:第十二話「獣のいない世界」
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第十二話「獣のいない世界」
…………………………
−想いの深度、心傷の、痛み苦しく、想い、知る。
泣き喚いても、わたしの感情なんか世界には全く関係が無くてね。だから、涙が止まった後も、いつもの世界と何ひとつ変わってなんかくれやしなかった。いつも通り、本当にいつも通りの世界。どれくらい泣き喚き、どれくらい時間が経ったのか分からないけれど、ただ、お腹がぐぅぐぅと鳴るから、お昼くらいなのかなと思い町まで下りて、交番の向かい角にある鉄板屋さんでモダン焼き買って公園で食べていた。割り箸を割る時にささくれだった棘が指に刺さったから痛い、たぶん。モダン焼が熱い、たぶん。唇と舌を火傷した、たぶん。でも、指や舌や唇よりも、それよりも…………心が痛い。身体の内側で心が押し潰れて、その内圧に引き込まれるように身体が潰れそうになるから身体全身が痛い。それなのに、お腹は減るんだなあ。やっぱり、わたしはゴン太くんなんだな。
「りんごっ!!!」
学校に来なかったわたしを心配して、ノッポ華子さんが探してくれていたらしい。どうやら、今はお昼とかじゃなかて、もう午後四時を過ぎているのだと言う。おやつの時間を過ぎているじゃないか、おやつを買いに行かなくてはとベンチを立った。
「いーから座ってな!何がいいっ!?“よっちゃんイカ”か!?」
「“タラタラしてんじゃねーよ”がいい」
華子が“よっちゃんイカ”を食み、わたしは“タラタラしてんじゃねーよ”を頬張る。やっぱり、味がしない。ちらっと、華子を見ると“よっちゃんイカ”を咥えながら空を見つめていた。つられてわたしも空を見る。
「華子、今日ってさーあ………曇っていたんだねー」
雲を形成する水分が、満遍なく光を拡散するから太陽がある方向が分かりにくい。だから、時間が分かりにくくなって………いや、違うかな。朝起きて、着替えて、貴方の所まで走った時は快晴だと思っていた。何故かというと心が晴れやかだったからだ。だけど、貴方がいないと分かった瞬間に、この世界から色と温度が無くなった。指の先、爪先も、身体だって冷たくて、身体の内側で潰れた心の分だけの空洞が寒い。身体を暖めようと自分で身体を、ぎゅっと抱く。その時、華子が「いつまでも“恋”に甘えているんじゃない」と言った。
華子が家まで送ってくれて「ちゃんと食べて、お風呂入って、歯磨けよ。宿題もしろよ………温かくして寝るんだよ」と笑顔で手を振ったから「全員集合かよ。まだ六時だヨ」と言って手を振り返す。部屋の灯りは点けず、窓から入る鈍い夕刻の光を頼りにベッドの上に座って、公園で華子が言った事を思い出してみた。わたしが貴方に伝え続けたのは“わたしの為だけの恋”であって、貴方が不在の想いを「押し付けていたんだよ」と言って、そんな息苦しい想いを押し付けられる毎日が辛かったのかもね、と、わたしの頭を撫でたのだ。
「自分にとって尊い感情も、ゴリ押しされれば……………ただの迷惑だ」
そう言った華子の声が、まだ鼓膜を揺らしている。わたしを傷付けない為に貴方は距離を取り、遠回しに『お断り』していた。わたしは、“恋”、というものに鈍感な訳でもないんだ。今まで好きになった人はいたし、告白をされた事もある。返事に迷い、遅らせて、遅らせて、結局、駄目になった事もある。今まで付き合うまでに至らなかったのは、何となくの流れで付き合えなかったのと、“この人だ”という人が少なかったからだ。生まれて初めて、こんなにぼろぼろになるまで想いを伝えたいくらいに“ああ、この人なんだな”って思えたのは貴方だけだったんだ。わたしの十六年間という人生なんて、大人であり、彼岸の獣でもある貴方にとっては、小説の序章一行目の数文字にしか満たないのかもしれない。でも、わたしにとっては序章の一行目からハッピーエンドに向かう、駄作と呼ばれるようなご都合主義の幸せな恋愛小説の始まりだったんだ。
「まさか、主人公がバッドエンドにしちゃうなんてねー」
わたしは小説家に向かない。
いつも通りに、学校が終わると本屋さんに向かった。そこにはひだまりがあり、水蓮の浮かぶ池の畔に白く塗られた本屋さんがあって、その主人は必ず「いらっしゃい。声はかけない、ゆっくり見て行ってくれ」と愛想がない言葉を並べて発するやさしい声が、無い。そのまた次の日も、一週間先も、一ヶ月先も、冬に向かおうと森の葉が色付き、落ち始めても毎日通ったのだが、やっぱり貴方はいなくて、手書きで書かれた掛け札の文字が風雨で消えていく。だから、たまにわたしが書き直したりしていた。
「理由も知らずに来ちゃったお客さんが、潰れちゃったって勘違いして、悲しむ」
初代校長の胸像が見える渡り廊下からそれを覗くと、またも、もじもじとする男女が見つめあっていた。そこで想いを伝えて爆ぜるとかいう伝説は無いから安心してね、と心の中で呟く。隣で紙パックからストローでオレンジジュースを吸い上げる華子が男女を眺め、言った。
「あのふたり、爆ぜないかなー」
その言葉に乾いた愛想笑いをした。華子が鼻をすすり、その長く細い脚をクロスさせ、手すりに両肘をかけると、背中を反らして顔を上げ空を逆に見る。
「なんかー……りんごさんさー。つまらない人間になったよねー」
「何それ…………意味分かんない」
どうして、そういう事を言うのだろう。わたしが、どんな想いをもって、どんな思いをしたのか知っているでしょう。それが小中高と一緒にいる親友への言葉かね。
「まだ……あそこ行ってんでしょ?」
「華子には関係ない」
関係ないかー酷い言われようだなー、と、ぐいぐい逆さになった空に仰け反っているのにも関わらず、強調されるはずのお胸は平らな地平線だ。本当に、うん、平ら。平原。ゆっくりと気怠そうに視線を空から水平に戻し、今度はしゃがむ。膝に両腕をかけて、顔をその間に落として「りんごさんさー、傷付くだけが恋じゃないんだよ。知ってた?」と小さく言うのだ。華子…………あのさ、
「華子くん。格好良く台詞を吐くのはいいんだけど、その格好はパンツ見えるよ」
何故か、わたしが恥ずかしくなり、膝をもじもじと顔も赤くなっていくというのに、本人は……、
「格好良く言う為に、さっきの休み時間中にトイレで体操着履いてきた」
オレンジジュースを持った手の人差し指と中指でピースサインをびしっと決める。相変わらず、エンターテイナーだな、華子くん。
…………………………
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第十二話「獣のいない世界」おわり。
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