:第二十一話「覚悟」

実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第二十一話「覚悟」


…………………………


  −先人の痛みを分けた今日の、此の先を作られるまで癒えぬ痛みの道程。


 借景で造られた庭園にも見える貴方の本屋にある池と、それを楽しめるように置かれた白いベンチ。丘の上から戻り、またベンチに座るわたしと華子。


「…………座って、大丈夫…………な、量なの?」

「少し湿るけど……大丈夫。たぶん」


 先程、わたしは恐怖に負けて、ついに漏らしてしまった。高校生にもなって受ける自分で自分に与える辱め。貴方の前じゃなくて良かった……と言いたいけれど、華子の前でも駄目だろ。


「まあ…………黙っててやるから……気にすんな」

「華子っ!逆にいじっておくれ!その方が心が楽だよっ!」


 あははははは、と、乾いた声で笑うしかないといった華子と、真っ赤になった顔を両手で覆うわたしである。夕方、その少し前の穏やかで涼しさを持った風が頬を撫でるくらいに吹いて、時間がゆっくりと過ぎていく。睡蓮の池に影が落ちてきて、より青く見え始めた頃、華子が「しかしさー」と感慨深い声と表情で視線を向けたのは、池の中にある細長い石柱だった。まさかとは思っていたけれど……、と続け、池の反対側から見れた石柱には、朽ちて読めなかったものの確かに文字が彫ってあったのだ。


 華子の仮説であるお墓ではないかという事は、この池に睡蓮が張られたのも頷ける。そして、陽が出ている多くの時間で光が射し込み、陽だまりのようになる庭の造形だ。


「夜とか池の上に浮いてたりしないのかなあ?」


 そう華子が余計な事を言った瞬間、またちょっと出た。いくら怖い事に弱いとはいえ、すぐ出ちゃうとか……泌尿器科とかに行った方がいいのだろうか。家に帰ったら、お母さんに相談してみよう。


「多分、あの人がこの森にいるのは、あれを守っていたんじゃないの?」

「でも、華子?こんな所に………」


 いや、こんな所だからこそ意味があるじゃないか。『彼岸の小さな恋』で戦争が始まり社会が不安定になると、また彼岸の獣に対する差別が強くなり、その事に苛むふたりが描かれていた。そして『獣狩り』という事件を表現したであろう展開は、近代史の教科書にも載っている悲しい事件だ。作中で彼岸の獣の妻である“はなか”さんも差別の対象となり、たったそれだけの理由で人間たちから暴行を受ける事になる。助けに入った貴方は重い罪を犯すしかなかった。


 異常、集団心理による客観視の麻痺は、貴方が人を傷付ける事で収まったが、そのまま自警団に身柄を拘束され警察に渡される。事件のきっかけとなった人間たちによる“はなか”さんへの暴力は問われず、貴方の暴力だけが問われた。家族との面会も許されぬまま、早さを持って進行する裁判から弁護士とも会わせてもらえなかったのだろう。言い渡された判決は極刑。“はなか”さんは事件の時に負った心身の傷が癒える事が無いまま貴方に極刑が言い渡されたという知らせを聞き、絶望のあまり庭の松に縄をかける。互いに、互いの事を知る事なく、互いに、互いの、しあわせを願いながら、同じ時、同じ方法で、縄を首に…………。


 ふたりが次に目を開くと光に包まれた雲の世界だった。暖かく、暑くもない。不快など一切感じない世界。そこで、またふたりは出逢い、手を取ると、虹のかかる向こうへと歩幅を揃えて歩き出す。つまり、


死後に、ふたりは永遠の愛を手に入れた。


「わたしが………出来る事って」


 すぐ隣に差別や偏見、無関心な暴力があったよ。今まで、どうして気付かなかったかな。こんなにも本を読んでさ、知識を付けたくせに………使わなかったら、ただの“無意味”だ。本当に、わたしは馬鹿だ。あの骨董品屋さん(本業)が驚いた程、貴方が大切にしていた『彼岸の小さな恋』を譲ってくれたのって、あの悲しみが忘れられ、再び起きないように受け継いでいって欲しいという願いだったんじゃないか?同じ悲しみを繰り返さない為に読んで欲しかったんじゃないのか?まだ、この社会には同じ悲しみが繰り返される可能性が大いに孕んでいるから知っていて欲しかったんだろう。わたしに何が出来るだろう。あの人に、彼岸の獣たちに、わたしが出来る事は………………、







「華子。わたし、弁護士になるよ」

「はっ?りんご、何言い出すのっ?」

「弁護士になってさ………片っ端から」


 片っ端から、このちぐはぐな法の壁で困り、生きにくさを抱える彼岸の獣の手助けをしてやる。貴方のような想いを、華子が無理をして友達を作らなくてもいいように、わたしに悪さをしようとした彼岸の獣が、これ以上悪い道に進まないよう、困っている彼岸の獣の為に相談にも乗る。まだ平等とは言えない法の下で精一杯の手助けをする。この社会が本当の“わたしたちの共生”を始めるまでのお手伝いをする。


「でもさ、りんご………」

「止めないで、華子」

「うん、いや、止めはしないんだけど」


 わたしの成績で法学部に行けるかどうか、っていう心配かあ。そうだ、そうだった。志だけでは夢は叶わん。人様に罪を与えるか、与えないか、人生を左右させちゃう国家資格だもんな。


「明日から遊べないよ、華子」

「うん、まあ……私も毎日遊ぶほど暇じゃないんだよね。本当に遊ばないよ?いいの?」

「わたしが嘘を吐いた事が……ある?」




「ある」


 ……今は格好付けたいんだよ華子くん。そこは合わせておくれよ。


 わたしの名前、りんご。これは母が付けてくれたらしく、あの『知恵の実』から来ている。知恵を付け、賢く、実りある人生を送れるようにって願いだと言っていた。


 華子と陽が陰り始めた石畳の上を、町に向かって転ばないように歩く。大嫌いな大きなお胸を張って、歩く。わたしが「いいなあ」と思っていた身長の高い華子は、それを気にしている事だって知っていた。モデルさんみたいでいいじゃないか、と、少しふてくされ思っていたのだけど、今となって分かるのは身体が大きくなるのは“彼岸の獣の血”を匂わせるからだろう。綺麗だと思っていた赤みがかった長い髪や光が入ると赤く見える瞳も憧れだったけれど、本人にとっては縛る物だった。それでも華子が背を丸くした事はなくて、背筋を伸ばして美しく歩いてきた。だから、わたしも………華子のように、胸を張って歩いて行こうと思う。


「華子さー、わたしの名前って知恵の実から来てるんだ」

「へえ?………で?」

「いやっ、『で?』って何?『で?』って!?」

「いやあ、その割にはりんごって“知恵”使わないなあって」


 う。助けてもらった昨日の今日。ぐぅの音も出なければ、いつもの頭突きも出せない。すると、何かを思い出したのか華子が「あ!」と言って、手を叩き、木漏れ日を落とす樹々の隙間を見るように視線を少し上げた。


「知恵の実ってさ……りんごじゃなく、バナナ説とイチジク説もあるらしいよ」

「なんですとッ!?!?」


 なんだか、イチジクとかバナナとかヤラシイなー、と言うと、華子が「へえ?どうしてイヤラシイの?説明してごらん?子どもだから分からないかなー?」と意地悪に嘲笑うのだ。ぐぬぬぬぬぬ、華子が大人の階段昇る、君はもうシンデレラさ……なのかは知らないが、いつも子ども扱いしやがって……っ、大きな声でアレの象徴とアレで使えそうだからねっ!って叫んでやろうか。


「ぶぷっ、りんごってば。やっぱりお胸と一緒で、その手の想像も膨らむのかなっ?」


華子の言葉に、思いっきり息を吸い込み……声帯を潰す覚悟をした。


…………………


実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第二十一話「覚悟」おわり。

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