられる秋の路地裏に、雪が降る時よりも寒い冬のホームに、相変わらず、わたしは貴方の大きな背中を探していた。
「……ふざんけんなよ」
…………………………
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第二十四話「ダンボールと不安」おわり。
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