:第二十三話「物語」
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第二十三話「物語」
…………………………
ー千々にひろごる行き先の、海とて向かう友との別れ路かな。
土曜日の朝。家の外から、べっべっべっべっ、べけ、べべっべ、と、不思議な音がするな、と、一度目を覚めしたのだけど、布団に潜りやり過ごしていた。しかし、今度は窓に、かつん、かつん、と、何かが当たる音がし始めたのである。この一年と少しの間、休みなく続けた勉学と久しぶりの休息。布団の中で拳を握り締め、健康な歯をギリギリと鳴らす。そして、こめかみ辺りには青筋が立ち……………血管が切れる前に布団を「どらっしゃあっ!!」と、よく分からない叫びで蹴り上げ窓に向かう。朝っぱらから!かつんかつん、うっせーなあっ!という怒りを叫ぼうと、窓をバンッ!と開けると、家の前の道路に白いスクーターに跨る華子が、小石を持った反対側の手を「よっ」と言って上げたのだ。ドタバタと急いで階段を降り、玄関でスニーカーとサンダルの片方ずつを履いてしまうくらいに忙しなく、華子の元へ駆け寄る。
「すっげーなっ!どうしたのっ?コレ!?」
先程までの怒りはどこへやら、でっでっで、べけ、でで、べべべけっ、と白い煙を吐くそれを様々な角度から、まじまじと観察した。ヘルメットを被り、ドヤ顔の華子が「ふっふっふー。ついに手に入れたゼ!」と言った白いコイツ………どこかで見た事があるな。
「何言ってんだっ?ユーサクが乗ってたろ!ユーサクが!」
「ああっ!探偵のアレかー!かっこいー!」
「りんご!海、行こう!」
「海っ?今から!?」
「そ。今から!」
べべべべ、べけっ、べべべべ、と走る白いヤツ。その後ろに座って華子の背中と風を見ている。華子がバイクの免許を取ったのは、高校に入ってすぐの事。周りから散々言われ、強い反対にもあっていたのだが、子どもの頃から貯め込んでいた余ったお小遣いとお年玉を総動員するという豊富な軍資金を使い、誰にも金銭的な文句を言わせない形で話合いの場をまず対等とした。そこからは持ち前の頭のキレと口八丁の外交力。さらには粘り強さで乗り切り、気が付けば家の中から反対勢力を殲滅するが如く黙らせたのである。もし、わたしがこの国の内閣総理大臣なら外務大臣に華子を指名するだろう。前方から風に乗って「免許取ってさーっ、実はすぐにコイツを見つけてたんだよーっ!」と綺麗な声が風に乗って聞こえてくる。白いコイツに一目惚れしたのはいい、でも、買うのには少し軍資金の残金が足りなかったのだと笑った。
「あと六万六千円だぜー?そんなお金、アルバイトしてない高校生が持ってっかー?」
「えっ?じゃあ、足りない分どしたのっ!?」
べっべっべっべけっ、と、信号で止まると、お尻に伝わってくるアニメとかでメカのネジが取れそうになるくらいの振動。華子が悪い笑顔で振り返り「花屋、手伝うから月の小遣いとは別にお駄賃くれって頼んだ」と信号が青になり発進する。また響く、べけべけ音と風の音の中で、弾ける声。
「分かってんよー!同じ車種、同じ色、もう少し安い中古車はたくさんあるってねっ!馬鹿だろ!?私っ!!」
いいや、馬鹿なもんか。華子にとって、この“白いヤツ”以外は形と色が一緒なだけでコイツじゃなかったんだろ。
「ほんっと!華子って、ばかだなあっ!わたしの恋に文句なんて言えないじゃないかーっ!」
「ほんとだよなー!結局、私たちって似たモン同士なんだなー!」
海まで、あと十五キロメートル。
お腹にざわざわと響く波の砕ける音。耳元でバタバタと忙しなく海風が鳴って髪に絡み、しがみついていく。防波堤から階段で砂浜に降りていくと、波が足元から十メートル程先で白く砕けては黒い海へ帰っていき、また打ち寄せていた。いつからかは分からないけれど、この押し寄せては引いてをずっと続けているらしい。わたしが山手育ちだからなのか、波の音を聞くと、お腹の下がざわざわとして、心を逆撫でされるような感覚に軽い恐怖を覚えるのだ。
「海から陸上生物は這い上がってきたらしいなー」
「その割には郷愁を感じないなあ」
「彼岸の獣も……向こうの海で這い上がってきたのかなー?」
華子が、そう言葉にした事を少し後悔しているようだった。
「華子はさ………また“彼岸の扉”が開かれたら、彼の岸に行ってみたい?」
「んー…………そうだなあ。りんごに会えなくなるんだったら行きたくないなあ」
この世界には彼岸の獣を、よく思わない人間がいる。この世界には人間を、よく思わない彼岸の獣がいる。それでも両者の大多数が“人間が用意したルール”を守る事で、同じ世界を生きていくという事を選んだ。人間に有利で一方的とも取れる“ルール”を飲んでまで、彼岸の獣が共に歩む事を選んだのは………。
「やさしいね。華子って」
「急に、何?気持ち悪っ」
「全く華子くんは、酷いコメントをするなあ」
「はっはっはっ、すめーん」
こうやって、わたしたちの青春というヤツが格好悪く終わっていく。それが、どうしようもなく……本当にどうしようもなく、格好悪く、愛おしい。
「華子くんよー?これが青春なんだねえ」
「そうなのかー、これが青春かー。知らなかったよー、りんごさーん」
本当に格好悪くて、最高だね。
深い森に続く道の途中に睡蓮が浮かぶ美しい池があって、その畔に一軒の本屋さんがある。白いペンキで塗られた木造の古い家屋を何十年か前に改装し、一部を店舗としたらしい。小さな頃、大人に「あそこには行くな」と口酸っぱく言われた本屋さんまでの道が好きだ。大好きだ。その本屋さんの主人は店に入るなり、必ず、こう言う、
「いらっしゃい。声はかけない、ゆっくり見ていってくれ」
愛想がない言葉を並べる優しい声は、彼の生い立ちがそうさせたものなのだろうか。彼は………、
彼岸の獣。
つまり、この世の生き物ではない。
カチッ。
久しぶりに貴方の顔を見れたのに、それは夢の中だったよ。あの本屋さん、あのカウンター、貴方が「花が可哀想だ」と言って守ったあの花瓶。大きな手の中に収まる本が、この町に帰ってきてくれたのだと思い、嬉しくて、お店に入るなり気付いたら三歩も踏み出していた。レジカウンターなんか飛び越し、涙や鼻水、よだれ……顔中の水分大放流で貴方に抱きつこうとしたとことろで目が覚めたのだ。
「今日という日に………ずるいなあ」
まだ時間が早いけれど、もう寝付けそうになかったから家を出る準備をする。いつも通りに歯を磨いて、いつも通り髪をとかし、いつも通り頭のてっぺんにある癖っ毛に苦戦して、いつも通りにお父さんとお母さんとテレビを観ながら、いつも通りに朝ご飯を食べる。そして、いつも通り星座占いが最下位だったから、いつも通り肩を落とした。いつも通りなのに、いつも通りじゃないのは、お父さんとお母さんが涙ぐんでいる事。それを見て「別に最期じゃないんだからさー」と笑って、スニーカーの紐を固く結んだ。
「いってきます!」
…………………………
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第二十三話「物語」おわり。
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