:第八話「“たわわ”と“およよ”」
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第八話「“たわわ”と“およよ”」
…………………………
−想いの深度が苛む良心の、想い慕う彼の痛みを知らぬ。
今、わたしは絶賛悩んでいる。貴方の右腕に抱きついたまでは、いいとする。しかし………、いつ、どのタイミングで、どのような感じで、貴方の腕にしがみついたままの腕を解こうかと、ずっと悩んでいる。あまり焦って放れると、気を使わせるだろう。しかし、ずっとこうしてるのは恥じらいというものとか、乙女としてというか………わたしのお胸が“たわわ”で良かったなあ、とか思ってみたりもする。何故なら、華子のような“お胸平たい組”だと、触れられない、当たらない、埋まらない。すっかすか。………どうして、お胸が当たっているだけで、ちょっとだけ……ゴニョゴニョ……な感覚になるんだろうか。不思議。
「そろそろ離れてくれないか。年頃の女性がする事じゃない」
「スひィっ!すっ、スミマセンっ!」
急いで貴方の右腕に回した手を解いた。もしかすると“お尻軽い系女子高生”に勘違いされたかも……しれない……………よね。もじっとして、顔を真っ赤にうつむくわたしを、貴方が鼻で少し笑ったように思う。
「ああ゛ーっ!?あの本どこやったかなーアっ!!?」
「また来る時までに探していてくれればいい」
「しっかし、どうしたの?『彼岸の小さな恋』は手元にあるでしょ?」
……………え?
夕方になり、新町には買い出しをする人や下校する同世代の男女で溢れた。どこからか、焼き鳥やお好み焼き、居酒屋なのだろう、食欲をそそる匂いもする。わたしと貴方の間にはふたり分にしては、首を傾げる空間が空いている。他人といえば他人、知っている人だと言えば、そう。そんな距離を置いて歩いていた。どうして、いつも貴方は“何も無かった”みたいに出来るのだろうか。やっぱり、華子の言っていた通り、わたしなんて“お客さん以上”にはなれないんだよって『遠回し』に言っているのかな。
三十分程前、あの骨董品屋さん(が本業らしい)の店員さんが言った。貴方から『彼岸の小さな恋』を買うなんて非常識な奴がいるんだな、と。そして、貴方は「非常識ではない。今、視野を広げようとしている大事な客だ」と言った。あの『彼岸の小さな恋』は初版だったな。わたしが古書の価値に詳しくなくても“初版”の価値くらいは分かる。また手にしたいなんて、そんなに思い入れがある本だったのなら、尚更、どうして、わたしに売ったんだろう。それに、貴方から買うのが非常識って……………何?
「あの………っ、わたしは貴方を傷付けていませんか?」
よくある事だ。無知故に無意識のうちに誰かを深く傷付けるなんて。………この社会はまだ差別に溢れているから、彼岸の獣である貴方は余計に傷付くはずなんだ。貴方は少し首を傾げ、また“何も無かった”話し方で「いいや。君は何もしていないよ」と言った。
嘘だ。
それくらいは分かる。もう半年以上、八ヶ月も貴方ばかり観察してきたのだから、言葉を発する時に見せる仕草が、いつもと違うなんて分かるよ。今のは貴方自身の中に、何かを仕舞い込む為の演技、自分に付いた嘘でしょう。わたしから与えられた辛さを“無かった事”にしようとしているんじゃないの?繰り返す、辛さのひとつひとつを無かった事に……。わたしに売ってくれた『彼岸の小さな恋』も痛みが繰り返され、希望が剥がされていく話だ。ある豪商の娘が“人間”の暴漢に襲われていた所を、彼岸の獣が助けに入った所から始まる。その時、少女は彼岸の獣に一目惚れをし、その想いを彼岸の獣は時間をかけながら受け入れていた。相愛となっても世間の目は冷たかったが、それでも離れる事なく二人に出来る事を続け、やがて、周囲の人間に認められていった。幾年もかけて、ゆっくりと小さな恋を大きな愛に変えていく。愛が咲くはずだった未来で、人間のやさしさが全て剥がれた。
獣狩り。
これは当時の社会情勢と根底にある差別意識が生んだ迫害のひとつして、教科書にも載っている事件だ。景気が悪くなった時代に『仕事が無いのは、彼岸の獣が安く仕事を奪い取っているからだ』という噂が流れた。昔から人間は彼岸の獣を安い賃金でしか雇わなかったという事実がある上、人間より力のある彼岸の獣は重宝され、多くの雇用があった。それが自分達にとって不利益になると、途端に憎悪の矛先が法的にも立場的にも弱い彼岸の獣に向かった不幸な事件。
そして、物語の最後は………。
彼岸の獣と婚約関係にあった少女は“彼岸の獣の嫁、人間の裏切り者”として襲われ、彼岸の獣は少女を守ろうと暴力を振るった。少女はその時の怪我と心の傷を負い、婚約者を助けた彼岸の獣は“平等な法律”の元に極刑を言い渡される。二度と会う事が無いと知った少女もまた自死を選ぶのだ。大きな愛で歩いたふたりは、社会にとって、蚊を潰すくらいの感覚で“何も無かった”事にされた、小さな恋。
空を見上げるように貴方が立ち止まった。その大きな背中を見上げる。
「……あの、もしかして……わたし………………」
貴方が振り返り、指を差した。
「私はこっち、森の中。君はたぶんあっち、人の町。ここまでだ」
わたしの血にも差別が流れていて、知らない間に誰かを傷付けている。誰かが歪んでいるから、社会がまだ平等じゃないから、なんて言っている“誰か”と“社会”はわたしの事だ。ちょっと知った気でいるからこうなる。
「それでは、ごきげんよう」
貴方のその背中は、いつも通りベッドに出来そうな大きさで、何もなかったように森の中へ消えていった。
翌日、初代校長の胸像を見下ろす渡り廊下で、華子のクッション性の低いお胸を借り、わたしは勢いよく水を出すホースの如く、涙を出していた。放水量から見て、たぶん、虹がかかってらあ。昨日、貴方と別れ、家に帰り、お好み焼きと白米を食べて、お風呂に入り、就寝しようと枕に顔を埋めた瞬間から目から大量の水分、口からは嗚咽という名の奇怪な声が止まらなくなった。
「はな゛ごぐーんっ!!!!わ゛たじはああああああああっ!!うあああああああっんんん!!!!」
ひっぐっ、ひっぐっ!うあああああああっん!と、子どもみたいな呼吸と嗚咽を繰り返しては止まらない。しかし………こういう時にお胸が平らい組は少し頼りになりませんな。いくら、こうやって、顔をぐりぐりしても頼もしい反発が…………、
ごっ!
「何事ですっっ!!????」
突然の頭上に発生した痛みに状況が分からず、頭頂部に隕石が落下したのだと上を見上げる。しかし、ここは初代校長の胸像が見える渡り廊下で、上は天井だ。二秒程、穴が空いていない天井を見ていると「こっちだよ、こっち!」と華子が顔の前で、拳をぷらぷらさせていた。「相っ変わらず、石頭だなっ!」という発言で理解した。隕石が落下してきたのだと思ったそれは、華子が振り下ろした拳だ。「なんだよう!」と文句を言いながら、さすさすさすさす、と、頭をさする。
「甘えんな。その痛みはりんごの恋だろう?」
なんか、格好良いっぽい事言ってますケドっ!?華子くんも数多の恋愛ごとに、色々と五月蝿いじゃないデスカーっ!!??
が!
今度は肘が顎に入った……。
…………………………
実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第八話「“たわわ”と“およよ”」おわり。
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