:第十九話「たまたま」

実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第十九話「たまたま」


…………………………


  −道に転がる石を美しいと思うように、人生で出会った他者を愛おしく思う、偶然。


 見た目がどう、とかって、本当に嫌だな。わたしは他の子より、ほんの少しだけ早かったり、ほんの少しだけ身体の成長も早かったから、いつも男の子からの視線が嫌だったんだ。それどころか、その視線の先にあるのはさ、他のどの子よりも大きくなるばかり。そのくせに背は伸びなくて童顔でね。変な人が着いて来ているよ、って、何度、華子に助けられたか。ぽけっとしてないで、気を付けなさいと言われてきたのに、結局、痛い目に合わなければ分からない、お馬鹿さんだ。


 この世界には、本に出てくるような王子様なんていないのに。


「何やってんの?用事とやらで急いでんでしょ?さっさと入んぞ!」


 直接、身体に触れる異性は貴方が初めてであって欲しかった、なんて、今更だけど強く願ってきた事を願い直してみても、貴方が助けに来てくれるなんて本じゃないんだから、そんな事は起きないのも知っているのに………、


「ッたく!!もーっ!!かったりィなあっ!こっち来いっつーのっ!!」


薄汚い腕が、わたしの身体に伸びてくる。


はっ、た、助け…………、


「とおおおっっっっっうううっっっっ!!!!」


 その瞬間、穢らわしい腕が目の前を走った美しい影と共に吹っ飛んだ。アスファルトを転がり「でッ!か!はっ!」と、リズム良く三回転し頭をぶつけ、ゴミ置き場にダイブする悪い人と………「痛ってぇえええっ!」と背中からアスファルトに落ちて、腰をさする、


「華子っ!!!」

「マジでっ、痛えっ!ごほっ!ごほっ!!」


 遅らせばながら、今になって溢れ出る涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして「華子っ、華子っ、華子っ!!」と飛び付き、これでもかというくらいの力で抱き付いた。華子は痛みに顔を歪めながら「あっはっはっはっ!ごほっ!ただ今、参上っ!!ごほっごほっ!」と、咳込みながらも笑う。


「りんご!!私が助けに来たのが遅くなったのはどうしてだと思うっ!!?」

「えっ!?えっ!??何ソレっ!?なぞなぞっ!?」

「違えよっ!遅くなったのは正義の味方だからだヨっ!だいたい遅れてくるだろ!?ライダー的なヤツとか!!」


 わたしの前を駆けた華子の飛び蹴りは、あまりにも速かったから驚いたよ。だから“黒い稲妻”という異名を授けよう。なんだか、白い方はマツナガ方面の異名で通っているらしいから!


「華子ぐううん!!怖かったよおおおおっ!!!」

「ったく、りんごはっ、いっつもぽけっとしすぎっ!!あと!これからは“華子、”に改名だ!“華子、”ヨロシクっ!ゴホッ!


パキッ!


「いってえええええっなアああっ!!をいっ!!!」


 華子、が来ても、まだピンチを乗り越えた訳では無い。あんなに頭を打っていたのにも関わらず、悪い人がガラガラとゴミの中から出てくる。あ、頭の上にバナナの皮が乗ってる。ゆっくりと、大きく肩を揺らして吸う息は人間のそれでは無くて、口から吐く息に水蒸気が混ざっていた。この人………人間だと思っていたけれど、彼岸の獣だ。バキバキと音を立てて、服を破り、身体が大きくなって、目が赤く光った。


「てめぇっ、その童顔女のダチかっ!?」

「ダチじゃないね!親友と書いてマブだねっ!!」

「んな事ァ、どうでもいいンだよっ!アタマに来た!仲良く犯してやらあアッッ!!」

「ハッ!ヤられる前に言いたい事があんだけどっ!」


 身体が二回りほど大きくなり目が赤く光っている悪い人の背後に、ゆらり、と立つ、もう一回り大きな影。その影から伸びた手が悪い人に乗ったバナナの皮ごと頭を鷲掴みにする。あれ?あれは、いつぞやの…………「私のダーリンって怒ったら、怖いって有名らしいよっ!」と華子、が言ったのは、やはり華子、の彼氏さんじゃないか。


「おれのハニーに手を出すって?」


 あ、あれ?彼氏さん………?こんな人だったっけ?初めて会った時は、なんだかオドオドしている世間一般のイメージで語られる“アニメオタク”さんだったんだけど………?あ、嘘、悪い人が踏んでいたアスファルトから足が、離れた。


「あっ、あだっ!?痛いっ!!痛いよっ!?あっ、アンタはっ!イヤっ!!俺っ、知らなくてっ!!」

「知らなかったら手を出すのか?」

「いや違くて!まさか、アンタの女だなんてっ!」

「彼女じゃなかったらカタギに手を出していたのか?」


 なんだか、彼氏さんにバナナの皮ごと持ち上げられた悪い人が酷く怯えている。華子、が言う通り彼氏さんは有名人っぽいね。………え?カタギ?カタギって言った?もしかして、そっち方面の有名人ですか。いやいやいやいやっ、まさかとは思うけれど、反対側の社会に存在する会社に勤めていらっしゃる方でしたか。


 悪い彼岸の獣は、彼氏さんから言われた“三秒以内に姿を消したら見なかった事にする”というやさしさを噛み締め、ぴえんと泣きながら二秒で姿が消した。彼氏さんが、ぺこぺこと「申し訳無かった、怖い思いをさせてしまった」と何度も頭を下げるから、わたしは「だ、だだだだだだっ、大丈夫っでっす!ありがとうございましたっ!」と両手を振る。助けてもらった上に、そんなにぺこぺこと社会の反対側で起業された御社にお勤めの彼氏様が仰る事では無いですよ、はい。その後、場所を定食屋さんに移し、晩ご飯を食べながら、華子、が話してくれたのは、彼氏さんのご実家が老舗の社会の反対側で起業された創業一族のご子息だという事なんだと教えてもらった。


「は、華子、くん………わたしァ、あんたの度胸に惚れるよ」

「度胸とかではなくて、愛だよ。愛っ」


 凄いな、華子、。ここまで分け隔ても無く「彼の周り、けっこーいい人多んだよ」と言って、彼氏さんの事を信じる姿勢は、未来で本が出版されていいくらいの事なんんじゃないだろうか?


愛、か………。

愛?……ん?んんっ?


愛、ねえ。




「あのさー、華子、くんさー。




 どうして、あんな所にいたの?」


 ひゅー、ふひーぅ。華子、が吹けない口笛を吹く時は、自分に都合の悪い時。


「いや?えっと?たまたま通った感じ?」


「ああ、“たまたま”なーあ?そりゃあ、“たまたま”なら仕方がないですね?華子、くん?」


華子、が「繰り返し、“たまたま」言うな」と顔を真っ赤にする。さあ、尋問の始まりだ。さて……「偶然、通るにしちゃあ“そういう事をする建物”が立ち並ぶ通りを歩くとは、どういう事かね」と質問すると、目を逸らして定食屋の油でベッタベタのギットギトになったテレビを指差し「あっ!ホラ!この選手さ、今年から助っ人で入ったばっかなんだよー!??」と野球中継に気を逸らそうとした。その時、大きく振りかぶり投げた投手の第一球に、弧を描いたバットがボールを捉え『大きい!大きい!入るッ!入るぞッ!!……いったぁーっ!!突き刺さったアーッ!!!そのっ白い閃光が!いきましたっ!!いやあ!出ちゃいましたねーっ!!』と特大のアーチがバックスクリーンまで飛んだ事を叫んだだけの実況が、なんだか、とてつもなく卑猥に聞こえたのだ。


「まー………単純に?りんごなんか見えなくなるくらい?こーゆー事も?先にオトナの階段を昇っていってる感じ?もう、砂糖とか、ミルクとか、ひたひたのコーヒーなんていうものは可愛いかなって???」


 ちくしょう、この女。わたしたちは親友じゃなかったのか。それなのに華子隊はわたしを置いて、ずんずんと階段を昇り、あまつさえ建物を制圧したというのかっ。今日の今日まで連帯連携してきたわたしにくらい、無線でいいから『行動を開始する!』と伝えてくれても良いのではないだろうか。


「華子、くん、階段の上から突き落としてやろうか」

「えっ、なにそれ怖い」


「ところで?りんごこそ、どうしてあんな所にさ?」


 華子が訝しげな表情でわたしの目を見る。これを話したら、きっとまた……怒られたり、呆れられたりするんだろう。でもね、わたしの貴方に対する思いは………どうやっても止まらないんだよ。


「まあ……大体分かるけどさ。もう、いい加減諦める事も……」

「それがっ!出来たらっ!やってる!!そうしてるよっ!!!」


 いつもの頭突きより言葉が先に口から飛び出ていた。叫び立ち上がった拍子で鉄パイプでできた安い丸椅子が転がる。両手を強く握りしめて肩に力を入れたのだけれど、涙を……我慢する事が出来なかった。わたしは、本当に馬鹿だ。どうして、こんなにまで馬鹿で、ぼけっとしていて、不器用で、おっちょこちょいなのだろう。貴方への思い、自分の感情すら自分でコントロール出来ない。華子、が「悪かったよ。りんご」と言って抱きしめてくれたのに、涙を止めるなんて事も出来なかった。


…………………………


実った恋は熟しても鳥には食べられない。

[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]

:第十九話「たまたま」おわり。

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