:第十話「ふたつの山を分ける旧街道とふたつの山の使い方」
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第十話「ふたつの山を分ける旧街道とふたつの山の使い方」
…………………………
−願わくば、夏越の祓を貴方とくぐり流さん、恋の病。
どうしてかな。貴方と二人で飲んでいた紅く素敵な光を落とすルイボスティーが、レジカウンターの上にみっつ。ふたつからみっつになっただけなのに、さっきまでこの世界に存在していた素敵な雰囲気が無くなったや。ああ、きっと、幸せな時間は時が経つのが早いと言うから、貴方との穏やかな時間は光速で移動し、重さを増す事象に因果律が発生して…………、
「いやいやいや!まさかご本人がいるとはっ!」
はっはっはっはっ、と、わざらしく笑い誤魔化そうとする華子に、ギリギリギリギリッと歯を鳴らして威嚇をする。目を三角にして、眉の間に日本海溝を出現させ、睨む。華子は「さっきから、りんごが怖いんだけどっ!私、何かしたっけ!?」と罪を認めようともしない。いま、わたしはあと一歩で大切な言葉を、一生に一度しか言わない言葉を言おうとしたんだ。一世一代の覚悟と永遠を手に入れられるかもしれなかったんだ。華子の行為、乙女のまんたるやを踏み躙り、それを万死に値するとせり。そして、ここを教えていた過去のわたしに課す罪は、片手では持つのがやっとの黒くて大きな辞書の角で、後ろからわたし自身の頭を…………、それには光速以上の速さで移動するか、莫大なエネルギーを発生させて平面宇宙を曲げ、時間軸を過去へと…………、あるいはトイレの便器に頭をぶつければ、車に搭載されたタイムマシンシステムがっ!!???
「いやあ、いつもりんごがお世話になっちゃってますっ」
「華子が言うことじゃないっ」
「いやいや!やはり、私が挨拶をしておかなければってね?」
「華子は母ちゃんでも無ければ、全日本女子高生連盟代表でも無いだろっ!!」
「でも……この人にお世話になってるんでしょ?」
「なってるけどっ!?華子くんが、いちいち………」
「そうだよね。私が言う筋じゃあないかもしれない。だって、りんごは夜な夜なこの人の事を思いながらオぶべっべべべべべっ!!!!!」
今っ、今!華子はっ!華子はっっ!!絶対っ!絶対っ!!変な事を言おうとしたっ!変な事を言おうとしたっっ!!華子の口を押さえながら、そのまま引き倒し「ちょっと!失礼いぃっ!!」と首根っこを掴んで、お店の外まで引きずり出した。
「華子クンッ!!なんて事を言おうとしたんだようっ!!もうっ@○☆5=%#>!!」
「あーはいはいはいはい。お子様のりんごには分かんないよね」
この女はっ!人の恋を馬鹿しやがって!何を口走ろうとしてたくらい分かるよっ!泣くぞっ!泣き喚くぞっ!?ふぅーッッ!!と、猫が喧嘩をする時に出す声と髪の毛を逆立てても、華子は「あーはいはいはいはい。そんな顔を真っ赤にしてプンスコ怒るなよー」と平然としている。今、もし、華子の失言で関係が悪化、いや!絶たれたりなんかしたら、どうしてく………、
「まだ始まってもないのに、そんな心配してんの?」
「そうだようっ!!まだ始まっても!……始まっ……?…………アレ?」
「あの人、りんごの名前すら知らなかったもんね」
「…………ぁ」
レジカウンターの向こう側で肘を付いて、眼鏡越しの伏せた目で読書をしている、貴方。その貴方は、わたしが勇気を出して、告白をしたというのに“何も無かった事”にして、やはり“客のひとり”として接していたのだ。だって、わたしの名前、知らないんだもん。
「終わったのか?」
「はい、終わりました。そして、これから大切な話が始まりますっ」
ばんっ!と両手でレジカウンターを叩きつけると、ルイボスティーが揺れ溢れて、レジスターの横にある小さな花瓶も揺れた。それを貴方が手で押さえる。
「やめてくれ。花が可哀想だ」
可哀想なのは花よりわたしだ。こんなに通い詰めて、告白をして、今日は一杯頑張った。それで分かったのは名前すら知らないって事なんだよっ!?
「まず、君自身が名乗った事など無いのだが?」
「…………ぇ」
………そうだ。そうだったよ!いつも、この本棚に収まっている本を買っていたし、注文をした事もない。今までの会話という会話も、ほんの少しだ。それも世間話にも数えられないような会話だけだった。え……ちょっと待って…………わたし、貴方の名前も………………?
恋は盲目。
そんな言葉がある。『好き』という感情は、脳内にある成分を分泌させる。その成分は様々な思考を麻痺させ、周りを正常に見えにくくさせるらしい。その代わり“恋”に関しての出来事や刺激には、とんでもない快楽を脳に与える。つまり、わたしは貴方ばかりを見て快楽を得、その快楽に周りだけではなく自分自身や貴方すら見えなくなっていたのだ。……彼岸の獣に対する社会の扱いについても、貴方の事じゃなければ、こんなに興味を持たなかった。貴方が彼岸の獣だったから、差別に目を向けるキッカケになっただけだ。……なんだか、わたしは。
「もう一冊、もう一冊『彼岸の小さな恋』が欲しいです。注文できますか?」
あの日、貴方と行った骨董品屋さん(本業)の店員さんが、貴方から『彼岸の小さな恋』を買うだなんて非常識な奴がいるんだなと言っていた。その理由が知りたい。貴方の事なら前書きから序章、現在執筆中の原稿すら書き換える勢いで、これから先はずっと一緒に書き記されたい。隅から隅まで、表から裏の裏まで、全部、知りたい。こんなにまで一点しか見えなくなっていて、一所懸命にワガママになるのは、ナントカ成分による麻痺、及び、単なる“恋”の快楽でも、何でもいいよ。好き勝手言って、笑ってくれても構わない。ただ、わたしは貴方が好きなんだ。
「本を取り寄せるなら、ここに苗字を記入してくれ」
「りんごです」
「苗字でいい」
「りんごです。苗字はありません。だから、貴方の苗字をください」
「冗談はやめなさい」
「…………今の……がんばったんだけどなあ」
こんな事を言えるのは貴方だけだ。わたしは貴方だから、わたしの口から出て、私自身がびっくりするような言葉が、すらすらと言えるんだ。貴方に一生懸命なんだよ。
「お茶を淹れ直そう」
「頑張ったけど響かんね。りんごさんよ?」
「華子くん…………わたし」
「仕方が無い、最後の手段だ。りんご、そのお胸を前線へ投乳だ」
「えっ?はっ!!?“投乳”??えっ!!!???」
華子曰く、わたしのお胸を使えば「男なんて簡単に堕ちる、イチコロだっ!お子様のりんごには分からないだろうけれどっ!」との事だ。馬鹿にするなよ、わたしだって本で色々と読んで知識は得ているんだからなっ!でも…………、
「具体的な“色んなやり方”の加減が分からん。教えておくれ、華子先輩」
「…………本気でする気なの?」
…………………………
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第十話「ふたつの山を分ける旧街道とふたつの山の使い方」おわり。
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